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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:従軍歴の調べ方を教えてください。)

従軍歴調査法とは?父の軍歴を詳しく知りたい

このQ&Aのポイント
  • 亡き父の従軍歴を調べています。防衛省や大阪府庁での調査では詳細がわからない部分があります。中部第25部隊やビルマでの業務についても知りたいです。
  • 父の従軍歴について詳しく調べたいです。門司から乗った船の名前やラシオでの師団所属についても知りたいです。
  • 父の従軍歴について詳しい情報を知りたいです。ビルマでの業務やクンユアムでの転進ルートについても調査しています。また、ナコンナヨークでの捕虜収容所についても知りたいです。

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  • mk57pvls
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回答No.1

こんにちは > 中部第25部隊とはどういう部隊だったのでしょうか。記録は残って > いないでしょうか。 中部第25部隊 正式名称は"第4師団捜索第4連隊補充隊(通称:淀4076部隊)"連隊本部 は大阪市天王寺区の(現)真田山公園にありました。 "捜索第4連隊"自体は、元は明治29年"騎兵第4連隊"として創立、明治29 年に軍旗奉載、昭和18年に装甲車4個中隊に改編され"捜索第4連隊"と 改称したとのことです。 捜索連隊とは 旧日本陸軍での独自の呼称の部隊で今で言うところの 「偵察部隊」に該当します。 捜索第4連隊(騎兵第4連隊)についてはネット上にもいろいろと記録 があるようなので、その名前をキーに検索されてみるといいと思います。 さて、中部第25部隊は上記連隊の"補充隊"となっていますので、文字通 り前線に展開した連隊に対する補充兵の教育部隊であったようです。 こちらに関する具体的な情報はほとんど見当たりませんでした。 ただ"立命館大学 国際平和ミュージアム"(下記 URL参照)の、所蔵 http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/data/index.html 図書(下記 URL参照)の中に、昭和14年頃から同16年頃まで同部隊に 所属していた太田一雄氏が寄贈した様々な文章類が保管されているよう http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/bunka/db2/Expert/Data/hanrei/m_index/syousai/21_33.html ですので、同ミュージアムで直接原本にあたってみられてはいかがで しょうか? 何か判るかもしれません。 > ビルマでの父の業務はどんなだったでしょうか。 > 大尉になった時期が二つの記録で異なり、昭和13年と終戦直後に > なっています。 > ただ父は幹部候補生短期現役で開業医をしていて召集されたので、 > 同日(S19.7)患者輸送第91小隊に編入 > S19.11 ビルマ国北シャン州ラシオ着同地に*りて輸送業務及警備 > S20.2~同.7 転進作戦間に於ける患者の収療並後送業務に従事 ご質問にあった上記の経歴、軍歴及び行動記録から拝察いたしますに "連隊付軍医部"に所属されていたのではなかろうか?と思われます。 連隊長の幕僚として軍医部を監督し、前線からの傷病兵の収容及び 治療、後送等に従事されていたのではないでしょうか? 残念ながら他のご質問に関しては、私では解りかねるものばかりでし た。これ以上の事に関しては"偕行社"(下記URL 参照)などを通じて、 連隊ならびに補充隊、に関する情報を直接あたるか、同隊の戦友会、 遺族会などを紹介してもらえば、と思います。 http://www.kaikosha.or.jp/index.html

zvd06337
質問者

お礼

どうもありがとうございます。中部第25部隊については防衛省の人は「愛知県の部隊だ」と言うので変だと思っていました。愛知とはつながりがありませんでしたから。天王寺の部隊なら納得です。 「連隊長の幕僚として軍医部を監督」するほどの役割をしていたとすると書類を探せば名前が出てきてもよさそうですね。偕行社と立命館大学国際平和ミュージアムにあたってみます。

zvd06337
質問者

補足

昭和16年7月に「騎兵第4連隊」に臨時召集されて牡丹江へ出征していました。中部第25部隊と同じだったんですね。パズルが少しずつ解けていくようです。ところで大尉になったのは昭和15年の間違いでした。中尉になったのが昭和13年でした。

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