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《ぼく(僕)》という呼び方は いいんでしょうか?

 《しもべ》って意味ですよね?  何の? 誰の? しもべなんでしょう?  たしかに漏れ聞くところによりますと ペルシャ語で バンデでしたか《しもべ》という意味の言葉が自称に使われたり あるいは アラブの人たちは 《神(アル・イラーフ)の僕(アブドゥ)》という意味で アブドゥ・アッラーフ > アブドッラーフ > アブドッラーという名前を人につけるようですが 日本語では どういう使い方をしているのでしょうか?  あるいは どういう考え方で使っているのでしょうか?

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noname#135843
noname#135843
回答No.15

 Hidocchiです。ご返答いただきまして、厚くお礼申し上げます。  前回からの追加でございます。 > ○ 書生のように世に出る前の下積み生活をする者が みづからを呼ぶとき へりくだって《ぼく》というのは よく分かる。  ○ なのに今では 同等か目下の者にこの同じ呼称を用いる。  ☆ というのでは いったいどういう用法の変化があったのかなどと問い求めずにはいられなくなります。  以下のサイトをご参照下さいませ。  http://ja.wikipedia.org/wiki/書生 「篤志家側も、地元出身のインテリ書生を抱えることはステイタスの一種であったこと、また、書生が運良く中央官僚などになった際には、多様なメリットが生じるといった打算的な考えを持つ者も多かったとされる。 明治時代後半になると、各学校の寄宿舎や学生用アパートが整備されたことから学生の書生は徐々に減少。昭和時代になると政治家や作家などの家に住み込み、特定の分野の下積みを行う者を指すようになった。」  また、一方では1926年には、「娘やるなら学士様へ」という映画もつくられたそうです。 ソース:http://www.jmdb.ne.jp/1926/bb001840.htm  以上から鑑みますと、徐々に”目下目線への変化”が見られたかと邪推している次第でございます。  従いまして、「ボク、お名前は?」と、男の子に聞くのも、昔の学士様に対して持っていた印象からと考えますと、案外”丁寧語”なのかもしれません。 >○《ぼく》という自称は どうも廃語にしてもよい。  ☆ と映ります。どうでしょう? 「ぼく」の使い方にも、微妙な変化が生じた現在では、以下の単語で、google検索しますと、 ボク少女 → 10,800,000件、 ボクっ子 → 11,700,000  という結果が得られました。もしかしますと、2、30年後にはまた違った意味合いになりそうな気がしている次第です。  ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

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 Hidocchi さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。社会事情の移り変わりにつれて言葉もその使い方に変化が生じる。その実際を探っていただいたかと思います。  そもそもとしましては この問題に取り組むに当たっては 二つの――単純なものですが――課題があったかと思います。  ひとつは 《しもべ》という意味を持つ言葉が 民主主義の世の中でどうして生きながら得ているのか?  1. おおよその見方としては へりくだりであり その習慣がただ続いている。  2. 単に昔からの惰性である。  もうひとつには 言葉が言わば自然に変化するのは 一般であり実際でもある。そのとき ただし 場合によっては人びとの考えにもとづき これこれはどうも相応しくないものとなっているという言葉については 人為的にも廃語とすることがある。  3. したがって (1)(2)いづれの場合にも 自然の変化に任せほうっておくか それとも人びとの総意によって使わなくするか。ふたつの場合がある。  わたしの漠然とした考え(その方向)としましては  4. へりくだりの意義があるだろうが 必ずしもその効用が一般的だと言えない部分があるのではないか? すべての人が《ぼく》を使わないと 使うか使わないかで或る種の格差が生じるおそれがある。  5. へりくだりの意義にしても 《しもべ》という意味は どうも現代にとってふさわしいとも思えない。人びとはこのことを意識しても――そして話し合っても――いいのではないか?  ☆ こういった方向でした。  この点は お伝えするのみとしますが 説明していただいた歴史的背景についてですが 一点なお理解の行き届かないところがあります。それを述べてお礼に代えます。  それは こうです。  ○ はじめは 書生がみづからのその書生であることの境遇にもとづき身の程をわきまえるために謙って使った。  ○ その後 その書生が中央官僚に出世するという事態が現われる。  ○ その将来の出世した立ち場から 同僚や目下の者に向かって 《ぼく》と自称したと言うのであれば それは もはや《へりくだり》の美徳とは別のものになっている。  ☆ のではないでしょうか? この点は解せません。見落としておられるのではないかと考えます。いぶかしいです。――それとも上にいる者はすべからくへりくだって下積みの頃の初心を忘れずに《ぼく》と自称するようになったと見るべきなのでしょうか?  この点 率直にお伝えして ひとまづわたしのほうからのやり取りはここまでと致します。(むろん お答えをいただけば 応答いたします)。  と考えるのですが いかがでしょう。

