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《ぼく(僕)》という呼び方は いいんでしょうか?
《しもべ》って意味ですよね? 何の? 誰の? しもべなんでしょう? たしかに漏れ聞くところによりますと ペルシャ語で バンデでしたか《しもべ》という意味の言葉が自称に使われたり あるいは アラブの人たちは 《神(アル・イラーフ)の僕(アブドゥ)》という意味で アブドゥ・アッラーフ > アブドッラーフ > アブドッラーという名前を人につけるようですが 日本語では どういう使い方をしているのでしょうか? あるいは どういう考え方で使っているのでしょうか?
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Hidocchiです。ご返答いただきまして、厚くお礼申し上げます。 前回からの追加でございます。 > ○ 書生のように世に出る前の下積み生活をする者が みづからを呼ぶとき へりくだって《ぼく》というのは よく分かる。 ○ なのに今では 同等か目下の者にこの同じ呼称を用いる。 ☆ というのでは いったいどういう用法の変化があったのかなどと問い求めずにはいられなくなります。 以下のサイトをご参照下さいませ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/書生 「篤志家側も、地元出身のインテリ書生を抱えることはステイタスの一種であったこと、また、書生が運良く中央官僚などになった際には、多様なメリットが生じるといった打算的な考えを持つ者も多かったとされる。 明治時代後半になると、各学校の寄宿舎や学生用アパートが整備されたことから学生の書生は徐々に減少。昭和時代になると政治家や作家などの家に住み込み、特定の分野の下積みを行う者を指すようになった。」 また、一方では1926年には、「娘やるなら学士様へ」という映画もつくられたそうです。 ソース:http://www.jmdb.ne.jp/1926/bb001840.htm 以上から鑑みますと、徐々に”目下目線への変化”が見られたかと邪推している次第でございます。 従いまして、「ボク、お名前は?」と、男の子に聞くのも、昔の学士様に対して持っていた印象からと考えますと、案外”丁寧語”なのかもしれません。 >○《ぼく》という自称は どうも廃語にしてもよい。 ☆ と映ります。どうでしょう? 「ぼく」の使い方にも、微妙な変化が生じた現在では、以下の単語で、google検索しますと、 ボク少女 → 10,800,000件、 ボクっ子 → 11,700,000 という結果が得られました。もしかしますと、2、30年後にはまた違った意味合いになりそうな気がしている次第です。 ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
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- littlekiss
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こんばんは、bragelonneさん。 ●littlekiss さん お早うございます。 いつまでも子どもでいつづける~♪ bragelonne です。 ↑ おい(-_-;)uuu… ●戦争をして遊びたいだけのものです。へへっ。 ↑ へへっ、て (-_-;)uuu… 《ぼく(僕)》ということで、子守唄を? ブレイクタイム! さあ 眠りなさい~♪ 疲れきった体を投げ出して~♪ 青いそのまぶたを~♪ 唇でそっと ふさぎましょう~♪ コラッ!ねるな!酔ってる場合でないってば、 特訓じゃー!ピシッ-☆パシッ-☆ 【ブレイクダンスマンのブレイクダンス講座】 http://bdm.boy.jp/elbowfreeze.html 【QNo.3325968 ほにゃらか形而左右学「ちから」2】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3325968.html
お礼
いやぁ わたしは甘えたですよ。―― littlekiss さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 【ブレイクダンスマンのブレイクダンス講座】 ☆ これは無理です。 ★ 【QNo.3325968 ほにゃらか形而左右学「ちから」2】 ☆ この中のやり取りで 特にいまピンとくるものがなかったのですが。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ● 戦争をして遊びたいだけのものです。へへっ。 ↑ へへっ、て (-_-;)uuu… ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 場所がわるかったですね。文章のつながりがまづかったですね。――あたかも教授が講義をするようなかたちで持論をぶってしまったなぁと思って へへっ です。 で スサノヲ魂は どうなんですか? 子守唄を歌っておいて ★ コラッ! ねるな ! ☆ ですか? 鬼ぃ!! もうネタが切れましたかね。お互い。 あるはずですが ぼくではなく《おまえ》のほうを別の質問でやっていますからね。 ムラのまつりを基礎として 基金を出し合っていくようになれば 《ぼく》という言葉は消えていくかも知れませんよ。 ニ階からのマツリゴトがあるから 使っているのではないですか? はいはい わたしはあなたのしもべですよ。と言って 二階人たちと応対せねばならないですからね。 国家はなくなりますよ。
- littlekiss
