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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:初めての投稿です。)

大東亜戦争時代の特攻隊についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 大東亜戦争時代に特攻隊に志願した若者たちは、その時代の日本が戦争をする理由や目的をどの程度まで知っていたのか疑問に思います。
  • 当時の日本が石油資源を求めて戦争をしたり、大東亜共栄圏構想を持っていたことを知っていたのかという点についても興味があります。
  • 戦争の理由や目的を知らずに命を落としてしまった若者たちの姿について考えると、理解しがたい気持ちになります。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

>「石油資源を求めて」や「大東亜共栄圏構想」などといった事を知っていたのか? まず、大東亜共栄圏構想に関しては、新聞報道や学校の授業でも指導されていたことなので、多くの学徒が周知していたはずです。  それが志願する動機とは限らないようですが・・・・・・ 、 私の曽祖父の話では、地域コミュニティ全体で志願兵を送り出さなければならない空気(雰囲気)があったそうで、動機云々の問題ではなく、その社会え家族と一緒に生きるためには、志願する必要性に迫られたようです。 なお、曽祖父はインテリで海外生活の経験があった人だったので、「アメリカと戦争する」ことの無謀さを訴えたそうですが、村八分になったそうです。  まぁ、兵役拒否して「非国民」扱いされた曽祖父ですが、戦時ヒステリックに陥った連中よりは賢かったとは思います  それでも、曽祖父はこんな風に言ってます 「それでも戦争を止められなかったんだから、ワシはもっと罪人だ」 とのことです。 戦時に冷静な判断力があった人間ほど悲惨な境遇だったあの時代を曽祖父は決して卑下していませんでしたが、兵役逃れに対する罪の意識はあったようです。  まぁ、兵役逃れるために、北海道を放浪してた曽祖父ですから、色々戦時に辛い思いをしたでしょう 戦時というのは、人間を狂気に誘うもので仕方ないとは思いますが、 ”仕方ない”で済ませるのも狂気かもしれません。 

その他の回答 (4)

回答No.4

直接の回答にはなりませんが、私の父の話をします。 私の父は昭和2年に東北の中くらいの田舎に生まれました。小学校の高学年の頃、クラスの友達がときどきいなくなるんだそうです。そうすると、別の友達が「東京に売られたんだと」と噂話をしたそうです。うちの父は10人兄弟の6番目ですが、当時はそのくらいの家族はざらだったそうで、貧乏なものが多く、口減らしはよくあったようです。父の家も貧乏でしたが、長兄が兵隊に行っていたので、従軍家族の子供は学費が無料だったので、高等小学校まで行けたそうです。 高等小学校(今の中学)のころ、学校で国策として進められた、満蒙開拓義勇軍(満州や蒙古地域の未開地の開拓を主任務とした屯田兵のようなもの)の募集が行われ、誰も応募しなかったところ校長がブチ切れして生徒たちを罵ったことを今も思い出すと話していました。 高等小学校をでると、父は職業戦士(国家総動員法のもとずく強制労働政策の別称)としてグンゼに派遣され、全寮制できつく、何度か逃げ出したと言ってました。 太平洋戦争が始まったとき、ニュースを聞きながら漠然と「アメリカになんか勝てるんだろうか」と思ったなあと言ってました。 参考になるかどうかしれませんが、終戦の時に18歳だった一般人の一人の感覚です。そんな時代です。今とは大分違います。

marukin_lite
質問者

お礼

成る程。 一般の人の感覚と言うのは、得てしてそういうモノで、開戦当初から、それを発言することもままならない状態にあるのかもしれませんね。 状況が混迷するにつれ、そういう、建前や本音が浸透していき、民衆の本音と言うもの、国の本音や本当の状況と言うものは治安維持の為に押さえつけ、隠匿される。 そういった時代だったのかも知れません。想像に過ぎませんが……。 今、平和は過去を生きた人達の『人柱』の上に成り立っているのかも知れません。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (817/3047)
回答No.3

そういったお題目があることは大半の人間は知っていたでしょう。 それが建前であることも、少なからざる人間が知っていたと思います。 ですが兵士の認識は、アメリカが攻めてくるから戦う・日本の植民地や租界で野蛮人が暴れてくるから戦う、これだけのことではないでしょうか? 国のために働かないと、家が白い目で見られる、爪弾きにあう、村八分にあう、文字通り家族が生きていけない時代だったんです。だから戦ったんです。

marukin_lite
質問者

お礼

>国のために働かないと、家が白い目で見られる、爪弾きにあう、村八分にあう、文字通り家族が生きていけない時代だったんです。だから戦ったんです。 端的かつ的確なご意見だと思います。 確かに、本音部分での出兵理由に占める割合は高そうです。 出兵理由に絞ってしまえば復讐心と言うモノも割合が高そうですが…… 飽くまで想像になりますが、きっと、ほとんどの兵員は出兵後、生きる為・戦友の為に必死で戦ったのでしょうね…… そう考えると大東亜戦争と言うモノのむなしさが際立ちますね。やむを得ない追い詰められた戦いだったとしても……逆にだったからこそでしょうか…… 愛国って一体何なんでしょうね。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