その他の回答 (40)

回答No.10

ブラジュロンヌさん。こんばんわ。 宙ぶらりんです。 >社会一般の場とは別の家族や身内のあいだにおける >私的な言葉の使い方としてではないでしょうか? :これはどういうことかよく分かりませんでした。 たとえば「被造物」であるわれわれが、 「創造者」に対して自分を「僕」と呼ぶのは そのような私的な言葉の使い方として、ですか? >謙虚という徳は 日本人にとって伝統なのでしょうね。 :これは謙虚なのでしょうか。 依存し合う相手を求めるがための処世術でもありそうです。 多くの男性にとって「会社」が「おかん」であるように。 さて。「おのれ」を縮めた「俺」の遍歴も面白いですね。 >おの‐れ / うぬ(cf.うぬ‐ぼれ) :こんなのもあるのですね。 これはちょっと問題があるような気もしますが、 しかし「うぬ」であるからこそ 対等なやり取りが成立するのではないかとも思います。

bragelonne
質問者

補足

 neutral さん ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   >社会一般の場とは別の家族や身内のあいだにおける   >私的な言葉の使い方としてではないでしょうか?  :これはどういうことかよく分かりませんでした。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは neutral さんご自身がおっしゃっていた内容をそのまま言いかえたものです。  ★★ (No.7) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ただし親が子に向かって「僕」というのはいいかもしれません。  首っ丈なぐらい恋をしていて従順たらざるをえないからです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち 家族・身内のあいだで ですね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  たとえば「被造物」であるわれわれが、 / 「創造者」に対して自分を「僕」と呼ぶのは / そのような私的な言葉の使い方として、ですか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ という場合にも当てはまるようですね。内面のことで 個人的だから同じ私的な用法になるのでしょうか。  ★ :これは謙虚なのでしょうか。  ☆ 《しもべ》と自称しておのれを低くしているわけですから このへりくだりは 謙虚につながると思います。  ★ 依存し合う相手を求めるがための処世術でもありそうです。 / 多くの男性にとって「会社」が「おかん」であるように。  ☆ これは 初めの志が 慣れ合いになると 別の側面が現われるという事例だと思います。  ですからわたしは 直前の質疑応答で 《人称代名詞は 中立のことばのほうがよいかも知れない》と述べました。へりくだりといった徳や志にかかわる呼称を使うよりは です。  ★ しかし「うぬ」であるからこそ / 対等なやり取りが成立するのではないかとも思います。  ☆ これはおっしゃる通りだと考えます。自由意志あるいは良心・信教の自由もしくは広く表現の自由 この自由にもとづいて《対等》であると考えます。  ここに 上に触れた《中立の呼称――つまり〈わたし〉ですね――》を用いるなら この自由とそれにもとづく対等なやり取りにとって いいかと思います。  もっとも 謙虚であろうとするのは 自由意志や表現の自由が尊ばれているところでこそ 自由に実行することができるというものでしょうけれど。  ○ おの(己)∽うぬ(自)∽あな〔あながち=あな(自)‐かち(勝ち)=強ち〕  ☆ のように三者が互いに語根を同じくすることは 定説だと思います。母音が交替しています。  全体として どうでしょうかねぇ。何かまだ欠けているかにも思えています。