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おはようございます、bragelonneさん。 ★ 真珠夫人 ☆ の関係では どうも字面で捉える限りでは 《平等》を問題にしておられるのでしょうか? ○ 《しもべ》のごとく見られていた人間(または国)が 相手や世界に対して 自由に対等に向き合い付き合うようになること。 ☆ でしょうか? またそれなら 中国の少数民族の男と日本女性とのあいだに生まれた子として日本に連れられて来た結果 その養父母や義理の兄たちを初めとしてことごとく世界からうとましく見られることになった主人公(東太郎と言いますが)を扱った『本格小説』 これも 関係しています。 でもそれが 心の問い求めている主題でしょうか。 ↑ パパのような人に 惹かれてるような ~♪ 後に気付く なぞ ママのような人に なっていってる気がする~♪ 年とればとるほど なぞ なぞ 遺伝子 なぞ 遺伝子 なぞ 遺伝子 【キッズ/遺伝子って何かなぁ?】 http://www.kanagawa-coop.or.jp/wonderland/08_04idensi/0804_idensi.htm 【遺伝情報の発現、転写と翻訳 ~ 転写調節】 http://www.nig.ac.jp/museum/genetic/03_h.html 【国立遺伝学研究所-プレスリリース】 http://www.nig.ac.jp/hot/press/0707gojobori.html 解:『Xの悲劇』 【国税と地方税】 選挙のことはよくわからないけれど、選挙が近くなると新聞やTVのニュース番組で「財源を国から地方へ」という言葉をよく目にし耳にする。 国から地方へって、どういうことなんだろう? わからないから、ひとまずインターネットで「国税」と「地方税」を検索してみた。 【国税と地方税】国が賦課し、徴収する租税が国税、地方公共団体が賦課徴収する租税が地方税。国税には、所得税、法人税、相続税、消費税などがあり、都道府県税には、都道府県民税、事業税、不動産取得税などがあり、市町村税の代表的なものには、市町村民税、固定資産税などがある。地方税は、さらに都道府県税と市町村税とに分けられ、都道府県税、市町村税に関しては、国の法律である地方税法に基本的事項が定められている。と、書かれてあった。 平たくいえば、国に納められる税金と、都道府県と市町村に納められている税金があるってことみたいだ。しかし、わからない。何がわからないかといえば、「財源を国から地方へ」というところの「地方」がどこなのか?どこを指すのかが、わからない。(都道府県) なのか?市なのか?町なのか?村なのか?地方へ税源を移譲というけれど、地方と称するかたまりはひとつの丸のようでいて、その実いくつもの小さな丸が寄せ集まった集合体。 村がバラの1なら、町は10コでひとかたまり、市は100コでひとかたまり、(都道府県)なら1000コでひとかたまりと、一の位、十の位、百の位、千の位…万の位が国になろうか。 一の位、十の位、百の位、千の位…万の位と、数字を思い浮かべていると小学校の時に概数の解き方で四苦八苦したときのわけのわからなさが思い起こされる。(問題)次の計算の和や差を四捨五入して千の位までの概数にしましょう。と、千の位までのこの「まで」という言葉で悩んでしまう。千の位は含まれるのか含まれないのかと、これと同じく18歳以上と18歳未満の「以上」と「未満」で悩むように。ところで、税金は大きく分けて国税と地方税がある、国税と地方税の割合は税全体からすると3:2。税源移譲というと国がもつ3が1つ減り2となり、かわって地方がもつ2へ1つ加わり3となりということなのだろうか?1つ分け与えることで一見税源は移譲されたかにみえなくはないが、実際のところどうなんだろう?「地方」と称されるものは集合体の総称でありまたその一部でもある。分け与えられた1をさらに分配していくと幾らも残らないのではないか。ただ、移譲したという事実だけが残るのみ。四苦八苦し「財源を国から地方へ」と、高らかにうたい上げることが寒々しく思えてくる。兎角もっともらしく諸外国にくらべ日本の個人の税の負担率は低いといわれ消費税を上げる話ばかりがこれしかないように語られるているけれど、財源の分捕り合いをやめて、いっそうのこと、国税と地方税を一本化してそこから生まれる金利(利子)を財源に充てる方が困窮する暮らしの助けへの早道になりはしないか。 古くからあることばに「和を以て尊しと為す」と。集合体、おなじ円を描くならおおきな円を描いてみたい。 一部が全部、全部が一部、人と人とのまじわりよろしく税を育んでいく。 ●真珠がお好きですか? ↑ きらいじゃないよ。 真珠って奥が深い 真珠からいっぱい学ばせてもらってる。 いまだ、学習中! で、松岡なにがしというやからの文章は わたしには嫌悪感を催させます。と? うふっ。。。悶絶するお姿をひとめ見てみたい気も(^_-)-☆ うそうそうそ コワイってば、 ●評論する本の内容をなぞっているだけだからです。 そういう見方もあるやろうけど、こういう見方はできへんやろか? どういう見方? うん、たとえば… うん、これはやはりレヴィ=ストロースなのである。決してイブン・バットゥータやマルコ・ポーロなのではない。そこに魂で攻めこんでいった者だけが見える感想なのだ。 レヴィ=ストロースなのである。 ↑ と、あるじゃない。 で、あとに ↓ イブン・バットゥータやマルコ・ポーロなのではない。 と、ある。 この「―――なのではない」の「ない」がほんとうにそうなのかどうかを確かめるには… イブン・バットゥータやマルコ・ポーロを個別にあたらなあかん で、下の方でこんなんが書き置いてある。 参考¶カエサルや『ガリア戦記』をめぐる本はおびただしい。けれどもここでは二つの書物だけを薦めたい。ひとつはエドワード・ギボンの不朽の名作『ローマ帝国衰亡史』(岩波文庫)、もうひとつは『ローマ人の物語 』に収録された塩野七生の力作『ユリウス・カエサル』である。カエサルを読むことはローマ人のすべての物語の発端を読むことなのだ。 と。 こうして見てみると、松岡なにがしいうお方はプロモーター 巡回セールスマンちゃうやろか?
