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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:旧日本帝国陸軍について)

旧日本帝国陸軍についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 旧日本帝国陸軍の階級や部隊の編成について、理解が混乱しています。将官や佐官の階級は分かりますが、兵隊の階級や呼び名、さらに上位の階級についても疑問があります。
  • また、旧日本帝国陸軍の部隊の編成についても分かりません。師団や連隊、大隊、中隊、小隊の関係や、師団の上位の組織についても知りたいです。
  • さらに、旅団や方面軍、支隊、第一種軍装、週番指令官などの用語についても理解がありません。これらの用語の位置付けや役割について教えていただけると助かります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero1919
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回答No.3

>次に部隊の編成なのですが、師団の下に三個連隊があって、その中に上から順にそれぞれ三個づつ(戦時は四個?)の大隊、中隊、小隊ということで合っていますか。そして、師団の上は何になるのでしょうか。 このへんは学校を例にすると理解しやすいです。 小隊は30名くらいなので、だいたい1クラスですね。小隊長殿は担任の先生です。中隊だと200名くらいで、学年くらいのイメージですね。中隊長殿は学年主任ですが、さすがにこの規模となると隊長ひとりでは管理しきれないのでフォローする副官が付きます。学校もそうでしょ。 その中隊が2個から6個くらいが集まって大隊になります。大隊は英語で「バタリオン」といい、例えば古代ギリシャや古代ローマのファランクスの集団ひとつがバタリオンつまり大隊に該当するわけです。軍隊としては基本となる最古の単位ともいえるわけです。となると、大隊がひとつの学校で、大隊長が校長先生といえるかと思います。学校が集団単位としては完結した組織ですよね。大隊もそうだといえます。 その大隊をいくつかまとめて連隊か旅団を作ります。ひとつの学区といえるでしょうね。連隊も旅団もある程度独立して行動ができます。学校も、学区内に教育委員会なんかがあってある程度独立性のある行動ができますね。 連隊と旅団の違いってのがなかなか難しいのですが、旅団のほうが旅団単位で行動することが多いといえるかな。場合によっては連隊2個で旅団を作る場合もあります。しかし第二次大戦のイギリス軍のように他国で連隊になっているところを旅団で運用しているって場合もあります。 連隊もしくは旅団が集まって師団とします。師団は、補給から兵士の給与支払いに至るまで全体を管理できる組織です。学校だと県単位くらいでしょうが、会社でいえば支社ですね。ナポレオンの軍隊は師団を基本単位として行動しました。 師団が2~4個集まって軍団となり、軍団が数個集まって軍となります。軍が集まれば軍集団。 今の自衛隊の方面隊は軍団と軍の中間みたいな感じですかね。実際の人数からすると軍団相当になります。陸上自衛隊は隊員充足率を満たしていないので、諸外国に比べると同じ名称でも組織は小さいです。師団は1万人に満たない場合も多いので、実質的には旅団ですよね。アメリカの第一海兵師団はおよそ2万人もいます。陸自のエリート部隊である第二師団は8千人です。 これらの組織を見て気づいたかもしれませんが、軍隊の組織と学校や会社の組織って似ていますね。そうです、軍隊が学校や会社を真似たのではなくて、学校や企業が軍隊の組織を真似ているのです。人間集団を統治するにあたっては、軍隊組織がいちばん効率がいいということなんですね(ただし、実際の軍隊もある種の役所なのでどこの役所にもある硬直化があります。軍隊はどこの国であろうと非常に硬直化した組織でもあります)。 旧日本軍は元々4個部隊を基本にしていましたが、日中戦争などの戦線拡大で師団が足りなくなり、3個編成にしました。昭和何年だったかなあ。師団の数は増えましたが、1個師団あたりの戦力は下がることになります。さらに戦局が悪化していくとさらに数を減らしていくこととなりました。 慣れないと、旅団て分かりづらいですよね。師団と連隊の中間なんですが、部隊を独立して運用したいが師団は仰々しい、かといって大隊じゃ独立した行動ができない、なんて場合に旧陸軍では組織される場合が多かったと思います(独立○○旅団、なんて場合)。

zensinsl
質問者

お礼

とても分かりやすく教えて頂きありがとうございます。いままで私は、旅団っていうのは、例えば日本本土から南方のフィリピンかどこかへ軍隊を派遣する時に、船で行きますよね。その時、機械化部隊なんかまとまって行って途中で敵の魚雷かなんかくらって沈没してしまい、兵員だけ着いていて、トラックやら戦車やらが着かないって事になると、困るので(戦時中、実際そんな例や、また逆の例が多かったそうですよね)一度派遣部隊の編成をバラバラにして、船がいく艘かだけでも着けばそこだけで、一応の戦闘態勢やら駐屯体制が整うようにするため、それこそ「旅」の為だけの臨時の軍「団」なんだと思い込んでいました。そこでeroero1919さんの偶然書かれた「独立何々旅団」っていう記述を見るたびに、旅団ってみんな独立してそれだけで駐留、戦闘できるよう(勿論補給は絶対に必要ですが)に作られてるんじゃないのかなぁ。とまぁバカなことを思っていたわけです。我ながら、なかなか立派な論理で笑えますよね。お粗末様でした。

