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(318) Do not expose yourself befouled by the fireside in your house, but avoid this.
- (1)(ll. 733-736) Do not expose yourself befouled by the fireside in your house, but avoid this.
- (2) Do not beget children when you are come back from ill-omened burial, but after a festival of the gods.
- (3)(ll. 737-741) Never cross the sweet-flowing water of ever-rolling rivers afoot until you have prayed, gazing into the soft flood, and washed your hands in the clear, lovely water. Whoever crosses a river with hands unwashed of wickedness, the gods are angry with him and bring trouble upon him afterwards.
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▼(1)家の炉端で汚れた自分を曝すな、これは避けよ。 <ちょっと、気付いたこと> 英文はもっと具体的に書くのが普通だが、この場合は具体的でない。 ▽たしかに簡単ですが、後に続く文の前置き(総括?)として書かれているのでは。 ▽ただ、ちょっと気になるのが but avoid this です。その後のフレーズでは「埋葬の直後は子供作りをするな、but 神を奉る祭典の後ならよい・・・と対比になっていますが、だから but avoid thisを「これは避けよ」と同列で訳していいものかどうか、迷います。 ▼(a)beget childrenについて、普通はbeget a childではないか。双子のこともあるが。 ▽たしかにね、でも、複数形の children を、実際に存在している「子供たち」の意味ではなくて、単に子供を作る、子供なら、などといった漠然?とした「子供」と言う意味では、こうい書き方は結構見たことがあります。 ▼(b)when you are comeについて、be comeという表現は今までにもありました。訳は「帰った時は」と過去形の表現になる。意味が仮定法だからでしょうか。 ▽学校で教わる文法で考えたら奇異に感じますよね。おそらく、when you have come back と同じような感覚、つまり「帰った直後」とでも理解すべきなのでしょう。文意からしても、疫病で死んだかもしれない者に近寄った直後は伝染のリスクがあるわけだから。 ▼(c) ill-omened burialについて、古代ギリシャでも、葬儀は「縁起が悪い」と考え、塩を撒くとある。 ▽医療も医薬もまだ未開発であった当時としては、疫病の伝染は今日想像もつかないほどの恐怖であったろうし、それだけに、そうしたリスクを回避するための教えや戒め、風習なども多かったのでしょう。 ▼この文中に、同類の語が五つがあります。 sweet-flowing water, afoot, ever-rolling rivers, the soft flood lovely water。 この中で、afootが難しい。ever-rolling rivers とafootは同格の配置と考えました。そして、文章としては「祈りを済ませてから、渡れ」という意味のようでうが、この考え方は正しいでしょうか。 ▽ever-rolling rivers とafootがなぜ同格とお考えなのかがちょっと理解できませんでしたが、私は(Never cross, never be afoot) the water, (until)(prayed, gazing, washed,)と考えてみました。つまり、(探し、洗い清め、祈る)までは、(足を踏み入れてはならない、渡ってはならない)と。 ▼(3)(4)ともに、主文に対し、従属文が長い。従属文の配置によって、滑らかな文になるかもしれません。しかし、素直に読む、書いてある通りに読むとすれば、この訳し方でどうでしょうか。 ▽私は、ご質問者さまの和訳はとても素直で素晴らしいといつも思っています。あとは邦文としての滑らかさを、もうちょっとだけ「演出」すればいいかなと思うぐらいです。 家の炉端で汚れた自分を曝すな、これだけは避けよ。疫病の兆候があった者の埋葬から帰ったばかりの時だけは子供を作ろうとしてはならない。ただ、神を奉る祭典の後でならかまわない。流れの穏やかな場所を丹念に探し、澄んで清い川水で手を洗い清め、祈りを捧げ終わるまでは、絶えず滔々と流れる川の清らかな水に足を踏み入れ、渡ってはならない。邪悪を洗い清めていない手のまま川を渡る者は誰であろうと、神々は立腹し、その者に厄災をもたらすからだ。
お礼
回答を読んで。 拝読させていただきました。 waterに類する五つの言葉について、 見事な訳に接しました。 恐らく、Nannetteさんは、意訳すれば、凄い文章をお書きになる方 であろうと思いました。 ありがとうございました。