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帝国陸軍あるいは海軍由来の産業あるいは技術はある?
戦後の日本では軍需産業は壊滅しましたが、形を変えて現在でも脈々と生きているものは何かありますか。某ホテルの回転展望台が戦艦大和の巨砲を支えていた台座由来という話は聞いたことがあります。
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>軍需産業は壊滅しましたが、形を変えて現在でも脈々と生きているものは何かありますか。 色々と、あります。 極端な事で言うと、軍需技術のお陰で日本の技術産業が進歩した!と言っても良いでしようね。 >某ホテルの回転展望台が戦艦大和の巨砲を支えていた台座由来という話は聞いたことがあります。 これは、有名な実話ですね。 巨大な主砲を左右に動かす事は、当時では日本だけが可能でした。 「小さな力で、大きな力を出す」という、相反する技術でした。 で、現在でも生きている軍事技術は・・・。 先ず「カメラレンズ」ですかね。 ニコンとかペンタックスなどの国産カメラレンズは、世界一位ですよね。 それまでは、ドイツ企業が世界一の性能・品質でした。 この国産レンズ技術は「ゼロ戦・隼などの戦闘機のコクピットに使用するガラス」技術から誕生しています。 自動車のモノコックボディー製造技術も、戦闘機ボディー製造技術からです。 三菱のゼロ戦と並んで優秀な(陸軍)戦闘機だった「隼」を生産していた中島飛行機(現スバル)は、戦後「飛行機製造技術を元に、自動車産業へ進出」しています。 スバル360(俗称てんとう虫)は、戦闘機のコクピットにエンジン・タイヤを付けたとの説もあるのです。^^; またまた自動車に関してですが、自動車躯体の軽量化です。 強度を下げないで、躯体の軽量化を図る事は並大抵のことではありません。 ドイツなど外車は「躯体重量は変えないで、強力なエンジンで性能を出す」 ※重い車両には、強エンジンを搭載して性能を上げる。 日本など国産車は「躯体重量を軽くして、通常エンジンでも性能を出す」 ※車両重量を下げる事で、強力なエンジンを積まなくても性能を上げる。 中国国内では、今でも「日本車は、軽いから強度が無い」と多くの方が信じています。 これは、三菱ゼロ式戦闘機の設計思想が元になっています。 「ゼロに会ったら逃げろ」 これが、連合国側パイロットの合言葉でした。 が、不時着したゼロ戦を回収研究した結果「超軽量化の為に、一部箇所の強度が弱い」との弱点が暴露。 ※不時着した戦闘機は「爆破」との命令でしたが、不時着した当時のパイロットは「無人島なので、爆破しないで帰還」したのです。 ※偶然、アメリカの猟師(漁師)が島に上陸して不時着したゼロ戦を発見。米軍が回収。 まぁ、軍需技術と産業技術の境界線はありません。 原子力発電所を造る事が出来れば、原爆は直ぐに造る事が可能ですから・・・。
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- kitsunetoneko
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既に 回答が出ていますが,兵庫県西宮市の新明和工業は,昔,飛行機を作っていたと,亡き父から聞いたことがありますが,現在も,新明和工業には,航空機関係の工場などがあるようです..又,兵庫県神戸市に本社のある川崎重工(旧川崎造船か)や,三菱重工(神戸造船所)などは,太平洋戦争中などは,いわゆる戦艦や潜水艦ですか,陸軍用の戦闘機なども作っていたようです(故障が多い)が,現在は,造船関係は,自衛隊の潜水艦などの,三菱重工だけでしょうか‥‥自動車やトラック関係で言うと,愛知県のトヨタ自動車とかでしょうか‥太平洋戦争中は,あまりふるわなかったようですが,戦後に,急速に,自動車関係で,躍進しましたね‥‥松下電器なども,旧日本軍に,協力していたようですが,ラジオは,今でも,作っているのでしょうか‥‥靴メーカーで有名な,リーガルは,もともと軍靴を作っていたそうですよ..