noname#135843
noname#135843
回答No.9

 いつもお世話になっております。Hidocchiです。  ご参考になればと思い、筆をとらせていただいた次第です。  「御御御付け(おみおつけ)」は「付け」の丁寧語の積み重ねで、現在の「御御御付け」になったと言われています。 ソース: http://gogen-allguide.com/o/omiotsuke.html  おそらく、ひとが”糧”とさせていただいているものに対する、”尊敬”なるものが在った と思っております。  一方、「ぼく(僕)」はどうかと考えてみますと、こちらは「己( or 私)」に対する”謙譲語”化が進んだものと考えております。では、誰に対してか と申しますと、「”世間様”、もしくは”人様”」に対してだと考えております。  では、 >どういう考え方で使っているのでしょうか?  に対しましては、恐らく現在では、日常化してしまっているものと察しております。  そこでまた、以下の疑問も湧いてきます。  「日本人の”言葉”に対する意識の変化」とはどういったものか ということでございます。  悲しいかな、余り過去から学べなくなってしまっている現状もあろうかと推察している次第でございます。  ご参考になれば、幸甚に存じます。

bragelonne
質問者

お礼

 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  そうですね。二つほど前のご回答のころから  ○ おれ(俺)  ☆ の語源と用法について 迷い始めています。  まづは 日本人の謙虚の徳のもんだい。これを確認します。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  一方、「ぼく(僕)」はどうかと考えてみますと、こちらは「己( or 私)」に対する”謙譲語”化が進んだものと考えております。  では、誰に対してか と申しますと、「”世間様”、もしくは”人様”」に対してだと考えております。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ No.3の old_sho さんを始め 多くの方々からこの点を指摘いただいております。はっきりと   ★ 「”世間様”、もしくは”人様”」に対してだ  ☆ とここでおっしゃっていただきました。  ちなみに   ○ みづからの上司や主君に対して《僕》だということはありませんか? ――ま これは 疑り深いくせです。  そしていま一つの疑問です。  ○ もし謙譲の美徳として《僕》を使うという言語習慣が根づいたとしますと では それを使わない人たちは その立ち場などがどうなるのか?  ☆ 《わたし》を使う人たちは 肩身の狭い思いをしているのか? といった問いがついて来るようにも思われます。世間さまにへりくだって僕を用いる人びとが それを用いない人びとにそういう思いをさせるのは 本意ではないと思います。そういう社会の必ずしも合理的には行かないところもあるかに思われます。  ということは ひそかに・小さな声で わたしは 人称代名詞は 中立な言葉のほうがよいかも知れないと思っています。ちなみに公務員が 公僕として 《ぼく》を 男も女も使うのはよいかも知れません。  いろいろ述べました。けっこう元気になって来ていますね わたしも。ありがとうございました。

回答No.8

ブラジュロンヌさん。こんにちわ。 ご返信ありがとうございます。 「供」を調べると、 >1 一人称の代名詞、または自分の身内を表す名詞に付いて、  謙譲の気持ちを表す。「私―と致しましては」 2 人を表す名詞に付いて、複数であることを表す。  「若い者―が手伝いに来た」 ということなので、こどもに向かって「子供」というのは 失礼もはなはだしいのぢゃないかと思った次第です。 >自由としていいと考えます。 :そうなのですか。 いづれにせよ「僕」というのは、 特定の相手に対してのみ使うべき、ということでよいですか? ちなみにわたしはそう思っているのですが。 何気なく「俺様」という単語を使ったのですが、 「おれ」というのも奥が深いようですね。 「おれは」の向かう先として真っ先に思い浮かぶのが 「貴様(きさま)」です。 「僕は」の向かう先として真っ先に思い浮かぶのが 「あなた様」です。 すべての人間に対して「あなた様」と思っている人は、 「僕」を使ってもいいかもしれません。 そうでない場合は本人も気づかない「へそ曲がり」です。

