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「大東亜共栄圏」ってあくまでも、建前だったんでしょうか?
日本のように欧米に立ち向かう国がなかったら、アジアの人々は、かつての黒人のように奴隷のような扱いを受けたでしょうか? 又、当時の政治 軍部に関わってた日本人は、本気で「大東亜共栄圏」を思って戦争をはじめたんでしょうか?
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アフリカの黒人奴隷のような扱いは受けていないと思います。 アフリカからアメリカ大陸に大勢の黒人奴隷が運ばれた理由は、アメリカ大陸の原住民(インディオやインディアン)が、あまり勤勉でなかったことがその理由です。 スペインがインディオを捕まえて、金山で働かせようとしても、インディオは働くくらいなら死んでもいいという民族意識だったようです。それでアフリカから奴隷を輸入してくることになりました。 大東亜共栄圏は、日本のゆるやかな植民地というものが実態だったでしょう。伝統的なアジア社会が、欧米の植民地戦略と戦うためには、先ずはアジア諸国の政治や軍事を西洋化する必要がありました。 それに成功した唯一の国が日本でしたから、日本をモデルとして西洋化させるということは、間違っていなかったと思います。戦後、中国も韓国も他のアジア諸国も、強制されていないのに皆日本の真似をしています。 日本が成功した伝統や宗教を残しながら、西洋化を進めると同時に、経済のブロック化をすすめ、同時にエネルギーの確保を狙ったのでしょう。 早い話が、西洋の植民地になるよりも、日本の植民地になったほうがお得ですよ。というものです。 アジア諸国の政治家も、当然わかった上で、同調したり、拒否したりしていました。 そうした大風呂敷というか、オーバーな理念は、どこの国でも言っていることです。アメリカも自由と平等を・・・といいつつ世界支配をしてきましたので、五十歩百歩だと思います。
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- Jack-O
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No.7 へのお礼 > 中国 韓国が「日本はわが国に対し侵略戦争を行った」という > のに対して「いや、それは違うだろう」と胸を張って言えるの > かどうか? そういうことであれば、「胸を張って言えます」と言えます。 シナに関して言えば、戦争を起こそう起こそうと陰謀を働き続けたのはシナ人、特に毛沢東の共産党でした。そして、実際に盧溝橋でシナ人の陰謀で開戦することになりました。しかも、日本が戦ったシナは国民党であって共産党ではないので、今の共産党中国が「わが国」というのは筋違いですね。領土がたまたま同じ辺りだというだけの、違う国なのですから。 ついで言えば、その毛沢東は、「日本が国民党と戦ってくれたので今の中国がある」という発言すらしています。 更に、今の共産党中国は、現在進行形でチベットやモンゴルを侵略し軍事占領をしていますし、台湾に対してもその姿勢を隠していません。過去にたまたま同じ国土にあった国家と日本が戦争したからと言って、何かを言える筋合いはないのです。 朝鮮について言えば、大東亜戦争についてはそもそも朝鮮は日本だったので戦争をした側です。そして、日本となった経緯である日韓併合は、戦争によるものではありません。むしろ安重根の伊藤博文へのテロや、閔妃のようなロシアへの事大という独立国家維持の意思も能力も無かった韓国の自業自得という面すらありました。 勘違いしている人が何人もいますが、「覇権に空白は存在できない」というシンプルな法則が武力の形で実現されていた当時の国際情勢下では、侵略は悪でも非でもありませんでした。それを現代のセンスでどうこう言う筋違いを分かっていないか、分かっていないふりをしているということです。 つまり、「過去の侵略」を問題にする人は、そういう国際常識を全く分かっていない無知か、言われる側の無知に付け込んでいるに過ぎません。本来、それに非を鳴らす人は、列強を全て批判するか、なぜ日本だけがそんな国際常識外れな批判をされるという非差別待遇を受けるのか、きちんと説明しなければ筋が通りません。で、それをする批判者はいないので、その種の連中の主張がエセであることが分かるのです。 そういうエセに、騙されないようにしましょう。
お礼
ありがとうございます。勉強になります。
- aburakuni