私は若い頃には、世の中は常に進歩しているものだと思っており、まさか退化することはあり得ないと思っておりました。しかし、いろいろ経験を積んだ今振り返ってみると、退化もあり得る事も分るようになりました。私の若い頃は通勤通学電車のなかの30分ないし1時間の退屈な時間を過ごすために、多くの人達が文庫本を読んでいました。今では、たとえそんな人をたまに見掛けることはあっても、圧倒的に携帯電話を見ているか、マンガを読んでいるか、音楽を聴いている人達ばかりです。知的レベルで明らかに退化していますね。 その私達古い世代でも戦後でしたので、戦前に比べて、目は世界には向いていませんでした。戦前の人は満州や朝鮮、あるいはアジアの他の国に羽ばたいてみたいと言う人が幾らでもいましたが、私達の世代でそんなことを考えていた人は滅多にいたかったはずです。 現在の若者は自分の小さな世界を中心に生きておりますが、戦前の若者でアジアの世界を夢見ていた人は今の人には想像もできないくらい多かったはずです。そう言う点で、日本人の若者達は世界を見る目が、戦前の若者達と比べて、見るも無惨に退化してしまったと思います。

marukin_lite
質問者

お礼

確かに、知的好奇心や世界に対する目と言うモノは退化しているのかもしれませんね。 私自身もバブル以後を生きている人間ですので、ご回答者様の方がよりそういう感覚をお持ちなのだと思います。 下手な夢を持たず、無難に生きる方が楽ですものね。 日本と言う国の経済力低下などもご回答者様のご指摘が起因する所も少なからずあるのかも知れません。 反対に人が楽をするため(効率化や生産性向上の為の機械技術)、娯楽や刺激を求める為のモノと言うのは日々進化を続けている様にも思えます。 質問の意図とは離れてしまう部分もありますが、考えさせられる部分があります。 例えば古い職人の技術といったものであったり……私自身は門外漢なので聞き伝になりますが、建築などの技術は効率化でプラモデルを作る感覚の建物が多くなったとか…… 昔ながらの大黒柱を建てた家を造れる大工の頭領さんの様な人は年々減っていると聞きます。 と言う事はそれらの家を修繕する技術を持つ人も少なくなる一方だと言うわけで……数十年数百年先になると、もしかするとコレは由々しき事態であるのかもしれません。 話が脱線した上、長文申し訳ございませんでした。 ご意見参考にさせて頂きます。 更に関係無い話で申し訳ありませんが、写真凄いですね。 空に笑顔が浮かんでいる様に見えます。凄いです。(笑) 貴重なご意見ありがとうございました。

  • gamajah
  • ベストアンサー率18% (27/143)
回答No.1

想像ですが・・・。 >例えば、「石油資源を求めて」や「大東亜共栄圏構想」などといった事を知っていたのか? どの程度か量りかねますが、わりと知っていたと思います。 むしろ「世界に目を向ける意識」は、今よりもはるかに強かったかもしれません。 日清日露、台湾や朝鮮、満州、南洋群島・・・etc.当時日本・日本人は国内の人口増加・食糧事情・就職事情など諸々問題で、「内地は狭い、外地へ出ようじゃないか!」みたいな機運はあったような気がします。当時は家長制度でもあり、次男三男は嫌でも家を出なきゃならなかったわけだし・・・。 また欧米列強にいち早く追いついて「世界の一等国」になるべく日本全体に、個々には「なんとなく」とか「漠然と」とか「単に空気に流されて」とかはあるにせよ、現在の感覚と比べたら強烈な「上昇志向・拡大志向」があったんじゃないでしょうか。 もっとも、「情報」のスピード・正確さなどは今の方がはるかに上なんでしょうが、 雑多な情報が溢れて、かえって何して良いか解らなくなっている現代よりも、 むしろ当時の方が情報量が少ない分だけ「純真な情報」を得ていたかも・・・。 「勉強熱心」な人は多かったと思います。

marukin_lite
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 なるほど……現代の方が確かに情報が多くて取捨選択を強いられる事が多いかも知れません。 情報量が少ない、あるいは限定をされている方が、真実に近い情報に行き当たりやすいかも……というのは一理ありますね。 逆に誤った解釈やデマ・ガセ・噂レベルの情報について判断が正確でなくなってしまう可能生も十分に含んでいるとも思いますが。 参考にさせて頂きます。

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