補足
ママのような人に なっていってる気がする~♪ littlekiss さん お早うございます。いつまでも子どもでいつづける~♪ bragelonne です。ご回答をありがとうございます。 その昔 木の実を取り集めたり魚や獣を取ったり(あるいは 牧畜もあったり)して生活をしていたのが 野生の麦や稲を栽培することを思いつき これを育てることを始めました。 稲の場合 一年の周期に合わせて秋になってようやく穫り入れになります。人びとは初穂を穫り入れると 村を挙げてこれを神に供え まつりました。この神との共食が まつりとなります。 村ごとに祭りを催します。収穫の具合いがわるい村には よい村が手助けし 食糧を融通します。 おそらくこの助けあいでは らちが開かないと思ったやからは ちからづくで奪うということもあったでしょう。 お山の大将というのは どこにでもいるものです。いつも人びとの視線を集めていないと生きていけないという人も いるようです。 やがて この情況から 村々をたばねて収穫物を独り占めしようという料簡を持った人間が出ます。 独占したとしても それをみんなに分け与えるのだよと言って 人びとを説得します。どうしてもこの偉い人になりたいという一心の人間に 人びとも根負けしました。かれらを社会にとっての神だなに揚げ 偉い人ととして祀り上げるようになりました。 つまりはここで 社会は 平屋建てから 二階建ての構造を持つようになったとさ。という物語ですが その第二階が 村ムラの《まつり》を仕切るわけですから これが《まつりごと》として制度となりました。 つまりは 村ムラの収穫物を――あるいはそれを貨幣に代えて――強制的に獲得するのが 《税》です。《まつりごと》はむろん《政治》ということです。 ○ 地域主権 ☆ という考えは 一階の一般市民らの《まつり》が 社会の主体であるという基礎に立とうとします。 ですから 二階が《まつりごと》として 一たん市民の仕事の成果から巻き上げるのではなく 各ムラのまつりを土台としてその共同自治のために みなが基金を出し合おうということになります。国は もうどうでもいいということになります。 二階建てになって頭で逆立ちしていたのを 足で立とうとするためのどんでん返しだと考えます。官僚も頭はいいのですから 今度は 各ムラ(市町村)で公務員としてその能力を発揮して欲しいと思います。国家などもうどうでもいいのです。戦争をして遊びたいだけのものです。へへっ。 こういうスサノヲの遺伝子は おありではないですか?
- littlekiss
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おはようございます、bragelonneさん。 ●今回のような文句が出るぅ? ↑ 文句って??? キャッチコピー 「僕は忠義をするつもり、緒友は功業をなすつもり」 出どころは… 「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」かな? ● ○ 自分自身に対して。 ☆ ですか? それなら分かります。 ↑ 自分自身に対して―――それなら分かります。って、あのね 忠の字を見れば… 上に中と下に心、あわせ読めば…中心…自己チュ―ってか? おい(-_-;)uuu… 【平行四辺形 性質】 http://curri.shizuoka-c.ed.jp/cpc/san_su/8nensikakuhousetu.pdf 【自己意識の自立性と非自立性 主と僕】 http://blogs.yahoo.co.jp/nasudaigakuin/58379491.html 【カエサル戦記】 http://www.chukai.ne.jp/~keigaku/kaesaruwar/keigaku-05.html http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0365.html ●あとは あなたの問いをもう少し詳しく説明してください。 真珠夫人を読んでいると、真珠ができるまでの工程のもとに書かれてある。 戦後、経済的に急成長を遂げた日本。 経済復興の一端を担っていたもののひとつに輸出品としての真珠がある。 西洋諸国の貴婦人の胸元を飾るほどに「日本」の名は世に知られるようになる。 敗戦国、野蛮人、ジャップと蔑まれた負のイメージを真珠の輝きが鏡の如くはね返す。 いまでは、公式の場に真珠を身につけることが約束事のようにさえなっている。 「翻訳の不可能性をめぐって」 http://aterui.i.hosei.ac.jp/Default.aspx?tabid=151
お礼
おはようございます littlekiss さん。ご回答をありがとうございます。 まぁ それにしても なぞのおんなでいらっしゃいますね。littlekiss さんは。 今回の文章をながめてつくづく思いますよ。 ★ 真珠夫人 ☆ の関係では どうも字面で捉える限りでは 《平等》を問題にしておられるのでしょうか? ○ 《しもべ》のごとく見られていた人間(または国)が 相手や世界に対して 自由に対等に向き合い付き合うようになること。 ☆ でしょうか? またそれなら 中国の少数民族の男と日本女性とのあいだに生まれた子として日本に連れられて来た結果 その養父母や義理の兄たちを初めとしてことごとく世界からうとましく見られることになった主人公(東太郎と言いますが)を扱った『本格小説』 これも 関係しています。 でもそれが 心の問い求めている主題でしょうか。 ★ 【自己意識の自立性と非自立性 主と僕】 ☆ これはもう少し現実的な議論になることを期待します。《主》も 《僕》がいてこそ《主》であるに過ぎないので くだらない話だという意味は伝わっていますが。 ★ 【カエサル戦記】 ★ 「翻訳の不可能性をめぐって」 ☆ それぞれが 大きな話題であり主題だと思いますが いまどのようにこの質問と絡めるか。もしくは littlekiss さんの主題と絡めるか。 それにしても littlekiss さんとやり取りしてきて このところ ともかくの第一幕を終えつつあるようですね。なんらかのひとつの主題に関心が絞られてきたのではないですか? むろん littlekiss さんのことですから ただちに翼をひろげて自由にはばたいていくという姿が現われることでしょうが ともかくもどこか落ち着いたステージに登場することになって来ているのではないででしょうか。 でもなかなか心の内は明かさない。のでしょうね。 そうそう。松岡なにがしというやからの文章は わたしには嫌悪感を催させます。評論する本の内容をなぞっているだけだからです。ですから どこがおもしろい ここがおかしい そこがいいと明らかにして提出してもらわないと 読む気が起きません。あしからず。 * 真珠がお好きですか?
