• 締切済み

お釈迦様の出家について他

私は宗教を持ちません。又、宗教について勉強する機会その気も無かったので、これから書くことにはものすごい間違いがあるかも知れません。 その場合はその間違いを指摘した上で教えていただきたいのでよろしくお願いします。 1・お釈迦様の教えみたいなのに「良いこと言うなぁ。」と思う部分も有ることは有るのですが、どうにも納得できないのは、釈迦族の王子という責任有る立場にあり、奥さんも子供もいたのにそれらをほっぽって出家するという、有る意味自分勝手な行動を取ったことです。 そのことを納得させてくれる話しが有るらしいと聞いたのですが、私の周辺にはそれを知る人がいないので、ご存じでしたら教えてください。 2・お腹の空いた虎に身を投じて空腹を満たさせた弟子がいて、偉い人とされているそうですが、もし私の子供がそんなことしたら、悲しさとあまりの馬鹿な行動に発狂しちゃいそうです。 いったいこれの何処がそんなに偉い行動なのでしょうか? その弟子を食べた虎は一時は餓死を免れるかも知れませんが、お腹を空かせていたにはそれなりのわけがあるはずです。狩りが下手とか、その地域に獲物がいないのに移動しないとか。とするならばしばらくすれば結局餓死しちゃうじゃないですか。なのにわずかな間空腹を満たし餓死を免れさせる為に身を投じるなんて、あまりに浅はかで幼い行為にしか思えないのです。

みんなの回答

回答No.9

>義務やら責任やら妻子に対しての情とか諸々ありますけど、義務の概念がないならその他も同じような感覚でしょうかね。 情はあったようですね。ただ、時代と場所が違うだけに、質問者さんの考える義務という「モノサシ」がなかったようですね。 >取りようによっては本能のままのおおらかな感覚かもしれませんね。 本能のままというか、世の中が現代ほどある意味で複雑化していないころのお話ですからね。昔のお話を読み解くにはその時代背景も考慮しないと理解は難しいですよね。 >まぁ、宗教だから荒唐無稽な話も有りなんでしょうけど、それなりに良いこと言ってる仏陀の教えが、これのために安っぽい宗教に成り下がっちゃう感じがして、もったいないじゃないと思ってしまうのです。 あ、いや、私が言いたいのはむしろ後半の価値観の相違というところに重点を置いています。確かに、質問者さんの言うように一見、荒唐無稽なお話が多いように見えるのは、そのお話を読み解く「モノサシ」を間違えているからなんですよ。ちょっとそれは説明が難しいので、説明を省きますが、(すいまんね、それが一番大切なところなんでしょうが・・)まあ、安っぽい宗教にするのも、そうでなくするのも、日常生活ではどうしてもこびりついて離れない固定観念を捨てられる否かに掛かっていると思います。そこに出家の一つの意味があると見てはいかがでしょうか。

oobankoban
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 皆様の回答も踏まえて私なりに解釈したことは、人という生物が長い間命を繋いで生きている間に、科学が進歩するように考え方も進歩したのだろうと言うことです。 どのような考え方をし、どのように関われば、皆が仲良く心地よく暮らせるか。ってことについて、たぶん長い歴史の中で試行錯誤され今の感覚になったのでしょう。 未だに戦争があるって事は、今のがベストって訳じゃないですから、まだまだ変わって行くのでしょうけど。 従って仏教が発祥した頃の人との関わり方を、今の感覚で考えることに無理が出るって事ですね。

oobankoban
質問者

補足

皆様回答ありがとうございました。 この場をお借りして改めてお礼申し上げます。 私的には考え方が収まったので、これで締め切らせていただきたいと思います。 そこで問題がポイントですが、どなたにも差し上げたいのにそれは叶いませんので、今回はいっそ皆様無しということでお許しください。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.8