bragelonne
質問者

補足

 neutral さん ご回答をありがとうございます。  いくらかわたしは うろたえて来ましたので ともかくよろしくお願いいたしたく存じます。みなさんにもよろしくご指導のほどをお願いいたしておきたいと思います。  ★ とも・供  ☆ これはどうでしょう? 考えなおしてみますに  ○ とも:友・伴なう  ☆ と同じ言葉ではないでしょうか? それを複数を表わすのに使っていませんか?  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  2. 人を表す名詞に付いて、複数であることを表す。   「若い者―が手伝いに来た」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この用例で 見下すような意味あいを帯びていると言うべきでしょうか? 《伴なう》のは 《自分より位の下の者をしたがえる》という意味合いが強いからなのでしょうか?   ということは 保護者もしくは保護者と同じ世代の者から見て   ○ 子‐ども  ☆ と言うのでしょうか? 《失礼》な感じがないとは言えませんね。  ★ いづれにせよ「僕」というのは、 / 特定の相手に対してのみ使うべき、ということでよいですか?  ☆ これは 社会一般の中の不特定の人びとと同じ人間関係としてある《特定の相手》なのではなく 社会一般の場とは別の家族や身内のあいだにおける私的な言葉の使い方としてではないでしょうか?  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  すべての人間に対して「あなた様」と思っている人は、 / 「僕」を使ってもいいかもしれません。  そうでない場合は本人も気づかない「へそ曲がり」です。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは 同じような趣旨で No.3の old_sho さんや次のNo.9の Hidocchi さんが 《世間様・人様》に対して 《私は貴方の「しもべ」ですよ、を表している》というようにおっしゃっているようです。  たしかにそのようなへりくだりが表わされているのでしょうね。謙虚という徳は 日本人にとって伝統なのでしょうね。  さて  ○ おれ・俺  ☆ についてです。こういう仮説を強引につくりました。一気に述べますと こうです。  ○ 《おれ》の意味(用法)の変遷 ~~~~~~~~~~~~~~  (1) おの【己】‐れ > おれ【俺】: 自称。   ↓  (2) おれ【汝】: 対称への転用。おまえ。   ↓  (3) おれ【俺】:ふたたび自称へ転用。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 文献は (2)から現われているのみ。  ○ 人称代名詞 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  再帰: おの‐れ / うぬ(cf.うぬ‐ぼれ)  I  : わ‐れ / あ‐れ  II : な‐れ / な‐むち(貴)>なんぢ(汝)  III : か‐れ / あ‐れ // かなた・あなた・そなた > IIへ転用。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ まだ何か落としているように思います。ご指摘のほどを。

回答No.7

ブラジュロンヌさん。こんにちわ。 い、いけませんとも。 状況に応じて俺様というべきです。 幼児や学童に「子」「供」!というのと同じぐらいいけません。 ただし親が子に向かって「僕」というのはいいかもしれません。 首っ丈なぐらい恋をしていて従順たらざるをえないからです。

bragelonne
質問者

お礼

 neutral さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  うーむ。なかなか深いですね。わたしは思いつきませんでした。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  い、いけませんとも。  状況に応じて俺様というべきです。  幼児や学童に「子」「供」!というのと同じぐらいいけません。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ (1) 《ぼく(僕)》は いけないのですね。  (2) 理由は   ★ 幼児や学童に「子」「供」!というのと同じぐらいいけません。  ☆ むつかしいなぁ。名前で呼ぶか《そこの人》とでも声をかけるかしますか?  《わらわ‐よ》とか 《少年‐よ 少女‐よ 青年‐よ》などと呼びかけますか?  ★ 状況に応じて俺様というべきです。  ☆ これは分かりにくいですね。これも むつかしいですね。  ○ 《おれ》は 《おのれ》を縮めただけ。  ☆ と思っていたら いま調べたのですが こうあります。  ▲ (大野晋ら:古語辞典) ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ おれ【汝・己】[代名詞]1.《二人称》 相手を低く見ていう。おまえ。  ・(事例) 《爾、此れをば飫例(おれ)と云ふ》 『日本書紀』神武即位前記  2.《転じて 一人称》 相手が同等または目下の時に言う。わたし。男女ともに使用。  ・(事例) 《〔男〕――とわごりょは好い仲ながら》 宗安小歌集  ・(事例) 《〔女〕――がいつも申すはそれよ》 御伽草紙・乳母草紙  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これぢゃ 手をつけられなくなってきました。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ただし親が子に向かって「僕」というのはいいかもしれません。  首っ丈なぐらい恋をしていて従順たらざるをえないからです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは 一般的な用法とは別の私的で特殊な使い方でしょうから 自由としていいと考えます。  とりあえずのお応えです。

