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心は形を求め 形は心をすすめる の意味、由来

心は形を求め 形は心をすすめる という言葉が好きなのですが 誰の言葉なのか改めて検索してもうまく見つかりません。 仏教の言葉ということは何となくわかったのですが... また、意味合いも解釈の仕方が、たくさんあるようで... 答えはひとつではないと思うのですが、 この言葉について知識がある方ご返答いただけるとうれしいです。 また、もしこの言葉の英訳ができる方がいましたらそちらも返答宜しくお願い致します!

みんなの回答

noname#88701
noname#88701
回答No.4

「形直ければ影自ずから正し」 という言葉を思いだしました。 昔から言われている言葉だと思います。 心が生みだす形象と形象が求める心の一致を指しているのだと思います。

回答No.3

 仏教での由来はお二方の仰せのとおりでしょう。  形、状況、そして環境などは私たちのような初心のものには良い方向にも、そうではない方向にも大きな影響や効果があるものです。  そのことは相当に行をしてきている人にも言えることではあります。  パタンジャリはご存じと存じます。  ヨガシュードラで、修行での基底のものから順次高度なものへの段階を説明しております。  ヤマ、ニヤマ、アサナ、プラナヤマ、プラチャハラ、ダラーナ、ディヤーナ、そしてサマディです。  ヤマ・ニヤマは倫理、宗教の遵守と実行です。  アサナは心身の構え、形です。そしてこれは決心と信仰の態度です。  プラナヤマはプラナという意識と生命性のコントロールです。したがって、呼吸と意識、精神心理の制覇です。  それからプラチャハラは、生命と意識を現象から根幹に戻す行です。  ダラーナは陀羅尼と成っていますが集中です。  ディヤーナはダイアナにもなっていますが、瞑想です。  そしてサマディは三昧ともなっていますが、根幹一体です。  ここでアサナはいろんなヨガの教室がつまんで教えている、いわゆるポーズを含みますが、肉体や精神心身のきちんとした形です。  40年や50年でも、私たちにもこの形は修行には大切です。  修行も大きくはそういう現れているもの、形状ですが、その目的は解脱です。解脱はどこかに脱出するのではありませんが。  解脱にはそういう修行も大事なことです。  ご参考までに。

youoshimi
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

「心は形を求め 形は心をすすめる。」 仏像の譬でしょう。 形というのは仏像(シンボル)のことですね。 信仰は仏像を必要とし、仏像は信仰を勧める。という意味ですね。 いろんな風に使われますが、本来は仏像の意義でしょうね。 偶像否定の宗教文化から出てる言葉ではないですね。

youoshimi
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#91067
noname#91067
回答No.1

「心は形を求め 形は心をすすめる」いい言葉ですね。  出典元は私もわからないのですが、仏教の教えらしい言葉で 「内を変えたければ外を変える、外を変えたければ内を変える」 というのがあるそうです。 心はまだ表に現われていない内(裏)に秘める想像力、可能性。 形(表)そのものが機能の現われでもない。 自分の想像力、可能性を変更をしたければ、とりあえず形から入ってノ リやすくして?相手や環境が耐えられないものならば、受け入れたり自 分が変わると相手は変わらずにおれないものとなったり 段々見え方もが違ってきたりする。 分岐点は突然来るもののようで、採用に迷って止まるよりは、手探りで も行ったことのない道に一歩踏み出すなら珍しい拾得物を増やして得す ることだってある。(とも限らないが)なんて自己流な解釈です。

youoshimi
質問者

お礼

ありがとうございます。

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