- littlekiss
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こんばんは、bragelonneさん。 ●『本格小説』の批評と【Q:《ぼく(僕)》・・・】の問題とはつながらないですよ。 ↑ 繋がらんって? あほなこといいな。 「・」と「-」を繋げてみたんか? 『ザ・点つなぎ』お絵かき それでも繋がらんかったその時は… 【スケッチのための透視図入門1.入門の入門へ】の門を叩いて 「たのもうー」とおまじないひとつ 「僕は忠義をするつもり、緒友は功業をなすつもり」 【番組解説(あらすじ)】 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/shinju/story1_10.html 【薹が立つ】 (とうがたつ) http://www.h3.dion.ne.jp/~ajisai/jisetu/3gatu/zfuki.html 【黒蝶貝―――真珠】 http://www.k3.dion.ne.jp/~tsunami/jpnperles.htm http://www3.famille.ne.jp/~ochi/shinju/04-youshoku-shinju.html 【社會進化における女性の位置】 http://www17.ocn.ne.jp/~dprei3/008_fuzin/sinka_zyosei.html
お礼
No.14の補足欄(『真珠夫人』の批評)も読んでくれたのでしょうね? ――こんばんは littlekiss さん。ご回答をありがとうございます。――それで 今回のような文句が出るぅ? ★ 「僕は忠義をするつもり、緒友は功業をなすつもり」 ☆ 《忠義》ったって 誰に対して? 何に対して? ですか? ○ 自分自身に対して。 ☆ ですか? それなら分かります。 ★ 《真珠夫人》の【番組解説(あらすじ)】 ☆ 全然違っているぢゃないですか? 青木淳の弟の青木稔は出て来ず したがってのように 瑠璃子が稔に刺されるという事件はなく 遊廓の経営者になるなんて めっちゃ変わっているぢゃないですか。 これだと 杉野直也との関係のもんだいが ちょっと間延びしてしまう感じです。菊池寛の原作でなきゃだめのように思います。その原作も 極端な運びであって なんとも評しがたいのですが まとまっていると言えるはずです。 ただ考えてみれば 無理やり結婚した荘田勝平の死後 瑠璃子が男を手玉にとって悦に入るという或る種の復讐の鬼と化したという筋は その変わりっぷりが いまひとつ腑に落ちない。菊池寛も書いていないようです。そうして 悲劇としての結末へと進む。 もう一度ただ 瑠璃子が 荘田勝平の結婚申し込みを受け容れてその荘田と戦うというのは 社会との戦いだと言っていたので この捉え方は ひとつの世界観としてありうると考えます。みづからの望む相手との婚姻を実現させたいという願いは 世界観として立ち行くものと考えます。 あとは あなたの問いをもう少し詳しく説明してください。この能天気の人間には頭がまわりません。ほのめかしではなく 直截ことばにしてください。そういう問い求めがあればですが。あって ここに明るみに出してもよいとすればですが。 出すのなら出せるようにと 《腹が黒い》という言葉まで前回使ったのですが どうなっているのか わたしには分かりません。 ★ 【薹が立つ】 (とうがたつ) ☆ ん? かんけいあんの? それとも ★ 【社會進化における女性の位置】 ☆ といった社会思想のもんだいのほうに焦点があたっているのですか?
- littlekiss
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おはようございます、bragelonneさん。 《ぼく(僕)》という呼び方は いいんでしょうか? “九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く”とか… これについての分析・説明が大事件のところで足りません。とか… ↑ なんや《ぼく(僕)》は“足らん子”みたいやん~♪ ( ̄^ ̄) ぷい そない遠まわしに言わんでも“足らん”いうんは《ぼく(僕)》もわかっとう 大事にあっためとってもちっとも卵かえらへん? 「おかしいなぁー、おかしいなぁー、おかしいなぁー」と、おもいつつ 「なんでやろ? なんでやろ? なんでやろ?」 って …悶々… そないしとったら、どこぞからか声が、、、 「アホ、そら日が経っとうからや!!!」 あっ!? …(|||_|||) 絶句。。。 ううむ。ふうむ。(-_-;)uuu… 【付加年金 「第1号」向け上乗せ支給】 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/pension/20060724ik02.htm 付加保険料の納付が認められない人もいます。国民年金の保険料の免除を受けている人、65歳以上の特例任意加入者などです。サラリーマン世帯の専業主婦など「第3号被保険者」も該当します。ただし、専業主婦などは、国民年金への加入が任意だった86年3月以前には納付できたので、その分の付加年金は受け取れます。 また、老齢基礎年金に代えて障害基礎年金か遺族基礎年金を受け取るときは、付加年金は支給されません。 【中国の養蚕技術はいかにして西方に伝えられたのか】 http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter14/chapter140506.htm …雑記帳みたん?
