戦国時代の足軽兵というのは、金で雇われた傭兵です。もっとわかりやすくいえばフリーターみたいなもんでした。だから非常に士気が低い。こっちが負けそうだとなると「命までかける筋合いはねぇ」とばかりに逃げ出してしまうのです。織田信長の軍隊は足軽が中心だったので「織田の弱兵」とよくいわれたのです。
逃げ出した足軽たちは戦場を逃れると町をぶらぶらします。大抵、勝った側は軍隊の補充と時には規模を大きくしなければならないので「足軽募集」ということになります。そうすれば、元足軽たちはまんまと「再就職」というわけです。
派遣会社が潰れれば、そこで働いた人はどうなるか?多くの場合、別の派遣会社に登録するでしょう。それと同じです。
織田軍のように戦さに負けても国にさしてダメージがない場合は、どちらにしても失った兵を補充しなければならないので「足軽募集」となります。そうすると、逃げていた連中も他に行くアテがないですから・・・というわけです。
当時は今の日本に比べれば人口がはるかに少ないですから、戦さがどこかである限りはまたどこかで仕事が見つかる可能性は高かったと思います。
むしろ天下が統一されて足軽や戦さのときだけ雇われた「フリー武士」が失業してしまうことのほうが為政者にとってはるかに深刻な問題でした(仕事のない元軍人が武器持ってそのへんをウロついている)。その対策が秀吉の刀狩であり、朝鮮出兵でした。家康は、大阪の陣でかなり浪人を「整理」しました。また後に徳川幕府は島原にそういった浪人連中が集結しているのを把握しておいてあえてそれを放っておきました。そのため島原の乱では歴戦のベテラン兵が天草軍に多数参加していたので幕府軍は鎮圧にてこずったのです。こういった浪人問題は、由井正雪の乱まで続くこととなりました。