その他の回答 (3)

  • tanuki4u
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回答No.4

師団の補足 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AB%E5%9B%A3%E9%95%B7#.E5.B8.AB.E5.9B.A3.E9.95.B7.E3.81.AE.E6.A8.A9.E9.99.90.E7.AD.89 「中将を以て補し、直に天皇に隷し、師管区内にある軍隊を統率し、軍事に係る諸件を総理する。」

zensinsl
質問者

お礼

tanuki4u1さん再びお手を煩わせいたしまして申訳ありませんでした。「中将を以て補し、直に天皇に隷し、師管区内にある軍隊を統率し、軍事に係る諸件を総理する。」なるほど。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

旧日本陸軍にかかわらず、軍隊組織の歴史的背景とか 1 ナポレオン以前は連隊が基本 通常段階では、連隊で連隊長は大佐。 戦争の時には、王様が連隊を引き連れていく。王様しか戦争をする、止めるというのを決定できない。また王様のもとには、実戦部隊はいない。 で、それだと戦争がやりづらいので、連隊をまとめて王様の代理で戦う単位を作った、これが師団。なので、師団長は将軍となり、将軍の英語は GENERAL < なんでもできる という意味から来ます。王様の代理だからなんでもできるわけです。 師団長は王様の代理なので、師団には直属の戦闘部隊はいません。(原理的に) ケンタッキーフライドチキンの カーネルサンダースさんは サンダース大佐ですが、地域のお偉いさんへの名誉称号です。このくらい地域と連隊は密着しています。 2 師団の構成 外征するときに独立して戦闘を行える最小単位が師団となりますので、その時その時で編成は変わります。 平均的に歩兵連隊3つくらいがやりやすいよね<平たく言えば そういう感じ。 3 師団の位置 旧日本帝国陸軍では、師団は天皇陛下に直結です。 軍政(人事や予算)なんかは陸軍省、軍令(作戦行動とか)は参謀本部が担当します。 戦時には、大本営が師団の上となります。 とはいえ、複数個の師団単位で戦争を行いますので、適宜 方面軍 とか 軍 とかいう単位が作られます。 適宜 戦闘序列によって定められます。

zensinsl
質問者

お礼

「このくらい地域と連隊は密着しています。」そうなんですよね。軍隊と国民の関係も世界の多くの国と昭和20年以前の日本もそうだったと想像します。以前ある本で、「今の人から師団と連隊と旅団ってどれが一番大きいんですか。って聞かれてびっくりした。我々の時代(この方、大正10年代の生まれです)はそんなこと誰でも知っている常識だった。」という記述を読んで、「あっ、俺も知らない。」って思いました。戦後世代(ってことは私を含めて今の日本の大部分)これ分からない人の方が圧倒的じゃないですかねぇ。軍事に全く関心が無いことが、いいことなのか、悪いことなのか。   平時は師団の上は天皇になるんですか。これは知りませんでした。教えて頂きありがとうございました。

  • PPKING
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回答No.1

わかる範囲で >二等兵、一等兵、上等兵、伍長、軍曹、曹長というのは、下からこの階級の順なのでしょうか。 その通り下からです 昭和18年上等兵と伍長の間に兵長が設定されました この兵長までが兵、伍長から曹長が下士官、尉官、佐官が将校、それ以上が高級将校 http://page.freett.com/zaj17637/16/1.html >初(一)年兵、二年兵というのは、階級ではなく >召集された兵隊のいわば先輩、後輩のようなものなのでしょうか 軍隊に入った時が初年兵、2年目が二年兵というふうに軍隊経験の長さです 同階級の場合経験年数の多い方が威張ってたみたいです 再招集時は前の階級での招集になります 編成についてはこちらに詳しく書かれています http://www1.odn.ne.jp/tobu7757/J_wsd/weekly/file02a.htm

zensinsl
質問者

お礼

18年に兵長の階級ができたんですね。ということは、准尉っていうのも、大東亜戦争期か満州事変の頃にでも制度化された階級なんですかねぇ。それと考えてみると、「将官、佐官はだいたい判るツモリなのですが(上から大中小ですよね)」は正しくは(大、中、少)ですよね。失礼しました。 「伍長から曹長が下士官」なんですねぇ。私は、なぜか准尉、少尉あたりを下士官って言うのかと思っていました。尉官から将官までが全て士官で、その士官の中の下のほうという意味なのかと誤解していました。曹長から下はみんな兵かと・・・・・。とほほ。それで2・26の時の「下士官、兵に告ぐ」の意味の重大さがわかりました。ありがとうございました。

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