お礼
littlekiss さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ 真珠夫人 ☆ いま読み終えました。こんな話だったんですか。ちっとも知らなかった。誰がわるい? 何がわるい? これについては改めて考えますが 今回と言い前回と言い つながりが分かりません。単細胞とは言いませんが わたしの脳はきわめて単純に出来ていて これはこれ それはそれ あれはこれではない それはこれではないうんぬんと言うのでなければ頭がはたらきません。 ★ 雑記帳――養蚕技術――年金――卵をあっためる――足らん――“九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く”とか…―― ☆ かすかにつながっているようでもあるけれど わからんよ。 ★ そない遠まわしに言わんでも“足らん”いうんは《ぼく(僕)》もわかっとう ☆ これは分かりやすい。すなおやしね。ただし 『本格小説』の批評と【Q:《ぼく(僕)》・・・】の問題とはつながらないですよ。そこをつなげてみたんかなぁ。 ★ なんや《ぼく(僕)》は“足らん子”みたいやん~♪ ( ̄^ ̄) ぷい ☆ 近来まれに見るすなおっちゃう? * 菊池寛もえらい小説を書いたもんですね。このあと考えをまとめます。
こんばんは、Hidocchiでございます。 >そうですね。社会事情の移り変わりにつれて言葉もその使い方に変化が生じる。その実際を探っていただいたかと思います。 愚生の記憶では(確かディスカバリーチャンネルだったかと思います)、「5万年後への”タイムカプセル”を作成する」というものがございました。 そこで、一番困難であったのは、「そんな途方もない時代に、どのような”言葉”で記録させればよいのか」であったかと記憶しております。 今回の、”対話”でも、”言葉”の持つ難しさを再認識させていただきました。 > ○ その将来の出世した立ち場から 同僚や目下の者に向かって 《ぼく》と自称したと言うのであれば それは もはや《へりくだり》の美徳とは別のものになっている。 ☆ のではないでしょうか? この点は解せません。見落としておられるのではないかと考えます。いぶかしいです。――それとも上にいる者はすべからくへりくだって下積みの頃の初心を忘れずに《ぼく》と自称するようになったと見るべきなのでしょうか? 申し訳ございません。愚生にも邪推の域を全く出ないのですが、愚生ことHidocchiは、公の場でも、”小生”という言葉をよく発しておりました。 以下のサイトをご参照くださいませ。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3001768.html つまり、自分では謙遜のつもりではいたのですが、実情は異なるようでございます。恥ずかしながら、つい最近まで、小生=愚生と解しておりました(実際、goo辞典にも、ほぼイコールのように載っていたかと思うのですが.....)。 従いまして、「ぼく」におきましても、本人の意志とは無関係に、現在の使い方になったのかとも考えている次第でございます。 >ひとまづわたしのほうからのやり取りはここまでと致します。 ”ここちよい対話”をさせていただきまして、厚くお礼申し上げます。愚生と致しましては、感謝の念でいっぱいでございます。 本当に、本当に、ありがとうございました。
お礼
Hidocchi さん こんばんは。そうなのですか? つまり――ご回答をありがとうございます―― ★ 「小生」は、目上の立場のものが、下のものに対して、へりくだって言う場合に使用。目上のものに対しては、通常使わない。 ☆ とのこと。 ただわたしの感覚では 友の一人にこの《小生》を使う者がいまして これは 《同僚・同輩》に向けて用いていると思っていました。その点――同等な相手のばあい――については くだんの質疑応答は触れていないようですね。 いやはや 現実は理性的であれかしとは申しますが この世は合理的に行くものではないようですね。 もう何が何だか分からなくなったと ちらっと言ってみたくもなります。 使うべき漢字や使ったほうがよい漢字を決めたり カタカナ欧米語を和語漢語に直す作業も進められていると思いますが 日常の言葉についても ひととおりは見直して欲しいものです。 もう少し開いていて この質問はひとまづお開きとします。いつもいつも ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
- littlekiss
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おはようございます、bragelonneさん。 (*^^*)>゛゛゛ども。 ヌカにはクギを。 ちょいと錆びたのを一本! 茄子のお漬物付けるにはクギが効く 色鮮やか-☆ こう暑くちゃ食欲も落ちる あっさりとお茶づけ サラサラ お漬物 パリポリ < よく噛んで “ 残暑お見舞い申しあげます! ” ★ 真珠夫人 ☆ ずいぶんこだわっておいでですねぇ。・・・ ↑ お茶づけ サラサラ♪♪ サラっと 流されちゃ 消化不良を 起こすって、 よう噛んでくれな ガブッ=З ガブッ=З 「妾(わたし)」《ぼく(僕)》 1号被保険者 2号被保険者 3号被保険者 【国民年金加入者「1~3号」って?】 http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/trend/nentakun/kaikaku241.htm 3号被保険者…2号に扶養されている配偶者で年収130万円未満の人が対象。 3号被保険者って女性とは限らない。→2号に扶養されている配偶者 専業主夫ってのもいまどきめずらしくもない… 僕は今1号だけど… 卒業して会社で勤め始めれば2号… 自営になればまた1号… 結婚して家庭に入れば3号… あっ!? … 遺族年金が出ない???