  • ratesu
  • ベストアンサー率13% (16/122)
回答No.6

いいんです。何の違和感もない。

bragelonne
質問者

お礼

 ratesu さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  考えないってことですか?  ぢゃあ 年金のねこばばも考えないってことですね? その張本人は  ★ 何の違和感もない。  ☆ のでしょう。ね!

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

「あなた(貴方)」って、「あちら」と言う意味ですよね。「おまえ(御前)」、「彼」、「殿」、、、 「妹:いも、いもうと」、「悪」、「先生:せんじょう、せんせい」、「百姓」、「キリギリス」、「旦那」、「奥様」、「寺の大黒様」、「こだわり」、「バイク」、、、、 現在では皆、本来の使い方とは違っていますね。 「キロ」と言うと、日本ではどちらかと言うとKm、ヨーロッパではKgを指しますが、「キロ」の本来の意味はどちらも違いますね。 「おおきに」、「だんだん」、「どうも」等の意味の転換、「ほとき」と「ほとけ」の意味の交差、学名における「コマドリ」と「アカヒゲ」の入れ違いの定着、「ウグイス」や「イノシシ」の鳴き声の聞き取り方の変化の定着、「山茶花」、「数珠」の読み誤りの固定化等々。これらは氷山のほんの一角ですね。 言葉は生きていており、自己組織化とその崩壊を繰り返しながら、次々と新しい文化を作り上げて来ました。ですから、「昔はそんな使い方はしなかったよ」、「それって、意味が違うんじゃないの」、「どういうつもりで使っているの」と言われても、皆が使い出してしまった後では、何を今更と、目を白黒させる方がいっぱい居るのではないでしょか。 言葉の歴史を振り返ってみると、世代が一二代交代もすると、一々目くじらを立てなくても、「ぼく」という呼び方も余り使われなくなっていると思われます。

bragelonne
質問者

お礼

 ★ ・・・「ぼく」という呼び方も余り使われなくなっていると思われます。  ☆ この趣旨をそのまますなおに書きなさい。余分なことは要らない。分かりましたか。  それにしても 過去を清算してからにしなさい。尻ぬぐいも出来ないのかね。