No.5です。 >>「早くカピラ城に戻り、妻と子供を喜ばせてやれ」っていうのが誘惑なのですか・・・。その魔の言葉って・・・魔なんですか?その言葉のどこに矛盾があるのか・・・?凡人の 私にはまったく理解できません。 ちょっと省略しすぎでしたね。魔は以下のように述べたのです。真ん中あたりでしゃべるのを止めておけば、魔の企みは成功し、釈迦は城に悟ることなく帰ったかもしれません。ちょっと長いですが、梵天を名乗った魔、マーラの演説は以下のようになります。 「お前は人間の基本を忘れている。人間の基本は結婚し、家庭をもち、子供をもち、そのなかで幸せに生きてゆくことだ。その幸せを捨て去って、妻も子も捨てて、木の下で禅定しているお前など、生きていていったい何の意味があるのか。お前は間違っている。早くカピラ城に帰り、妻と子を喜ばしてやれ。そうして喜ばしていくときにお前は大悟できるのだ。人間にはこの世の喜びを喜ばずして、来世の喜びなどというものはあるものではないのだ。この世で楽しめるだけ楽しみなさい。喜べるだけ喜びなさい。その喜びの量が大きければ大きいほど、来世の喜びも大きいのだ。お前は十分に喜んでいないのではないか。もっと家族との生活を楽しめ、もっともっと優雅な日々を送れ、それがお前の今世の修行の意味なのだ。」 この言葉を聞いて、妻や子を捨てた事への反省、父王、母や自らを育ててくれた人たちへの親不孝・不義理を感じ心はゆれました。ここは釈迦のいちばん痛いところです。でも、「この世で楽しめば楽しむほど、あの世での喜びも大きい」という言葉に、なにか微妙におかしいものを感じたわけです。正しいようでもあるが、かすかな食い違いがあるように感じたのです。また、それは「この世への執着では?」とも思えたわけです。 なお、魔とはいわゆる悪魔のことです。悪霊がチンピラとすれば、悪魔は暴力団の大ボスっていう感じです。このクラスですと、宗教家らしい説法を1時間でも2時間でもやっちゃうようです。並の宗教家では勝てません。言い負かされてしまいます。 >>親子といった人間的執着って・・・仏陀って悟ることで悩みを無くしたけど、人としての喜びも無にしちゃったんでしょうかね。 もちろん、無にはなっていませんが、一段高い認識を獲得して、まあ優先順位が下がったってことです。 >>この世が舞台劇であり、あの世が本来の世界なんですか・・なんかついて行けません。 もちろん、この文章に「わかりました。納得です」なんて答えが返ってきたら、「貴方はすごーい!!」ってなります。この短い、ありふれた文章の意味を理解するためにこそ、膨大な釈迦の教えの学習と瞑想と布施に伝道なぞをやっているわけですよ。

oobankoban
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 私、魔派です。 経済的理由と性格のせいで優雅とは行きませんが、家族で仲良く楽しく暮らすことは私にとって最高の人生なので、その中で起きる爆弾のような各種出来事も「なんとかなるさ」と乗り越えてこられました。 乗り越えてきた苦労のお陰で、現在は若い頃より幸せ度アップです。 欲が悩みの種とする仏陀の教えに助けられたこともあるし、世界一の政治家、聖徳太子が仏教派だったので、もう少しお近づきなりたいと思ったけど、もう良いです。ありがとうございました。

  • a375
  • ベストアンサー率30% (439/1421)
回答No.7

#3です。わざわざ長文の御礼分を頂戴いたし恐縮です。少し補足をさせて頂きます。>これはこのように普通理解されています。釈迦の前世の薩太子は数人の王子達と野遊びにで掛けたと時に、偶然数匹の子ずれの弱りきった虎に偶然出会います。ほかの王子達は逃げてしまいましたが、釈迦の前世の(サッタ王子)は人間を見ても弱り果て襲う気力もなく子供達と崖下でただうづくまっているだけの虎の親子を見てサッタ王子は哀れに想い弱りきって人さえ襲えない虎の親子に手近のたけを折り自分の体を切り血の匂いがすれば食べるだろうと自分の体を傷つけ血を流し、崖をの上れぬ虎の親子に身を投げるというのが大方のお話です。>なのにわずかな間空腹を満たし餓死を免れさせる為に身を投じるなんて、あまりに浅はかで幼い行為にしか思えないのです。は人間サイドから考えますとそのとうりですが、仏教から考えて見ますと、人間は毎日の空腹を満たすためにどれだ動植物の命を啄ばんでいるのか。何の権利があって幾万の命を私することが許されているのか。すべてが人間によって創造されたものでないのに。さすれば餓えた親子の虎に命を与えることは多くの無慈悲なことをなさねば生きてゆけない人間のささやかなお返しではないのか。だからこそ人間はこうした慈悲や布施の心を持たねばならないと仏教はいいたいのです。食事のときに「頂きます」というのは私は諸々の命を頂く感謝の意味と自分では解釈しています。「捨身飼虎」の例えは何千年も色あせないで今日存在するのは、その矛盾に抗いながらも全否定できない何者かが潜む説話と考えると興味深いものがあるとおもっています。>だからこそそれを知った民衆は感動するのでしょう。其れとともに人間以外の命にも慈悲と布施の心を配ることの大きい心をいにしえの仏教は求めたのでしょう。 。

