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『戦国時代に平穏はあったのか?』
『戦国時代に平穏はあったのか?』 戦国時代というと、一般人は、戦に駆り出され、傭兵や盗賊に略奪・殺害され、 飢饉により食料も満足に食べられない。 と、いうイメージが自分の中ではとても強いわけです。 が、あまり戦にも巻き込まれず、そこまでひどい飢饉にも見舞われず、 わりとのほほんと暮らしているような村はなかったのでしょうか? もしあったらどれくらいの割合の、どこら辺の村がそうだったでしょうか? 知ってる方がいらっしゃったら是非教えて下さい。 よろしくお願いします!
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「平穏」の意味が重要ですが、文面から判断するに、一般的にイメージされるような戦国時代とは違う肖像が指摘できると思います。 戦国時代の村(惣村)は自治原則が徹底していますので、現代人の我々が思っているよりも、地方自治が徹底しています。 戦国時代において大名は、惣村社会の支持を得る必要性があり、時代劇にあるような戦国時代の農村肖像は現実的ではありません。 つまり、領主によって駆り出される地域紛争はそんなに頻発していない、と思っても問題ないかも知れません。 特に大規模化した地域領主では、その地盤となる荘園ではなく、外様荘園を戦時動員する性質が強く、基盤になる荘園惣村は税制優遇などを受けていたようです。 これらの比較的恵まれた惣村社会でも、地方自治では、惣村同士の紛争が多発する傾向にあります。 簡単にいえば、惣村同士の紛争に対して、それを統制する中央権力がないことが原因です。 小規模な対立が多発する戦国時代の惣村社会は一定の安定性がありますので、他の時代よりも比較的平穏だったと言えるかもしれません。 ただ、戦国時代は東アジア全域の寒冷化が指摘されていますので、農産物の収穫量において不安定さが指摘されている部分もあります。 その代わり、荘園領主の積極的公共事業が促進された部分が多く、商工業の飛躍的発展が指摘できることからも、豊かさは南北朝を軽く凌駕していた可能性が高いです。 比較的参考になる文献のURLを紹介しておきます http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%91%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E5%B9%B3%E5%92%8C-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E4%B8%96-%E5%9D%82%E7%94%B0-%E8%81%A1/dp/4124902212 本書は比較的詳細に中世の惣村社会の実像に迫った記述が多いので、参考になります。
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- yuki01cunn
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戦国時代と言っても日本にも中国にも存在するので、どこの国の戦国時代でしょうか?日本ならそんなことは、無いです、実際戦自体も数少ないし、(年表と日本地図を用意して印を付ければ一目瞭然)戦も農閑期中心に行われていたみたいです。まー全部がそうでは有りませんが、足軽等は農民でしたので、田植えの時に戦争をしたら、逆に農民一揆を起こされカネナイので暗黙の了解でこう言う取り決めがあった様です。
お礼
あり得ないくらいお礼が遅くなって申し訳ありません。 なるほど、田植えと、もしかしたら刈入れ時なんかも農民を招集できなかったかもですね。 アステカ対スペインの時もトウモロコシの刈りいれのためアステカ側のリーダーが農民兵を 地元に帰らせたというのも聞いたことがあります。 農耕民族は世界共通のところがあるのかもですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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http://qanda.rakuten.ne.jp/qa5931390.htmlってご質問がありますが、アジアなどのちゃんと国の確立がなくて、ごたごたしている国々などを見ると今は国が確立することが大事だと思います。 でも一般的に権力が確立すると、人民はつらい思いになります。いろんなことが制約されます。 国家権力がない方が、いわゆる干渉や束縛をしてこない時代は、多分のどかであったと存じます。 盗賊だって、反権力だって生きていかれたと存じます。 戦国時代は強力な権力がないだけ、自由でのどかさがあったと、西欧の中世なども想像しながら描く事がかのうですね。絶対王権などの確立してくる近代国家とともに地方ののどかさは奪われてくるのだと存じます。
- eroero1919
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まず、戦国時代には天明の飢饉のような大規模な飢饉の記録は残っていません。まあ時代背景的に残らなかったという部分もあったかとは思いますが。 戦国時代も末期になりますが、関ヶ原の合戦のときは、兵農分離がほぼ完成していたのでなんと近隣の農民がお弁当を持って周囲の山に登って合戦見物をしていたそうです。もちろん兵農分離が進んでいない戦国前期じゃそんなのんびりとしたことはいってられなかったでしょうけどね。 織田信長は、主な街道の道の両脇に街路樹を植えたそうです。それは行軍する兵士が直射日光に当たらないようにというのは副次的な目的で、主な理由は街路樹を植えておかないと街道沿いの農民が少しずつ道路を削って田んぼにしてしまって道が段々狭くなってしまうからだそうです・笑。そのくらい、当時の農民は開墾精神旺盛だったようです。 また、加賀か能登あたりだったと思いますが、北陸のどこかで一向宗が非常に力を持ちとうとう領主を追い出して農民達を中心に今でいうところの共和国が樹立した地域もありました。ヨーロッパよりはるかに早く民主主義国家(というほど大袈裟でもないですが)が誕生していたのです。 考えてみれば当時はいわゆる「かぶき者」がいたわけでして、彼らが奇抜なファッションに身を包んでいられたのも食うには困っておらず自由な雰囲気があったからだと思います。 また当時のキリスト教宣教師たちは「日本人に処女が大事といっても鼻で笑われる」と嘆く手紙を残しています。まあ、それには明日は死ぬかもしれないという時代背景もあったと思います。そのへんはかなりゆるいというか自由だったようで、父ちゃんが戦争に行っている間に母ちゃんが妊娠してもあんまり気にしなかったようですよ。「生まれてくる子は子宝だ」と庶民は思っていたようです。 鎖国をするまでは海外への行き来も自由でしたから、フィリピンやタイにも日本人街があったそうです。山田長政は有名ですよね。一向宗のように宗教戦争で死ぬ人も大勢いましたが、信教は自由でした。 秀吉を筆頭に、滝川一益や明智光秀、高坂弾正や福島正則やマンガでおなじみの仙石久秀のように一介の浪人から一国一城の主まで出世した人も大勢いました。運と能力があれば天下人にもなれた時代です。 命を簡単に失うリスクもあった一方、非常に自由でチャンスもあった時代だったといえるのではないでしょうか。
お礼
私も今住んでるアパート内の敷地を一部畑に改造したりしているので、 なんとなくその頃の農民の気持ちが分かるかもしれませんですよ。 勿論、迷惑にならないような所にですよ。念のため言っておきますが(汗 タイやフィリピンの日本人街ですかぁ 現地の日本人がどんな暮らしをしていたのか気になりますねぇ。 戦国時代は確かにとても自由だったようですね。 ただ、タガも外れやすそうでちょっとこわいですが・・・
お礼
うーむ、 小競り合いが異様に多かったのですか。 大規模な争いは勿論いやですが、 隣村同士でピリピリし続けるのも精神的にこたえそうですねぇ(汗