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歴史的経緯からみれば、まず侵略があり、それを正当化する為の「建前」であった事は間違いありません。 当時侵略者側のアジア国は日本だけなので、そういった正当化を考え、それが米国からさらに敵視される結果を招きました。 結果的に良い方に向かったと言う事に関しては、「泥棒に入ったら、見つかって追い出され、その時に火がかかったままだったのが見つかった」と言う類であり行為自体が正当化されるものでは無いと考えますが・・・。
- Federal
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1943年5月31日の第十回御前会議で、 ビルマ、フィリピンは独立させるが、マレー、スマトラ、ボルネオ、セレベスは日本領土とすることを決めています。要するに資源の豊富な地域は独立させないということです。 なので、「大東亜共栄圏」は建前で、日本の繁栄だけが目的です。
お礼
ありがとう御座いました。 日本としては、「日本の繁栄だけが目的」だったとしても 結果的にはアジアの国々にとっても、まだましだった ってところですかね。。。
- netcatme
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よく趣旨がつかめませんが、 >「大東亜共栄圏」ってあくまでも、建前だったんでしょうか? そうとも言えるが、本音も混ざってたことでしょう。対西洋と言う意味で。 >日本のように欧米に立ち向かう国がなかったら、アジアの人々は、かつての黒人のように奴隷のような扱いを受けたでしょうか? そう思います。第二次世界大戦前までは、白人以外は人間として扱われていなかったと考えています。第二次世界大戦は人種を巡る戦争という意味づけが可能です。 >又、当時の政治 軍部に関わってた日本人は、本気で「大東亜共栄圏」を思って戦争をはじめたんでしょうか? 戦争を始めたのは別の理由です。当時、石油は米国からの輸入に頼っていたので、石油を止めるぞと言う脅しに乗って戦争に参加したわけです。「大東亜共栄圏」は基本的には後付けのものだと思います。
お礼
知りたかった事は 中国 韓国が「日本はわが国に対し侵略戦争を行った」というのに対して「いや、それは違うだろう」と胸を張って言えるのかどうか? という事です。 ありがとう御座いました。
- pluto002
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*** > 日本のように欧米に立ち向かう国がなかったら、アジアの > 人々は、かつての黒人のように奴隷のような扱いを受 > けたでしょうか? > 又、当時の政治 軍部に関わってた日本人は、本気で「 > 大東亜共栄圏」を思って戦争をはじめたんでしょうか? そもそも日本には奴隷という存在事態がありません。しかし階級や差別というのはどの国にも存在しています。奴隷は大ざっぱに言って西洋などでつくり出されたようなもんです。 第二次大戦の中、日本はエネルギー資源の確保にかなり力を入れ石油の採掘なども行いましたが、ほとんど失敗に終わりました。そうなると経済も軍事力も弱くなります。最前線の兵士には食料の供給さえ行えない状態です。そうなった時、ある兵士や隊は-森にこもって原始的な生活でその日暮らしを繰り返す生活を、ある兵士や隊は-村などを遅い略奪や暴行を繰り返すなどという悲惨な事も起きてみたり、ある兵士や隊は-地元住民に助けられ身分を隠しそこに永住するなど、という数々の悲惨な事が起きました。 当時の政治家たちが何の理想も持たずに、むやみに権力の傲慢として戦争を起こしたというのはまずないでしょう。当時の政治家たちが描いた理想や言葉、演説というのは数多く残されています。しかし、すべてはエネルギー資源がなくては実現出来ません。結果として単なる絵に描いた餅であり、理想へ精神論で押さえ込むだけといった状態です。最前線の兵は極限状態に追い込まれ、日本国内では「ほしがりません勝つまでは」の合唱が始まり、多くの人を苦しめる結果となったというのが実情でしょう。 「アジアの人々はかつての黒人のように奴隷のような扱いを受ける事になったか?」というのは、戦後の東アジア圏を見てもそれほど資源に恵まれていない事などからも、東アジア圏全体に豊かさをもたらす事は恐らくはなかったでしょう(といっても、もし大東亜共栄圏が存在していたなら大きく世界の歴史が変わり当然東西冷戦などもなかったでしょうし、ありとあらゆる要素が変化しますので予測は不可能ですが。”歴史に もし はない”ということですね)。 東アジアのエネルギー事情や必ず他圏との対立があると考えると、奴隷という事はないにしても、20年ぐらい前の中国のような状態か、それを少し良くした程度ではないでしょうか。
お礼
ありがとう御座いました。
- ikazuti