oobankoban
質問者

お礼

再度回答ありがとうございます。 釈迦の前世の話なのですか。それは初耳です。 確かに、他の生命を奪わなければ生きられないのが人間です。 さらに、たくさんの人々の、農業や漁業に携わる人の労力、運ぶ人がいて、運ぶ車を作った人がいて、車が走る道路を作った人がいて、その他たくさんの関わる人がいて、私は食事ができ生きているのです。だから感謝をしているし、食べ物を粗末にしないように心がけています。 けれどどの動物もすべからく、自分の種を守り残すことが使命なのではないでしょうか。そのためには他の動物を犠牲にするし、それで自然界は均衡が保たれているわけです。 肉食動物は他の動物を襲い食べます。そこに人がいれば当然食べられます。人は雑食なのでなんでも食べますが、熊も木の実も食べれば鮭も食べるし人も襲い食べます。 防具や武器無しでは獰猛な動物に負けて、人は地上から消えていたでしょう。 人が偉いと思うから虎に身を投じてはいけないのではなく、それはやってはいけないことだと思うから嫌なのです。だって自殺じゃないですか。

noname#21974
noname#21974
回答No.6

簡単に述べます。 1.釈迦は悪の存在を認めています(釈迦の出家が悪であるかないかはともかく)。この認めるとは“容認・許容”ではなく“認識”です。 また、ご質問の件を釈迦自身は正当化していません(開き直ってもいません)し、自分は善人であるとも思っていません。ご指摘の通り無責任で自分勝手な行動です(しつこいようですが無責任で自分勝手な行動が悪であるかどうかはともかくとして)。 しかし、無責任で自分勝手だったからこそ出家して悟りを開く(善悪を超越する)ことが出来ました。これを“因果(プロセス)”といいます。 教訓 「悪いことをしないで生きていけると思ったら大間違い」 2.これは“布施”の精神を教えているにすぎません。間違っても「皆さんもそうしましょう」といっていると勘違いしてはなりません。 己の利害を考えず相手のために一心に施すことは尊い行いです。 一般的には浅はかで幼い行為にしか思えませんね。本当の布施が如何に難しいかがわかると思います。 参考 “仏教にはこのような残酷な話が多いんですよ” って、とこです! それではゴキゲンヨウ!!! (^^)/~~~

oobankoban
質問者

お礼

専門家様でらっっしゃいますか。回答ありがとうございます。 高校の社会科の先生が、「仏教は宗教では無い。哲学だ。」と言っていたのを思い出してしまいました。 聞いたときはなんじゃそりゃ、と思ったのですが、今回皆様からの回答を読んでいて、哲学気分です。さっぱりわからないけど^^;

