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論語と孔子についてです。
論語を読んだり、論語物語という関連本を愛読してます。 他にも孔子のdvdを買って観たり論語の漫画を読んだりもします。 部屋にも孔子像が置いてあって孔子廟にも行きます。 そこで気になる事がいくつかあります。 論語って女性の読者が限りなくいないような気がします。 女性に対しての文章が載ってませんがあれはどういう事なんでしょうか? 当時は女性は内、男性は外の時代だったからでしょうか?
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中国の歴史を見れば ずーーーーっと継続して 男尊女卑の社会でした。 史書に女性に関する記述は非常に少ない 古代中国における女性は、社会生活への参加を制限されており、女性は室内に留め置くべきという社会規範のもと、室外で仕事をする場合でも男性の管理下にあった。 漢族は典型的な父系制で 女性は他の家に嫁ぐことが必須とされ、結婚し子を産んで初めて社会的な居場所ができた。 結婚後は、夫の父母を実の父母として、そして夫を自分の「天」として奉仕することが求められた。 といった感じで どこまでも男社会だったので 女性にとっては無価値に感じるのでしょう。 わずかに 女性が天下をとった時代が多少ありますから そのときだけ 女性が歴史に登場しただけですね。 則天武后とか
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- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >論語って女性の読者が限りなくいないような気がします。 女性に対しての文章が載ってませんがあれはどういう事なんでしょうか? 当時は女性は内、男性は外の時代だったからでしょうか? ⇒そうですね、大いにそういうことと関係があるでしょうね。もっと一般化して言えば、こう言えるかも知れません。すなわち、「マチズモ」(男気、侠気)*を尊重する気風が根底にある、ということです。これは、中国のみならず、古今東西、つまり、世界史上の鉄器時代から古代文明期を通じて、つい最近の帝国主義に至るまで一貫して存続してきた男尊女卑の風潮に呼応している傾向とも言えるでしょう。では、それはなぜか。 未開時代には何をするにも(食料を手に入れるにも、敵と戦うためにも)まずもって「体力が求められた」からでしょう。中国の三国時代、ヨーロッパの絶対王朝期、アメリカの西部開拓時代、日本の武家政治確立期…いずれの時代・場面においても、体力・武力に勝ることが何より大事だったわけですよね。そして、そういう場面で活躍するのはもっぱら男で、女性の出る幕はほとんどなかった、ということが関係するに違いありません。そういうあらゆる場面にあった、いわゆる「女人禁制の発想」が今日の多くの場面、特に因習を尊ぶところに尾を引いているという状況が、女性の影の薄いことの理由と思われます。 *「マチズモ」については、以下のサイトをご覧ください。 https://www.bing.com/ck/a?!&&p=93eaadbddaf38e06JmltdHM9MTY4MzA3MjAwMCZpZ3VpZD0wOThjNzZmNS04YTk0LTY1ZTktMWI3Yy02N2JjOGJlZTY0YWQmaW5zaWQ9NTI2NQ&ptn=3&hsh=3&fclid=098c76f5-8a94-65e9-1b7c-67bc8bee64ad&psq=%e3%83%9e%e3%83%81%e3%82%ba%e3%83% 一部引用しておきます。 《マッチョとは、男性がもつという「強靱さ、逞しさ、勇敢さ、好戦性」といった性質を基礎とした思想や信条、行動をあらわす言葉。メキシコのスペイン語 macho(マチョ)「雄の〜」という形容詞が変化したもの。 machismo (マチスモ、もしくはマチズモ)は「男性優位主義」を指し、男性としての優位性、男性としての魅力、特徴を誇示する、という意味合いがある。》