bragelonne
質問者

補足

 人びとの意見によって廃語となった言葉の事例を挙げてみます。    ヰキぺで  ○ 死語・差別用語・放送禁止用語・言葉狩り  ☆ の項目を調べてみましたが わたしの感覚では たしかに《ことば自体に罪はない》というものがほとんどでした。  その中でそれでも 使われなくなったもの もしくは やめたほうがよいと思われるものを拾ってみます。  ● 毛唐(けとう): 本来は「毛唐人(けとうじん)」といい、毛色の変わった人たち、あるいは外国から来た人という意味。差別用語の一種。  ☆ それほど異常さを感じませんが そういう事例。  ● 白人: 今では「白人」ということばは平気で使われているが、本来は「皮膚の色が白い人」の意味ではなく、「うすらばかな人」の意味である。  ☆ という事例。  ● BG :  ビジネスガールの略。五島勉が流行させた語で女性会社員の意だが、本来は娼婦を指すとわかり衰退した。  ☆  OLとなりました。  ● トルコ風呂: 一般的には、中東の都市でみられる伝統的な公衆浴場であるハンマーム(アラビア語。トルコ語ではハマム (hamam) という)を指すことを意図する名詞であるとみなされるが、特に日本では、かつて個室付特殊浴場(ソープランド)の通称として「トルコ風呂」の語が使われていた。しかし、1984年に元トルコ人留学生の抗議運動がきっかけになって「ソープランド」と改称された。  ● 女性の客室乗務員: 初期には「エアホステス」「エアガール」、最近まで「スチュワーデス」と呼ばれていたが、1980年代以降、アメリカにおける「ポリティカル・コレクトネス」(この場合は性表現のない単語への言い換え)の浸透により、性別を問わない、"Floor Attendant"(フロアアテンダント)、"Flight Attendant"(フライトアテンダント)という単語に言い換えられた影響で、この和訳である「客室乗務員」(客乗)という言葉が正式とされるようになった。  ● 「エアホステス」という名称は、水商売のホステスに紛らわしいと改名された。  ● ブーメラン効果: 経済学で、発展途上国に移転した生産技術が、それを供与した先進国の市場を脅かす結果となる現象。  ☆ これは ヰキぺに廃語になったとは書かれていないが 《ブーメラン》が 殺傷のための兵器であるので 使わないように取り決め合ったのではなかったでしょうか。  だから 《生きている》ことばでも しかるべき理由があれば 使わないようにするのは 問題ないし そうするべき場合もあるでしょう。

回答No.4

こんばんは、bragelonneさん。 あなた→Youという意味合いで呼びかけるときのボク わたし→Iという意味合いで自分自身を語るときのボク Hey! boy! 【1.代名詞の種類】 http://www.aggressiveart.org/workshop/english_grammar_primary12_1.htm 【性 (文法)】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7_(%E6%96%87%E6%B3%95)

bragelonne
質問者

お礼

 littlekiss さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ふむふむ。  ★ あなた→ You という意味合いで呼びかけるときのボク  ☆ これは No.2の回答にありますね。おおよそ《幼い》相手に対してだけ使うと思うのですが どうでしょう?  ★ わたし→ I という意味合いで自分自身を語るときのボク  ☆ この場合です。質問が問うているのは。つまり どういう考え方で使っているのか? です。《しもべ》という意味の語ですよ!! いくらへりくだりにしても 今では似合わないのではないですか?  ★ Hey ! boy !  ☆ 《ぼく》のこと 呼んだ?  ★ 【1.代名詞の種類】  ☆ これは英語のほうです。でも 勉強家ですね。  ★ 【性 (文法)】  ☆ アフリカやアメリカ・インディアンの言葉についても触れていますね。これらいづれも勉強し損ねました。もうここらで打ち止めにしようと思って し残しました。舌で出すチェッという音が 子音のひとつになっている言語もあるとか。・・・  この言語の性の問題は 問題意識をしっかりと持てれば おもしろい課題となる分野かと思います。  この質問に絡めても 《ぼく・おれ・きみ・おまえ・わたし・あなた・あんた》の使用の問題としてかかわりますね そう言えば。  * ところで詩では 《ぼく》でしたね。  * 《おれ < おのれ》と同じ意味の《自分》が 自称( I )にも対称( you )にも使われる場合があります。  * あぁ そう言えば もし男が《ぼく》を使ってへりくだりの用法を採用しているとすれば 女は どうなんでしょう? 女は へりくだりの用法を持たないのでしょうか? ていねい語を使うことによって相手を敬うかたちを採っているのでしょうか?   * アンタは君(男性) アンティはあなた(女性)だそうですよ。アラビア語。