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.5

No.1について  確かに、王子の地位の釈迦が、奥さんも子供も捨てて出家っていうことは、「釈迦族という民族・国を見捨てる」「家族を見捨てる」という行動といえるでしょう。彼が無知・無能で病弱ならば、「まあいいか」って面もあるかもしれないけど武道もOK、学問もOKで健康な体となれば、普通の人は納得できないですね。 悟る前に出家する理由としては3つあったようです。 1)自分のうちなる囁き  王宮での安楽な生活では満足できない。何かもっと大きな仕事をしてみたい。未知なるものが自分を待っているという内からの衝動。現代風にいうと「野心家魂」となるかもしれませんね。 2)修行や生老病死への疑問  月に一度は王宮で釈迦も、王子ならどこでもあるように、バラモン教?などの司祭に教えを受けていたようです。でも、彼らの話には納得できず「生老病死はなぜあるのか?」といった根本的な疑問にも答えは彼らからは得られない。この疑問を追求したいという「哲学的衝動」ですね。 3)自分を見つめてみたい  王子ですし、4人の妃がいれば、当然ながら聞かされることはゴシップの嵐です。女性はゴシップを食べて生きている生物のようにも思えたでしょう。静かに瞑想したり、哲学的思索に耽るってことは非常に困難な環境だったわけです。さらに、王子であれば、侍従・侍女もいたし、何か決めるも行動するも、伴の許可がいけないわけです。「なんとか1人になって自分を見つめられる環境をえたい」というのが3番目の理由です。 失礼な言い方をすれば、「自分探しの旅」に出たってことでしょうか? もちろんこの行動は誰からみても「責任放棄」な行動としか思えませんし、釈迦自身もそう感じていたのは確かですね。で、菩提樹の下で瞑想しているとき、悟りの直前に、ここの弱点を魔に狙われたわけです。「早くカピラ城に戻り、妻と子供を喜ばせてやれ」っていう最後の誘惑を受け、あやうくその誘惑に乗りそうになりました。でも、その魔の言葉の矛盾に気付き「梵天」を名乗る「魔」を撃退したわけです。そして最後の執着である「親子といった人間的執着」を取り去ることができたわけです。 そして「この世」が舞台劇であり「あの世」の世界が本来の世界だということが悟れれば、「親子」は単なる舞台上での役でしかありません。もちろん、通常は、その役割を十分に演じる必要はあるわけですが「人類の進化」を考えて「悟った人」つまり「先生役」を生み出すためには、その「責任放棄」は必要悪だったのだと思います。 No.2について これは、質問者の疑問も当然であり、たぶん「布施の精神」をわかりやすく弟子が話した逸話程度の話ではないでしょうか?

oobankoban
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 斬新で魅力的な出家理由です。 頭が混乱しそうなのは、悟りの直前のシーンです。 「早くカピラ城に戻り、妻と子供を喜ばせてやれ」っていうのが誘惑なのですか・・・。その魔の言葉って・・・魔なんですか?その言葉のどこに矛盾があるのか・・・?凡人の私にはまったく理解できません。 親子といった人間的執着って・・・仏陀って悟ることで悩みを無くしたけど、人としての喜びも無にしちゃったんでしょうかね。 この世が舞台劇であり、あの世が本来の世界なんですか・・なんかついて行けません。

回答No.4

No.1について つまり、王子としての「義務」はどうしたの?というもとですね。 まず、「義務」の定義を辞書で調べてみましょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%99 ざっと見て判るように中東・西洋宗教、あるいは、中国の論語にあるように、「義務」とは中東・西洋あるいは中国の哲学・宗教において論理的あるいは全体主義的に発達した概念なんですよね。質問者さんはご存知の事と思いますが、仏教の発祥は古代インド周辺とされていますので、当然質問さんが考えるような宗教・哲学を基盤とした、「義務」の概念などない時代のお話です。当然、出家を自分勝手などと考える人などまずいなかったのではないでしょうか。 No.2について、 そうですね、現代に通じる所では、例えば、ナイチンゲール。 ご存知の通り、多くの病に苦しむ人の為に人生をささげましたが、偉い人として尊敬を集めているのは周知の事実ですね。 では、なぜ、ナイチンゲールの何処がそんなに偉いのでしょうか。 ナイチンゲールに助けられた人は一時は死を免れるかもしれませんが、死の渕に落ちなくてはならない他の理由が沢山、存在しているのです。逃げるのが下手だとか、運が悪かったとか、その地域の戦闘状態が大変危険な状態にあったとか。とするならばしばらくすれば、いずれその人は戦死してしまうじゃないですか。なのにわずかな間、生き延びさせる為に、ナイチンゲールは人生をかけて、自分の身を危険にさらしたなんて、あまりに浅はかで幼い行為にしか思えない・・ことはないですね。 また、別の例えで、あなたのお子さんが虎などの猛獣に襲われそうになったら、あなたならどうしますか? あなたは自分がどうなろうとも(例え死のうとも)お子さんを守ろうとするのではないでしょうか。その弟子においては、その虎からわが身を呈して守りたかった対象物がわが子同様に大切な物だったということだけなのでしょう。