お礼
littlekiss さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。お礼が遅れております。 ★ 菊池寛:『真珠夫人』 ☆ おもしろいぢゃないですか。ただしいままだ 瑠璃子と荘田勝平との結婚式が終わったところです。ユディットは ひとをあやめるという手段にまでうったえて国の人びとを守ろうとしましたね。壮絶な物語のようです。 この間 別の小説を読んでいました。(ただし 真珠夫人は長い。以前に《ルパンの奇岩城》も長かったぁー。)。 ○ 水村美苗:『本格小説』 ☆ ちなみにこれも長い。《上》が469頁 《下》が412頁。白いぽっちゃり♪絡みになりますが 読みました。いい結果ではなかったので ここで感想を述べます。 一言でいえば 本格的な大河小説にして失敗作です。 二言でいえば 人間観察が鋭く深く追究されていて しかも肝心のところでこれを避けている。 三言でいえば まづ人間が描かれています。心理分析は言うに及ばず これが人間だという思索のあとを散りばめ しかもそこに無理がなく 読者はじゅうぶんにゆったりと自由に遊べる。ここぞと言うところで それが欠けている。よく言えば読者の想像に任されている。 四言でいえば 人間観察においてこれでもかこれでもかと読者を引っ張って行きながらまるで読者と競うかのごとく その人間観察世界選手権大会を開催しているかのようです。《なぜこう考えそうしたか》 きちんと考察が行き届いています。ただひとつの事件を除いて。 問題点としていえば――これは 恋愛小説なのですが―― なぜこのとき男は女に また女は男に このように振る舞ったのか。これについての分析・説明が大事件のところで足りません。旧い言い回しでいえば 九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く だと思いました。 * 菊池寛の孫が やはり編集関係の仕事だと聞いています。 ▲ 城島明彦(作家)の『ちょっとあぶない雑記帳』 ○ 菊池夏樹・・・ http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/06/post-7d49.html (この城島くんは 人生の遅い時期になって話をするまでに知り合ったわたしの同学年の同窓生で 一時期ほぼ絶交状態だったのですが またやり取りしています)。 * 年金は 微々たるもので 話す気にもなりません。 * 鸚鵡返しですが “ 残暑お見舞い申しあげます! ”
補足
★ 『真珠夫人』 ☆ についてです。(2009.08.20) こういうかなしい物語については 批評も出ないですね。 瑠璃子のたましいに向けて 戻って来いよと言うしかないですね。 誰がわるい? 何がわるい? 強いていえば ○ 瑠璃子の初恋の人・杉野直也 未亡人となった荘田夫人こと瑠璃子にいかれてしまった青木淳と青木稔 ☆ これらの青年が しっかりしていないから悪循環が起きた。かれらが日本人の典型だとすれば 日本人全体がわるい。 ひとりのスサノヲも出なかったのか? こんなところですかね。 ところで littlekiss さんは ご自分の感想を明らかにしないのですね。腹が黒いから? 瑠璃子と共鳴するところがあって 批評しがたいから?
こんばんは、 ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。 今回も、回答に窮するご指摘をいただきまして、少しばかり冷や汗をかいている次第でございます。 >みづからの上司や主君に対して《僕》だということはありませんか? 小生は原則、会社等では、「わたし」or「わたくし」と言っておりますので(「公」に対して「私」でございます)、今まで気にも留めなかったのですが..... 以下のHPをご参照くださいませ。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/178501/m0u/僕/ では、 「(1)一般に対等または目下に向かって用いる。「おれ」よりは丁寧。」 とございます。確かに、今までの人生を振り返ってみますと、目上の人(例えば、前会社の社長等)は、「ぼく」と自称していたかと記憶しております。となりますと、いつの間にか逆転現象(今度は、丁寧語への変化)が生じてしまっているように見受けられます。 ここら辺の状況は小生にも全く分かりません(誠に申し訳ございません。さらに調べてみたいと思っております)。 >○もし謙譲の美徳として《僕》を使うという言語習慣が根づいたとしますと では それを使わない人たちは その立ち場などがどうなるのか? ☆《わたし》を使う人たちは 肩身の狭い思いをしているのか? といった問いがついて来るようにも思われます。世間さまにへりくだって僕を用いる人びとが それを用いない人びとにそういう思いをさせるのは 本意ではないと思います。 確かに、小生の見解では、このような事態を生じかねないと思っております。因に、上記HPでは、 「明治以降、「ぼく」の形で書生などが用いるようになり、現代では男子の自称として広く用いられるようになった。」 とございます。そこで、 ・書生:他人の家に寄宿して、家事や雑務を手伝いつつ勉強や下積みを行う若者のこと。 と定義させていただきますと、謙遜の美徳よりも、かような生活状況下では、「ぼく」と用いるのも、ある意味自然かとも考えられます(つまり、前回の小生の見解は、誤りであったということでございます)。 しかし、それが現代では、なぜ「ぼく」と称するするようになったのか との疑問が生じてきます。 そのまま書生の方々の真似が、そっくりそのまま普及してしまったのか? もう少し考えてみたいと思います。 ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
お礼
Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 なかなか面倒なことにあい成った感があります。述べていただいたことに沿って考えれば なるほどそうであるように思われます。 ○ 書生のように世に出る前の下積み生活をする者が みづからを呼ぶとき へりくだって《ぼく》というのは よく分かる。 ○ なのに今では 同等か目下の者にこの同じ呼称を用いる。 ☆ というのでは いったいどういう用法の変化があったのかなどと問い求めずにはいられなくなります。 挙げておられる参照辞書の中に 次がありました。 ▲ (goo 辞書:ぼく【僕】) ~~~~~~~~~~~~~~~~ (2)漢文の中では、古代から男子のへりくだった表現として用いられるが、「やつがれ」などと訓読されるのが一般である。 ▲ (同上:やつがれ 【▽僕】 ~~~~~~~~~~~~~~~ (代) 〔「奴吾(やつこあれ)」の転。古くは「やつかれ」〕一人称。自分自身をへりくだっていう。上代では男女ともに用いた。 ・ 「亦―憂へまうす所なり/日本書紀(安閑訓)」 ・ 補足説明:近世には、男性がやや改まった場で用い、明治以降は書生言葉などで用いられた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ さらに こうです。 ▲ (同上:やつこ(奴)) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・補足説明: 「家(や)つ子」の意(名) (1) 古代の賤民のうち、もっとも下級の奴隷。また、身分の卑しい者。 ・ 「住吉の小田を刈らす児―かもなき―あれど妹がみためと私田刈る/万葉 1275」 (2) 家来。下僕。 ・ 「其の家に一人の―あり/今昔 2」 (3)(4)省略。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ こう見て来ますと ○ 《ぼく》には 《或る人(主人)に従属している人》という要素があるようだ。 ☆ と考えられます。もしこれだけから短絡してよいとすれば ○ 《ぼく》という自称は どうも廃語にしてもよい。 ☆ と映ります。どうでしょう? いやぁ みなさんにも大いにご意見をたまわりたく思います。