  • old_sho
  • ベストアンサー率38% (20/52)
回答No.3

そうですか! 広辞苑によると、「僕」は、成人前の男性が使うのですか。羞ずかしい、成人してからも使っていました。 今は、成人後の男性は同等以下の相手に、自分自身を指す時、何と言っているのですかね。 「僕」が「しもべ」を意味するというのは、後知恵としてはあるとしても、通常は「ボク」として刷り込まれていませんか。私の場合は、中学まで狭い地域であったので、「ボク」とは云いませんでした。「ボク」なんて言うと、都会者の鼻持ちならん奴、という感じでした。それは別として、「同等以下の相手に対して」というのがポイントですね。「ボク」という言葉が、自らをへりくださせる意味として、私は貴方の「しもべ」ですよ、を表しているという意識はなくなっても、その「使用法」にしっかり残っているのですね。同等以下の相手に、自分は、見下ろすつもりはないことの意を含めて「ボクは」と、私は話していました。「私としては」なんて言うと、構えている感じでした。 そういうのを、機微というのですか、日本語の良さ、と思います。もっとも、他国語のことは知りませんが。 「言葉」の直接の意味と、用法として意味ですね。両者を区別する事が出来ない、かもしれないですが、発話時に意識に上る「意味」と、反省してみて、そういう意味で使っていたなあ、とは、区別はされる。

bragelonne
質問者

補足

 old_sho さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  あっ   ★ 広辞苑によると、「僕」は、成人前の男性が使うのですか。  ☆ については わたしも初めて知りました。この質問を掲げてそのあと No.1のご回答へのお応えを用意するときに初めて知りました。  わたしの質問趣旨と言いますか問題意識と言いますかは 漢語ゆえに意味の意識が少ないものの 《しもべ》という意味の言葉を自称に使うのは 誰のしもべだと思ってなのか? これでした。  たしかに へりくだりの意味はあるはずなんですが もしそのときには (1) 同等の相手ならその相手も 同じくへりくだって《ぼく》で応じないとおかしいでしょうし。(2) 目下の相手ならその相手は しっかりと敬語をつかって応じるということが組合わせられていないと 宙に浮いてしまって意味をなさないだろうと考えられます。  どちらの場合も 相手がそのように応じるという保証はないですから 往々にして独り芝居になりかねません。少なくとも 現代においてはです。この現代というのは 戦後からの期間が当てはまるのではないでしょうか。  テレビでの会話においても この《ぼく》の使用は まったく恣意的に自由であって 決まりにのっとっているとは思えないのではないでしょうか? 用いるひとは  ★ 「僕」が「しもべ」を意味するというのは、後知恵としてはあるとしても、通常は「ボク」として刷り込まれていませんか。  ☆ という状態であると思われます。  ★ 私の場合は、中学まで狭い地域であったので、「ボク」とは云いませんでした。「ボク」なんて言うと、都会者の鼻持ちならん奴、という感じでした。  ☆ わたしも人口の決して多くない市で育ちましたが そこではこういう感覚も雰囲気もありませんでした。小学校では《ぼく・きみ・わたし・あなた》を推奨されていました。  ★ それは別として、「同等以下の相手に対して」というのがポイントですね。  ☆ これもわたしは 広辞苑の規定にしたがう必要はないと思います。《貴様》や《御前》が 敬語ではなくなって 俗語になるという変化もありますから 辞典の言う決まりは あってなきが如しではないでしょうか?  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  「ボク」という言葉が、自らをへりくださせる意味として、私は貴方の「しもべ」ですよ、を表しているという意識はなくなっても、その「使用法」にしっかり残っているのですね。同等以下の相手に、自分は、見下ろすつもりはないことの意を含めて「ボクは」と、私は話していました。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ おっしゃるような用法なら 言うこと無いでしょうが 希少価値があっても 一般的だとは思えないのですが?――もっとも 謙虚は 日本人の徳のひとつであるとは思います。廃れておらず 現実にはたらいていると考えます。でも そのために《しもべ》という意味の語を使うのは 今では大袈裟ではないでしょうか?   意味が意識されなくなったのを機に お蔵入りにしてはどうでしょうか? 《わたくし・わたし》という語があるのですから。  こう言うと それでは   ○ 《わたし》とは どういう意味か?  ☆ がまた問題になるかと思いますが どうなんでしょうねぇ。  * それに今では 女性が《ぼく》や《おれ》をも使うようになっているのでしょう?  * 《おれ》は 《おのれ》の約でしょうね。