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現在、黒人がアメリカ国内でも(無論、実質かなりの差別は存在するにしても)法的な差別は撤廃された事からも、黒人奴隷のような状態には置かれないでしょう。 ただ、当時の政治・軍部は無論下心もあったでしょうが、大東亜共栄圏を作ろうとしたことは事実だと思います。無論、これは日本が中心となったものですが。 というか、太平洋戦争は日本の独立戦争であったというほうが的確ではないかと思います。 石油などの輸入が出来なくなる、いわゆるABCD包囲網を解くため、アメリカを交渉の席に着かせるための戦争であったという見方も出来ます。 当時のアメリカの態度は、日本に対して座して死ねと言っているも同然だったので(無論、そのような状態に陥ってしまったのは日本にも原因は無いとは言えませんが)。 当時の海軍が、対米戦争に批判的だった山本五十六をそのまま連合艦隊司令長官として留めた事がからも伺えるように、当時の軍部も本気でアメリカに敵うとは思っていなかったのではないでしょうか。 しかし、戦って存在感を見せ付ければ、アメリカも日本の実力を認め、勝つことは無理でも交渉次第で日本を守る事が出来るかもしれない。 一縷の望みを賭けた賭けに近い戦争だったのではないかと思います。そうせざるを得ないほど、当時の状況は逼迫していたのだとも言えます。 実際、ルーズベルトが生きたままアメリカの条件を飲んだり、また終戦を迎えたら、日本はどうなっていたか判った物ではありませんし。 日本が時間を引き延ばした結果、ルーズベルトは死んでトルーマンとなり、何とか日本は(戦争に負けたにしては)過酷な占領を受けずにすみました。 原爆落としたトルーマンを褒めるつもりはありませんが、ルーズベルトと比べればましです。 で、それを実行するためには大東亜共栄圏と言う理想が一番しっくりきたからそれを旗印にしたのでは無いでしょうか。 アジアでは白人に搾取されていたのは間違いありませんし、日本国民を一致団結させる役目にもなりますし、上手い具合に行けばアジアの支持も取り付けられるかもしれない。 事実、結構な独立指導者が日本に協力してますし。 独立指導者から見ても、世界で唯一、非白人の国で白人国に対抗できる力を持った日本の支援は欲しかったでしょう。 ということで、戦争を有利に進める上でかなりベターなスローガンだったのではないでしょうか。大東亜共栄圏というのは。 まあ、それもアメリカの物量に敗れ去ってしまうわけですが、第一次世界大戦の装備と戦術のまま第二次世界大戦に突入した日本としては、これだけ長く持ちこたえられたのは国民の一致団結があったからでしょう。
お礼
ありがとう御座いました。
- Jack-O
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アメリカの黒人奴隷は、史上最も悲惨な待遇を受けた奴隷でしたから、そこまではいかなかったでしょう。が、それよりマシとは言え、日本が日露戦争で勝たず、また大東亜戦争の緒戦であれほどの鮮やかな連戦連勝をしなかったら、戦前のアジアの植民地状態は、今も続いていたでしょうね。 可能性としては、日本ではなくシナ帝国がアジアの中で列強と対抗できたかもしれません。ただし、その形態は日本が対抗したときとは異なり、中華思想に基づく柵封体制でアジアの周辺諸国を膝下に置くことで支配するものであったことだけは確かです。現在の共産党中国が毛沢東を皇帝とした中華帝国として建国され、その制度がそのまま続いているという歴史から、これが言えます。 そうなったときは、西側諸国の民主主義/資本主義世界と、ソ連の共産主義/社会主義世界と、シナの中華帝国世界が拮抗する三つ巴世界になっていたでしょう。 ちなみに、建前も何も、大東亜共栄圏という構想は、政治目標の理念です。 ただ、その具体的内容は、言っている人によって違ったりするので簡単には扱えませんが。 もっとも、目標なのですから、達成できなかったから建前だ、などという議論はもちろん成立しません。ペナントレースで優勝するぞ!という目標を掲げて優勝できなかった野球チームにとっては、「優勝するぞ!」が建前だったというようなものです。 本気という話については、当然人間ですから個人差はあるのですが、たいがいの人たちは開戦の詔勅にを何度も教えられていますから、そこで目的として掲げられた「東亜ノ安定ヲ確保」、「東亜永遠ノ平和ヲ確立シ」を信じていたと言っていいでしょう。 実際、ゼロ戦のエースだった坂井三郎氏のように、それを信じて戦ったという証言をしている人もいます。 人は、そういう崇高な理念のために、けっこう命を捨てられるものですしね。
お礼
ありがとう御座いました。
- g6200