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実に多様な企業が戦争に関係していますね。自分も検索してみたところジューキは重機関銃を作っていたとはおどろきでした。名前がそのまま生き伸びたというのも興味深いことだと思います。
- hikikomorin
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現在の新明和工業の前身は、川西航空機と言う会社で、旧日本海軍の水上飛行挺、水上戦闘機、中でも、有名な機種では『紫電改』を作っていました。新明和工業となった現在でも、海上自衛隊に、海上飛行挺を納入しています。
お礼
新明和の場合技術的にとぎれることなく、飛行艇としてよみがえったのでしょうか。二式大艇という飛行艇は旧海軍では唯一の4発航空機だったそうですね。紫電改とはどのような関係があったのかと興味があります。
- eroero4649
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かつて日本随一の生産地であった八幡製鉄所は、そもそも富国強兵の軍需物資を作るために明治時代に作られた所です。んで、昭和初期に日本はそれまでの繊維業を中心とした軽工業国から重工業国へシフトしようと官民あげて頑張ったのですが、なにぶん当時は日本国内に重工業関係の需要がそもそも存在しなかったので、軍事費として軍艦や戦車、トラックの生産として需要を創出したって背景があったのです。 ですから、日本の重工業関連はほぼ全て陸海軍とは切っても切れない関係にあったといえます。トヨタや富士重工(すばる)、三菱、いすゞなど戦前から続く自動車メーカーはほぼ全て軍用トラックか戦車か戦闘機(爆撃機)かその全てを作っています。三菱がその典型ですね。川崎も三式戦闘機飛燕というのを作っていますが、この飛燕も割と直線番長で、カワサキの直線番長は戦前からの伝統であるともいえますね・笑。 まあ、それをいうたらアメリカの戦車はGM製だし、スピットファイアのエンジンはロールスロイスで、メッサーシュミットのエンジンもダイムラーベンツです。 ホンダは戦後にできたメーカーですから、軍需関連とは関係ありません。 他には、ニコンは戦前、戦中は軍用カメラ、及び光学機器の製造をしていました。特定のメーカーというわけではないですが、乾パンは元々軍用食ですね。 ああそういえば、ヤマハは戦前と戦争中は航空機用のプロペラを作っていました。ピアノを作っていたので木の加工技術が高かったからです。「お前、ピアノ作れるならプロペラも作れるだろ」ってわけです。それがそのうち「プロペラを作るならエンジンも必要だよな」でエンジンも作るようになったという話があります。 あの0系新幹線を設計した三木忠直氏は海軍技術仕官で、銀河などの設計をしました。新幹線には航空機のテクノロジーが生かされているのです。 第二次世界大戦というのは国家の全ての力を結集した「総力戦」という戦争なので、その当時に存在した産業や技術はなんだってかんだって使えるものは全て戦争に使いました。どこの国でもね。アメリカも国内の数学者に暗号解読の依頼なんかをしていましたからね。日本人がコカ・コーラの味を知ったのは、進駐軍からです。
お礼
人間は戦争が好きだということでしょうか。原発にしても原爆と関係がありますね。基本的原理が共通していれば何でも戦争の役に立つということでもありますね。
国土交通省・国土地理院は,陸軍陸地測量部の地図製作事業を引き継いでいます。
お礼
なるほど、これはまさに途切れることなく現在まで継承されていますね。現在の保健所は戦前の内務省管轄で秘密警察のような部署からできたという話はあまり根拠はないのかもしれませんが、国民の健康を管理するというのも見方によっては秘密警察のようなものかなと妙な連想をしてしまいました。地形の調査にもいろいろな利用法がありますね。
- silverakun
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現在のスバル自動車が、太平洋戦争までの航空機メーカーである中島飛行機でした。
お礼
飛行機より自動車のほうが作りやすかったかもしれませんね。いすゞや日野より技術的には有利だったのでしょうか。
お礼
戦争と平和の境界はないというのが結論だったらちょっとさびしい気もします。だからこそ戦争はしないで平和を選ぶという風にいかないかと思います。