- littlekiss
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おはようございます、bragelonneさん。 と、ごあいさつしたもののテンとジョーはぐーすかぐーすかと寝とります。 あっ?! テンとジョーいうてもご存じない方もおられることでしょうから 【QNo.4942224すべてのひとを説得することができますか】http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4942224.html 詳しくは、回答番号:No.21を(^_-)-☆ 『メリケンサック』のカップリングには『デトロイト・メタル・シティ』がいいんじゃないかな。 メリケンサックをみてて思ったんだよ。 25年前の映像とはつゆ知らず「新人発掘!」と、意気込み売り込みかける一方、映像で目にした彼らを捜しにではみたもののそれらしき人は見当たらず…が、しかし、な、な、なんとなんと目の前の人がその人当人。映像で目にした人物とは似ても似つかぬ、だが、同一人物。さーて困った。売り込みは既にかかっている…。走り出した列車は急には止まれない。進むも地獄、止まるも地獄。地獄の中の闇を劈く音、音、音。パンク。過去をひきずりつつも一歩踏み出す。一歩踏み出すことによって何かが変わる。古いと思えていたものを新鮮と感じる感覚が蘇る。 女は瑠璃… 光届かぬ海に沈み、救済の時を待つ 無垢な魂が流す涙は やがて身を隠すベールとなり 冷たい輝きを放ち始める 真珠のように… 『真珠夫人』中島 丈博 (著)〈上〉〈下〉 (徳間文庫) (文庫) http://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E5%BE%B3%E9%96%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E5%B3%B6-%E4%B8%88%E5%8D%9A/dp/4198927103/ref=sr_1_28?ie=UTF8&s=books&qid=1250357668&sr=1-28 『真珠夫人』 菊池寛 (著) http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/13217_18030.html …二つの真珠夫人 「必ず綺麗な体で戻ってきます」の言葉通り、菊池寛作の本も復刻版が書店に並ぶ 【QNo.3199322自分のことを「私は女性です」「私は男性です」】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3199322.html ↑ フランス語に堪能な方もおられることでしょうから、何かアドバイスを寄せてはくれないかと… 【なぜ名詞の性ができたのか フフンス語の性はどのようにしてできたのか】 https://club.asahipress.com/text-web/france/colum6.pdf 中性名詞はなぜ消えたんだろうか? 地方揮発油税…揮発…消える 暫定税率下がると…それによる税収も下がる? 高速道路料金1,000円、利用者が増えた。ガソリンの需要は今後増える? 徐々に電気、水素燃料車が登場してくることを考えにおくと…一過性 地方揮発油税全額譲与されたとヌカよろこびになりはしないか?
補足
littlekiss さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ 地方揮発油税全額譲与されたとヌカよろこびになりはしないか? ☆ ほとんど考えていませんでした。元も子もないことを言いますが 限られた税収としての金額を国と地方とで取りっこするのには 興味がありません。市町村自治体が互いに融通しあうような共同自治へと持っていきたいと考えます。いまのままでは国の人間は信用できん。なんちゃって。 ★ 真珠夫人 ☆ ずいぶんこだわっておいでですねぇ。・・・ ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 女は瑠璃… 光届かぬ海に沈み、救済の時を待つ 無垢な魂が流す涙は やがて身を隠すベールとなり 冷たい輝きを放ち始める 真珠のように… ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《輝き》はなんで《冷たい》の? ★ テンとジョー ☆ 目を細めているのか 眠ってるのか。前の写真では 黒のほうは よく見ると目つきがこわいかも。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【QNo.3199322自分のことを「私は女性です」「私は男性です」】 ↑ フランス語に堪能な方もおられることでしょうから、何かアドバイスを寄せてはくれないかと… ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このつながりも今回分からないのですが? そもそもこういう表現をする場合というのは限られていませんか? ふつう適切に《女・女性・あるいは女性性》などを使い分けていると思うのですが? 次の問題は 大きな課題であるように思います。 ★ 【なぜ名詞の性ができたのか フランス語の性はどのようにしてできたのか】/ 中性名詞はなぜ消えたんだろうか? ☆ 《思います》というのは よく分からないからです。《中性名詞の消えたの》は 歴史的な経過として分かっているでしょうが それにしても残っている言語もありますし 男性・女性の区別は間違いなくしているわけですから いったいどうなっているのでしょう? 生物の性別に合わせて男女の文法としての性も現われ 無生物にもこの区別をあてはめていったというのですが――そこでは アニミスムの原始心性がはたらいたというのですが―― これらにはわたしはピンと来るものがありません。分かりません。 なぜ言葉にも性別を与えなければならないのか? おしえてください。 ○ 両数(双数) dual ☆ というのが 単数・複数のほかにある場合がありました。目・耳・手など二つ揃ってひと組であるものについて 単数でもなく複数でもなく別様に用います。 poet の語源として poieo (為す・行なう)という動詞がありますが これが 単・両・複数の主語それぞれに合わせて活用します。 ○ (両数の問題:その活用形)~~~~~~~~~~~~~~~~ 現在形として 単数 I poieo 我為す。 II poieeis 君為す。 III poieei 彼為す。 両数 I ―― II poieeton 君ら二人が為す。 III poieeton 彼ら二人が為す。 複数 I poieomen 我らが為す。 II poieete 君たちが為す。 III poieousin 彼たちが為す。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この両数という文法形式は必要ないと思います。それと同じように 文法の性別も不必要だと思うのですが どうでしょう?