oobankoban
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 義務という概念がないのですか・・・。 義務やら責任やら妻子に対しての情とか諸々ありますけど、義務の概念がないならその他も同じような感覚でしょうかね。取りようによっては本能のままのおおらかな感覚かもしれませんね。 でも悟った後に反省しているようですから、やっぱり思うところはあったのかなぁ。 虎の話とナイチンゲールは全然違いますよ。だってナイチンゲールが助けたのは人間の子供だもの。生き延びる可能性はそれなりにあるし、その中の誰かは将来世界平和のために働く偉人になるかもしれないですよ。 私が我が子を助けるために我が身を投げ出すのも、我が子には私より将来があるからですよ。 私は寅年なのでありがとうございましたと言いたいけど、虎の為に命を投げ出すのはやっぱりいただけません。 まぁ、宗教だから荒唐無稽な話も有りなんでしょうけど、それなりに良いこと言ってる仏陀の教えが、これのために安っぽい宗教に成り下がっちゃう感じがして、もったいないじゃないと思ってしまうのです。

  • a375
  • ベストアンサー率30% (439/1421)
回答No.3

なかなか難しい問題ですね。>釈迦族の王子という責任有る立場にあり、奥さんも子供もいたのにそれらをほっぽって出家するという、有る意味自分勝手な行動を取ったことです。其れはこう考えられています。出自を観てみますと生後すぐ(7日)で母(マーヤ)を失い叔母に育てられていますが、そんな幼少の頃、あるお祭り(農耕祭)で心動かされることがありました。牛が土を耕すと、色々な虫達が掘り出され其れを忽ち小鳥が啄ばむとその小鳥を別な猛禽が襲って啄ばんで終う現場を目撃し、弱肉強食と力の闘争に激しく心を揺さぶられます。其れは今も存在するカースト制度が当時は今よりずっと激しく、粒さに目撃したこの激しい事柄と同じように人間社会でも厳然として行われていることに気づきます。母に早くから死別していたこと、生物世界に見る非情で力の争いが盛んであること、カースト制度による人間が人間を差別し虐げること、などが深い悲しみと苦しみを生み思索を深めて行くことになり、本当の幸せは心身両面の安らぎにあると考えます。つまり、ランク付けでは決められない「人間の真実の価値」を発見しなければならない思いが出家の道を選ばせます.この思いは強烈で、身の回りの絆や地位や名誉、克てて加えて妻子への愛情以上に「人生の真の幸福」を追求する念のほうが強く29歳でついに何もかも捨て去る道を選びました。自分の身の回りのしがらみは自分の事だけであり、もっと大きい人間全体から見た場合にこの悩みの比較の対象が余りにも小さく見えたことでしょう。私達の世界観や人間観のスケールの大きさが違いすぎるともいえます。此れに似た話はご存知のように「西行」にもありました。>腹の空いた虎に身を投じて空腹を満たさせた弟子がいて、此れは超有名なお話ですね。「捨身飼虎」、「施身聞偈」の物語は法隆寺に伝来する国宝・玉虫厨子須弥座両側面に描かれています。前者は『金光明最勝王経』捨身品、後者は『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』聖行品により菩薩(釈尊の前世)の善行として描かれていることで有名ですね。 これは良く聞く布施の究極の形としてのありさまを現すためのお話です。この布施とは、与える・施すという意味ですが、布施は財物を施すだけではありません。七つの布施があり、その内の一つで身施(しんせ)を現したものです。心身(しんせ)は他人に対する思いやりで、お釈迦様の前世物語で、虎に自分の体を食べさせたというような「捨身」の布施をなさったことの偉大さ、いわば仏教の偉大さを強調するためのお話です>なのにわずかな間空腹を満たし餓死を免れさせる為に身を投じるなんて、あまりに浅はかで幼い行為にしか思えないのです。其れはごもっともなお考えです。しかし宗教的な伝説若しくは物語りは少し現実から離れるいわば理屈の世界でなく情念の世界で論理を拒否するところがありこれは恋愛に似ています。言い換えればそこに身を投じて始めて解るところがあります。この捨身は仏教だけでなく例えばアーミッシュの方々を銃で襲った暴漢に14歳の少女が自分より小さい子供を救うため先に自分から撃つ様に暴漢に頼んだと報じられています。自分が撃たれることで弾丸が一つ減るからです。一つ減れば一つ命が残されます。これもこのお話と通じるところがあります。アウシュビッツでも似たようなお話は沢山ります。とどまるところ宗教は論理や理屈を乗り越えたものとご理解いただければ少しこのお話もご理解いただけるでしょう。そういう私も無宗教で、この理屈の溝を飛び越えられずに彷徨っている人間の一人です。ご参考まで。

