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帝国陸軍について
ノモンハンの夏を読みましたが、辻政信の越権行為が余りにも目に付きます。たかが少佐に過ぎない彼が、なぜここまで好き勝手にやれたのか?上司が抑えるか、軍紀に照らして予備役にすればよいと思うのですが。なぜできなかったのか?ここでやっておけば、シンガポールの華僑虐殺、パターンの捕虜虐待、ビルマでの人肉食強要などが無かったと思うのですが 陸軍に詳しい方宜しくお願いします。
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現代の自衛隊でも、帝国陸軍でも指揮命令はハッキリしていて、直属の上官からの命令以外は遂行してはならない事になっています。従って少佐参謀の命令など出しようも無く、又従う必要も有りませんでした。何時の時代にも法の拡大解釈が行われ、軍隊と言う官僚機構にも、事なかれ主義が横行していたのです。 大本営からの作戦指導と言う事でしばしば参謀が方面軍に派遣され、方面軍の軍司令官は、中央に阿る為に、作戦指導に従うべしと現地の師団長に指導及び、命令していたようです。実際の権限は本来、作戦の立案と言うアドバイスでしかないのに、これで指揮命令権を持ったかのように解釈されるようになってしまいました。指導を指揮命令権とすり替えてしまう様な事態は、本来非常な間違いなのですが、硬直化した陸軍の官僚体制がこれを許してしまったのです。 作戦の立案と指揮権は全く別物です。こんな事になったのも、幼年学校出で、陸士、陸大のコースの多い参謀集団の常識の無さです。師団長も、連隊長も、大隊長もこのコース卒が多い同窓生の組織では、戦争に勝てるわけが有りません。現代のキャリアー官僚もこの弊害に陥っているようです。
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- kawakawakawa13
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日本と欧米の軍隊で、一番違うのは、欧米の、特にアメリカ軍では、命令は明確に作り、誤解・曲解の仕様の無いようにするそうですが、日本では、「細部は…に指示させる」等の、丸投げ命令がほとんどです。 「末端での自由度を確保する」のはいいのですが、その結果、暴走が多くなったのは、ご存知のとおりです。 日本の場合、主な通信手段は有線電話、モールス通信が主で、ラジオテレタイプ等の高速通信手段が無かったため、命令・報告の伝送速度が極めて遅く、それを補うために現場での独走を許さざるを得なかったのです。 >シンガポールの華僑虐殺、パターンの捕虜虐待、ビルマでの人肉食強要 これらは別問題です。 架橋は、いわゆるゲリラ活動が原因で、国際法上問題は無いですし、バターン半島の件は、元々日本の兵站能力は低く、日本兵からすれば優待していたくらいです。 長期間食糧不足の中篭城していたので、日本兵には「当たり前」レベルの行軍に、耐え切れなかったのです。 意図しての虐待ではありません。
お礼
陸軍の構造的な問題と通信手段の問題もあったわけですね。ありがとうございます。
- augustinus
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ノモンハンの夏は呼んだことがないのですが、当時の時代背景や日本の組織構造を鑑みるに、ノモンハン事件は辻一人ではなく、そもそもは関東軍と東京の参謀本部との確執によるものと考えた方が現実的だと思います。 日本の帝国軍は、海軍の地位が高く(日露戦争の影響から)陸軍が一段低い扱いでした。そんな中で、関東軍は、日露戦争後に満州に置かれた軍隊で、ロシアの防波堤として満州におり、度々北進を試みていました。 当然ノモンハン事件当時もまだ北進を虎視眈々と狙っていた頃で、いくら内地から中止を出されても、関東軍全体の雰囲気としては、戦線拡大でしたので、辻の行動を黙認したということです。 また、辻自体も、石原莞爾に近づいたり、宮家に近づいたりと人脈を広げていましたから、なかなか潰し難い存在であったことも考えられます。
お礼
ありがとうございます。たしかに本には、関東軍と参謀本部には確執があったとありました。互いに感情的なしこりがあったようです。
お礼
帝国陸軍の構造的問題は現代にも通ずるものがあるんですね。ありがとうございます。