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お釈迦さまはなぜ我が子ラーフラを出家させたのでしょうか
定年後大学で仏教を学んでいます。お釈迦さまとその教え(今の葬式仏教ではありません)にすっかり魅せられているのですが、成道後お国帰りをされたお釈迦さまが、幼いラーフラを剃髪出家させ、父王や妃を哀しませた行為がどうしても理解できないし、許せないのです。他国では跡継ぎのない出家者は拒んでおきながら、なぜ後継ぎの絶え亡国の恐れのあるような行為をなさったのでしょうか。後には義弟のナンダにも出家を許しておられます。この時のお釈迦さまのお心が推測いただける方のご指導をお待ちしています
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釈迦族の国は滅びましたし、世界の他の国々も次々と存亡・変転を繰り返しています。 しかし、その中にあって、仏教やキリスト教等の宗教は、世界各国に広がると共に、数千年も続いて残って来て、この間に魂を救われた方々の累計は多大なものとなっています。 どちらがより多大な事業かは一目瞭然であり、当然お釈迦様にそれは明確に見えていたわけです。 また、父王や妃も、少なくとも帰天後、その様子はわかりますので、むしろよかったと思われたことは間違いないと思います。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
かたやお経、かたや黄金がおかれて、どちらを選びますかと問われて、さああなたはどちらをとりますか? という問答と同じですね。 黄金はこの世限りのものですね。つまり黄金は例え得たとしても死んでもっていけるものではない諸行無常なものですね。かたやお経は学べば学ぶほど価値があるということですね。 こういう価値観をもつ釈尊が子供になにを残そうと考えたかですね。 王宮の生活は諸行無常なものであるならより価値のある出家を贈り物とするのが父としても正しい道ですね。実際に釈迦族は後年、滅ぼされて皆殺しにあっていますね。 ラーフラの出家は仏教の本質が何かを考えさせる命題の一つでもあるわけですね。 仏教は学べば学ぶほど深く・広いのですね。
- QES
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釈迦は29歳で(出家と言われていますが、実際は)妻も子どもも捨てて家出しています。 つまりラーフラにとって父は長い間恨むべき存在だったはずです。 そのラーフラに、父は何故妻子を捨て、何を考え、何を目指しているかを示したかったのだと思います。 親を恨んだままの子どもが国の跡継ぎになるより、 跡継ぎはいなくなっても出家させて父の考えを理解させたほうが国のためになると考えたと理解しています。 もちろん凡人が考え得る憶測に過ぎません。
お礼
QESさま ご指導ありがとうございました。ラーフラにとって父が憎むべき存在とは。憎むとしたら妃のヤショーダラだと思い込んでいました。母が憎めばその怨念は子に移るっていいますから。 新しい見方ありがとうございました。
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8802/19961)
「王制が国を滅ぼす」と言う考えのもとでは ・他国については、後継ぎのない出家者は断る⇒誰かが跡を継げば国が滅ぶ。他国はどうなってもよい ・自国については、後継ぎを出家者させる⇒王が居なくなれば国は滅ばない。自国は滅んでは困る と言う思考が成り立ちます。 「王が居なければ国が滅ぶ」と言う固定観念を捨てて考えれば、釈迦の行動が理解出来ると思います。 また「王族として贅沢な生活をしている人が居る限り、その分、誰かが貧困に喘いでいる筈」という思考のもとでは「自分の子を、貧困の発生原因にする訳には行かない」という思考も成り立ちます。 釈迦本人がどういう考えのもとで行動したかは(本人が自伝を残した訳じゃないので)今となっては誰にも判らないでしょう。上記も「単なる推測」に過ぎません。 >どうしても理解できないし、許せないのです。 「本人と同一の思考回路」を持たない限り、他人の行動を理解する事は絶対に不可能ですし、その行為が「自己の行動理念」に反する物であれば、どんな行為であれ「許せない行為と感じる」のが当たり前です。 そういう「理解できない行為、許せない行為」を「無理に理解しようとせず、理解しようがしまいが、すべてを世の理(ことわり)とし、何も考えずにすべてを許す」のが「仏教の教え」のような気もします。
お礼
ありがとうございました。CHie65535さんのご意見「そういう「理解できない行為、許せない行為」を「無理に理解しようとせず、理解しようがしまいが、すべてを世の理(ことわり)とし、何も考えずにすべてを許す」のが「仏教の教え」のような気もします。」を読み、ハッと理解できました。まさにお釈迦さまが常々おっしゃっていることだったのですね。許すだの許さないのだの、2500年後の私が口走ることではありませんでした。よく理解できました。
お礼
ありがとうございます。まさにそのとおりと頭では理解しているのですが、長男の釈迦に去られ、いままた頼りの後継ぎラーフラに去られた父王の心根をおもんぱかると、わかっていながら「そこまでやるか」と、つい父の寂しい心根を思いやってしまうのです。でも2500年も経ってから、異国の凡人が悩むことではないと先の回答で悟ったものです。ありがとうございました。