参考URL:
http://homepage3.nifty.com/btocjun/rekisi%20kikou/houryuuji/4-syasinsyako.htm
oobankoban
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 幼いときに母親に死なれているのですか。それは知りませんでした。叔母さんがどのように育てたのか知りたいところです。その辺に私が納得できる答えがあるかもしれません。 人間の真実の価値や真の幸福を見つけたいと深~く思考するのはどこにいてもできること、っと後年になって解ったのでしょうね。反省しているようですから。 虎のほうは・・・ 山背大兄王が、聖徳太子の和をなによりも大切にする教えを引き継ぎ、多くの民を戦火に引きずり込むよりは自身の命を捨てることを選んだ話は、NHKで放映されたのを見て感動した記憶有りです。そこまで我が子に心酔された聖徳太子が益々好きになりました。 アーミッシュは知りませんでした。アウシュビッツは辛すぎて逃避しがちですがいくつかは知っています。 でもどれも虎ではなく人を助けるためにやってることですからね。 生き延びる可能性が少しでもあるなら、我が身を犠牲にして誰かを助け、その人に色々な意味で後世を託したいと願うからではないですか。 だからこそそれを知った民衆は感動するのでしょう。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.2

1、については 後に釈尊は「悟り」を開いた後に反省をしています。 「苦行こそが、臣民を救うための道である」と信じていた釈迦は、自分自身の「王」という立場ゆえ、それができなかったのです。 自分の息子にも「ラーフラ(迷い、の意)」と名づけていますね。 それが「さとり」の実現とともに「過ちである」と気づいたのです。 「若気の至り」といったら釈尊に失礼でしょうが。 2、については あまり知らないのです。 でも「犠牲」というのは「義」あるゆえ尊いのではないでしょうか?。 「義」の心、なのですから「結果」とか「それでどうなるか」ということは「無意味」です。 「捧げる事」に対して「純粋な」一心と化することが、彼の「信ずる」行為であり、「愛」だったのではないでしょうか?。 ・・私も正直言って「えー!!」なんですけどね・・。

oobankoban
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 反省しているのですか。ちょっと好きになりました(^^)

  • esezou
  • ベストアンサー率37% (437/1154)
回答No.1

oobankobanさん、今晩は。 私も特定の宗教の信者でも研究家でもありませんが、釈迦尊の残された言葉に共鳴します。 質問者さんと同様、もし釈迦尊に質問できたら、そのこと(1)を問いたいと思って、この質問に注目していました。 が今閃きました。 釈迦尊は王族であったので、そもそも子育てを自分でする(守る)という概念はなかった。 (一般に例えば王族は自分で下の世話もしなかったと推定)。 同様に妻は后であり、自分が守るという概念はなかった。 あるいは、この当時(この地方)、そのような男が妻子の扶養といった概念がなかった。 と思います。 王族の地位を捨てたのは、私には容易にわかります、説明困難ですが。

oobankoban
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 妻子に対する、生活とか、安全や生命を守るって言う意味では、王族ならば何も心配ないでしょうけど、奥さんや子供に対する情はどうなっちゃったんでしょう。情が希薄じゃないの?そんな人に本当の人の心の苦しみがわかるんかい?という気分なのですよね。 湧いて来ちゃう情さえ欲のなのかなぁ・・・。

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