noname#106800
noname#106800
回答No.2

小さい男の子に「ぼく~」というおばちゃんがいます。 僕には別に蔑んで使っているとは思えなかったです。

bragelonne
質問者

お礼

 ferpeaus さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ 小さい男の子に「ぼく~」というおばちゃんがいます。  ☆ いますね。昔から。と同時に どうでしょう? 今では 高校生ないし中学生にはもう《ぼく~》という呼びかけ方はしないでしょうね? どうでしょう?  ということは 何を意味するでしょう? たぶん この呼びかけに用いる場合では 相手が《幼い》ということを意味させていませんか?   そしてこの用法が一般的だということではないようです。  題目の  ☆☆ 《ぼく(僕)》という呼び方は いいんでしょうか?  ☆ この表現が舌足らずだったようです。《みづからの呼び方》と言うべきでした。  ですから その《おばちゃん》の用法にかんして  ★ 僕には別に蔑んで使っているとは思えなかったです。  ☆ というのは 単に言語慣習にしたがったというだけのことだと言えると思います。  言いかえると このとき ferpeaus さんが  ★ 僕には  ☆ と言って自称に用いておられる《僕》は 特に違和感などはありませんか? という問いになります。どうでしょう? なんら問題はないですかね。(つまり ないというご意見のようにうかがいました。ありがとうございました)。

  • x530
  • ベストアンサー率67% (4457/6603)
回答No.1

男性が自分自身を指す場合は「下男」という意味で、へりくだった言い方として使っているわけです。 別に「しもべ」という意味で使っているわけではありません。

bragelonne
質問者

補足

 x530 さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  いまこの質疑応答の場は閑散としている感覚があって 半ばお遊びですが むろん 哲学の問いです。  そうですね。ですが まづ意味ですが 《下男》は《しもべ》のことですよね。  ▲ (広辞苑:下男) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  1. 下働きの男。しもべ。下僕。  2. 江戸幕府の職名。女中方出入りの用部屋に一人づつ付いて雑役に当たった。御宰(ごさい)。  ▲ (広辞苑:しもべ〔下部・僕〕) ~~~~~~~~~~~~~  1. 身分の低い者。  2. 雑事に使われる者。  3. 検非違使庁の下級官吏で 盗賊の逮捕 捕囚人の拷問 流人の押送などをつかさどったもの。  4. 鎌倉時代 侍所・政所の雑事に従事した下役。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ただ おっしゃるように  ★ へりくだった言い方として使っている  ☆ ということは そのとおりでしょうね。したがってまとめて言いかえると  ○ 《雑事に使われる身分の低い者》という言葉を用いて 《へりくだった言い方》をしている。  ☆ と考えられますね。  ちなみに――と今頃そうしているのでは遅いのですが―― 《ぼく》についても辞書がどう言っているかを確かめます。  ▲ (広辞苑:ぼく〔僕〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~  [名詞] 人につかわれる男。下男。  [代名詞] 男子が自分自身を指す語。   もとは へり下った言い方。今はおもに成人前の男性が同等以下の相手に対して使う。(明治期から 初め書生言葉として 話し言葉で使われるようになった)。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  たとえば 《ナマステ》というあいさつ言葉は 《すべてお任せするほどにあなたを敬います》と言って 或る意味でへりくだっていますが これは 相手もそのように返すわけですから 互いにその人間性を敬っているのではないでしょうか?  《ぼくはうんぬん》という相手に対して《そうだな。ぼくはこうこうこうだ》と返すとき おおむね互いにへりくだり合って相手を敬っているというならわしに成るでしょうか? どうでしょう?  まぁ 《わたしは あなたの下男ですよ。あなたを敬います》という気持ちや心を表わしている人は まづいないと思いますが おおよそそういう一つの伝統でしょうか? どうでしょう?  * お礼欄では 字数が超えましたので この補足欄にてお応えしました。

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