- littlekiss
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こんばんは、bragelonneさん。 今日は公休で一日寝て一歩も家から出るまいと決めていたのですが… テンとジョーがケイタイの充電器のコード噛みちゃちゃこにしたもんですから使えない。仕方なく、チャリンコ走らせショップまで充電器を買いに出かけました。出かけたついでにDVDをレンタル。何を借りてきたかといえば、『少年メリケンサック』他数枚。 * あぁ そう言えば もし男が《ぼく》を使ってへりくだりの用法を採用しているとすれば 女は どうなんでしょう? 女は へりくだりの用法を持たないのでしょうか? ていねい語を使うことによって相手を敬うかたちを採っているのでしょうか? ↑ なにもていねい語を用いなくとも相手を敬う気持ちをしめすことってあるんじゃないかな? たとえば… 「必ず綺麗な体で戻ってきます」 ドラマ『真珠夫人』のなかのセリフにみることできないかな? 【QNo.3199322自分のことを「私は女性です」「私は男性です」】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3199322.html
お礼
littlekiss さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ふーむ。 こんどは ほんとうは 言葉使いのもんだいではないよ とおっしゃっているのですね。 ふーむ。 それなら 《ぼく》でへりくだることも 一法であるけれど それがつねによいとは限らない。別の方法もありますよ。となりますね。 ふむふむ。 これは どうも別のところでの《クリスマス・ツリーは飾りをすべて取っ払ってもツリーである》に似ていますね。 * テンとジョー まだいるのですか。それにしてもうまいこと名づけたものですね。 * 【QNo.3199322自分のことを「私は女性です」「私は男性です」】――これについてはざっと読みましたが 男・男性 女・女性 それほど違いについてピンと来ていません。もう眠いからだろうか。 * あれっ ドラマ『真珠夫人』って お昼の番組でしょう? 何でお存じなのですか? そう言えば話題になっていましたね。あっ それとも菊池寛でしたかの原作を読んだんですか? * 『少年メリケンサック』は知らないよ。
補足
Hidocchi さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 そうですね。社会事情の移り変わりにつれて言葉もその使い方に変化が生じる。その実際を探っていただいたかと思います。 そもそもとしましては この問題に取り組むに当たっては 二つの――単純なものですが――課題があったかと思います。 ひとつは 《しもべ》という意味を持つ言葉が 民主主義の世の中でどうして生きながら得ているのか? 1. おおよその見方としては へりくだりであり その習慣がただ続いている。 2. 単に昔からの惰性である。 もうひとつには 言葉が言わば自然に変化するのは 一般であり実際でもある。そのとき ただし 場合によっては人びとの考えにもとづき これこれはどうも相応しくないものとなっているという言葉については 人為的にも廃語とすることがある。 3. したがって (1)(2)いづれの場合にも 自然の変化に任せほうっておくか それとも人びとの総意によって使わなくするか。ふたつの場合がある。 わたしの漠然とした考え(その方向)としましては 4. へりくだりの意義があるだろうが 必ずしもその効用が一般的だと言えない部分があるのではないか? すべての人が《ぼく》を使わないと 使うか使わないかで或る種の格差が生じるおそれがある。 5. へりくだりの意義にしても 《しもべ》という意味は どうも現代にとってふさわしいとも思えない。人びとはこのことを意識しても――そして話し合っても――いいのではないか? ☆ こういった方向でした。 この点は お伝えするのみとしますが 説明していただいた歴史的背景についてですが 一点なお理解の行き届かないところがあります。それを述べてお礼に代えます。 それは こうです。 ○ はじめは 書生がみづからのその書生であることの境遇にもとづき身の程をわきまえるために謙って使った。 ○ その後 その書生が中央官僚に出世するという事態が現われる。 ○ その将来の出世した立ち場から 同僚や目下の者に向かって 《ぼく》と自称したと言うのであれば それは もはや《へりくだり》の美徳とは別のものになっている。 ☆ のではないでしょうか? この点は解せません。見落としておられるのではないかと考えます。いぶかしいです。――それとも上にいる者はすべからくへりくだって下積みの頃の初心を忘れずに《ぼく》と自称するようになったと見るべきなのでしょうか? この点 率直にお伝えして ひとまづわたしのほうからのやり取りはここまでと致します。(むろん お答えをいただけば 応答いたします)。 と考えるのですが いかがでしょう。