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後段の件のみお答えいたします。まず参考サイトを掲げておきます。 <大東亜共栄圏> http://www.tabiken.com/history/doc/L/L084L100.HTM 当時アメリカで起こった大恐慌を契機に各国が英国、フランス、米国などの植民地を所有する国が自由貿易経済を拒否し、自給自足のブロック経済を形成した歴史的潮流にこの大東亜共栄圏もあります。 この言葉は自然発生的に出来てきたものと思われますが、岡倉天心などの明治時代に急進的に西洋化を進める政府のやり方かつ欧米列強の植民地支配に批判的だった人たちが 「亜細亜はひとつ」 ということで、日本を中心に西洋の悪い影響から東洋の文化・文明を守ろうという趣旨で唱えられた 「大アジア主義」 という思想に由来するというのが私の認識です。しかし実際のところ南方資源獲得のための進出、朝鮮・台湾・満州などの植民地所有の正当化の「建前」として使われてしまった部分が大きいと思います。ただし陸軍の今村均大将のようにインドネシアで本気で日本人と現地人の協調を図ろうとした軍人さんはいます。漫画家の水木しげるさんもニューギニアの人たちと実際に親しく交流し、現地人を侮蔑、虐待する上官軍人と大ケンカした人もいます。こういう人たちの存在も忘れるべきではありませんね。もちろん現地人を抑圧した軍人さんもいただろうし、ひと様々だったと思います。 <今村均> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E5%9D%87 <「大東亜共栄圏」の実態--日本軍占領下のアジア> http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper41.htm しかし結局「大東亜共栄圏」が事実上の「建前」だったことは、それが実現し得なかった歴史的事実そのものが証明していると考えます。 この問題については、様々な立場・見解があると思いますので、ここでの回答者様の皆様の意見を参考に、さらに知識を深められることを希望いたします。
お礼
ありがとう御座いました。
- k99
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前段は完全にifの話なので何とも言えません。 さて、後段については、実は「みんながみんな、バラバラのことを考えて適当にやっていた」というのがかなり実情に近いでしょう。 この時期の外交と占領政策は陸軍、海軍、外務省と主なプレーヤーが別れており(後に大東亜省なんて奴も出て来る)、これらを統轄するセクションはありませんでした(そもそも陸海軍を統轄すべき「大本営」ですら、名目的な物に過ぎません。また、陸軍でも参謀本部などの軍令と陸軍省の軍政部門は反目しており、そのなかにも派閥があり、現地軍と中央の意見の相違があり・・・・・といった状況です)。 そこに、「占領地どうするよ」という課題が浮上してくるわけですが、統一された方針が無い以上、当然対策は超場当たり的。 例えば、フィリピンは既に46年の独立が決められていたために、独立方針はゆるがなかった物の、日本との関係をどうするかで現地の陸軍と中央、外務省で綱引きをやっています。 また、インドネシアは全域を占領すべきとする海軍、陸軍、連邦国家を志向する外務省が対立。戦局悪化に伴って、陸軍は「独立させれば士気も高まって戦争協力が得られる」と独立を志向し出しますが、海軍は逆のことを考えていたようです。 ビルマでは早期独立を考えていた陸軍の特務機関に対して上位の南方軍が軍政実施(+戦後の独立)を主張して通していく(やはり敗色濃厚になると独立へシフト)、といった具合です。 特に陸軍は汪兆銘政権の失敗を受けて間接統治に強い疑問を持っていたようです(もっとも負け出すとまたぞろ同じようなことを考えてしまうわけですが)。また、海軍は資源地帯を手放すことに強い抵抗を示しています。また、外務省は戦争のコスト度外視(ひねて考えれば、ナワバリ拡大を狙って)で独立させようと言う傾向がありました。 そもそも「大東亜共栄圏」「大東亜新秩序」なるものには「日本がアジア各国を善導するブロック経済圏」という漠然としたイメージはありましたが、それ以上に定義されたものがあるわけでもなく、例えば開戦時に東条英機と外相だった東郷茂徳の間でも相当のズレがありました。 この点をどう評価するか、すなわち全然違う内容だけれど、「大東亜共栄圏」という御題目を動機はともあれ言っていた、という点では思っていた、というのが答え。 内容に着目すれば、どれが正しい「大東亜共栄圏」像なのかによって、思っていなかった奴もいる、といった所でしょうか。
お礼
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お礼
ありがとう御座いました。