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知識と思考力

孔子の論語にある「伝えて聞き学びて知るは誠の知に非ず」というように本を読んだりして受け入れる形で仕入れる知識と、何かについて考えることができる能力は別物であると思います。 よく「知り」よく「考える」ためには「知る」とか「考える」ということを深く掘下げてとらえることが必要ではないかと思ったのですが、参考になるものやよい実践方法がありましたらよろしくお願いいたします。

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  • apple-man
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回答No.4

>よく「知り」よく「考える」ためには「知る」とか「考える」ということを深く掘下げてとらえることが必要ではないかと思ったのですが、参考になるものやよい実践方法がありましたらよろしくお願いいたします。 ここ、教えてgooでいろいろな質問に答えて いくというのがいい実践方法です。  情報として知っていても、自分で理解していない ことって結構いっぱいあります。本をたくさん読むと、 個々の知識は蓄積していきますが、それらが相互に 繋がっていません。  最近の私の経験だと、ここの在る質問で、 惑星や銀河はなぜ回転運動(自転、公転) しているのかというようなものがありました。  私の答えは、宇宙がビックバンと呼ばれる 爆発で生まれたのなら、最初は宇宙の中心から 外側に向かう等速直線運動しか無かったはずで、 宇宙の成長過程で重力という引力が生まれた ため、物質が互いに引き合うようになり、直線 運動がその軌道を変え、物質が互いの回りを 回転するようになったと考えれれる。 と回転運動の起源をビックバンと引力による ものと説明しました。  ここで初めて私自身は、回転運動が自然に 生まれるためには引力が必要不可欠であること に気づきました。 つまり、 1)ビックバンは知っていた。 2)引力も知っていた。 3)回転運動も知っていた。 のですが、3)が自然に生まれるには 1)、2)が無ければならないということを、 他人への説明の中で理解できました。 >「伝えて聞き学びて知るは誠の知に非ず」  情報として知っているだけではダメだ、 情報を結び付け、自ら新しい結論を出し、 理解しろということではないでしょうか?  

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  • FromB
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回答No.5

最近、自分がいかに物事を考えずに生きてきたかに気がつき呆然としています。考えなくても不自由なく今の世の中生きていけますからね。しかし、考えることは面白い。 考えることの初心者向けの本として以下のものをご推薦します。ご存知でしたら失礼。 野矢茂樹『はじめて考えるときのように』PHP研究所

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569614671/qid%3D1056759385/250-9009055-4934666
jakarta
質問者

お礼

ありがとうございます。 是非読んでみたいと思います。

  • cotiku
  • ベストアンサー率17% (38/216)
回答No.3

つまらない本を読まず、体を動かして自然に触れたり、人のために工夫したりすることではないかと思います。

参考URL:
http://nice.ciao.jp/sontoku/hikaru/hikaru.html
jakarta
質問者

お礼

回答有り難うございます。 「feel,dont'think(考えるな、感じるんだ)」という名言(確かブルース・リーか?)を思い出しました。 二宮翁金とは初めて聞く呼び名ですが二宮尊徳のことなんですね。一つ勉強になりました。

noname#6938
noname#6938
回答No.2

昔のえらい哲学者が「馬鹿の閲覧室」という言葉を使いました。 「教えてなんたら」のようなサイト利用者のみならず ネット利用者にとっては、 なかなかドキッとする言葉だとは思いませんか? 私も自らへの戒めとして。

jakarta
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「馬鹿がいっぱい」という絵本がありましたがそれを思い起こしました。 ちなみに引用したかったのは「学びて思わざれば則ちくらく、思いて学ばざれば則ち殆う」だったのに眠気で頭がどうかしていたようです。

  • nes_
  • ベストアンサー率25% (161/643)
回答No.1

知識を生かすには「教養」が必要です。つまり、考える力とは「教養」のことです。知識は誰にでも教えられるし、誰にでも得ることができます。知識だけでは何の役にも立ちません。 たとえば、ビジネス参考書で交渉術を頭に叩き込んでも、教養――つまり自分というフィルターでもある――がないと、意味がないし、機能しません。 どのようにして「教養」を得るか。第一に古典を読むことです。古典には時代を超えた平衡・道徳の公準が詰まっています。 第二に、本を読むことです。偏った本を読むのではなく、いろいろな本を味わうように読みましょう。批判的な目で読む。そして読後に、必ず自分の感想をまとめてみましょう。ショーペンハウアーは、「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」(斉藤忍隋訳『読書について 第二篇』岩波)という警鐘というか寸言を残しています。

jakarta
質問者

お礼

回答有り難うございます。 >1日を多読に費やす人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく 「読書について」となっていますが、情報に対する接し方を説いているのではないでしょうか。ちょっと興味を持ちました。