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大日本帝国陸軍の航空機
去年から大東亜戦争のことを調べたりするようになり、最近では邦画で零戦を扱った作品が目立ちました。 海軍の航空機が関わった戦いはよく本など見るのですが、陸軍の航空機が関わった戦いに余り詳しくありません。 ノモンハン事件以降で陸軍航空機が参戦した戦いがあれば簡略に教えて下さい。
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確かに太平洋戦争における陸軍航空隊の活躍は地味ですよね。主に、マレー、ビルマ戦線方面で活動しました。 地味な理由は、南方戦線で米軍相手と戦わなかったからで、例えばあのガダルカナルの戦いに参戦した日本軍航空隊はすべて海軍航空隊でした。じゃあなんで南方戦線では陸軍航空隊は活躍しなかったのか。 ・陸軍機は、海軍機に比べて航続距離が短かったから とよくいわれますが、まあそれもなくはないですが、本当の理由はこれです。 ・陸軍航空隊は、洋上飛行ができなかった 海の上を飛行すると地上に目標となるような地形が一切ないので、洋上飛行にはノウハウが必要です。そのノウハウが陸軍にはなかったのです。それで、戦線が米軍に圧迫され始めてから、「戦闘機が足りない」ということで、陸軍航空隊の一部が南方戦線に投入されることが決まったことがあったのです。 そしたら、大問題が発生しました。なんと南方の基地に向かう途中で「全機行方不明」になったのです。洋上飛行に慣れない陸軍航空隊は、移動だけで無駄に全機を失ったのです。 さて、ここで単純かつ強力な疑問にたどり着きます。 「え?だって海軍航空隊は空母から発艦して太平洋のド真ん中にいるエンタープライズを発見して攻撃して空母に帰艦してたのでしょ?」 そうです。海軍は遭難することはほとんどなかったのです。海軍には洋上飛行のノウハウがあり、陸軍にはなかった。それなら陸軍も対米開戦したときに海軍に教わればよかったじゃないかと私も思ったのですが、どうも調べてもはっきりしませんでした。 で、結局たどり着いたのは、大日本帝国軍お約束の「死ぬほど仲が悪い陸軍と海軍」でした。 「バッキャロー、帝国陸軍航空隊が海軍なんぞに頭なんか下げられるかあ!」「相手が頭を下げて教えを乞うなら教えてやることを考えないでもないが、こっちから教えてあげますよってほどこっちもお人好しじゃねえや!」ということだったようですよ。 ただ、戦争後半になるとお互いに「陸軍と海軍で取っ組み合ってる場合じゃない」となっていよいよ海軍の洋上飛行ノウハウを陸軍にも教えることになったようですが、これまた日本軍お約束の「時すでに遅し」ってやつでした。 ちなみに戦後に自衛隊を創設するとき、航空自衛隊つまり空軍を作ることになりました。米軍の場合は陸軍航空隊が空軍に分離したのですが、我が国の場合は、元陸軍航空隊と元海軍航空隊からそれぞれ人を出し合うということになったそうです。 そのとき、え?、ひと悶着あったんじゃないかって?いやー、鋭い。まあ悶着ではなかったのですが、「お互いに人を出してくださいねー」となって、旧陸軍側からは結構人が集まったそうですが、旧海軍側から人がちっとも集まらない。 どうしてなのかと調べてみたら、空軍への参加を募集したときに当のパイロットたちが「自分は海軍航空隊に入隊したのでありますっ!海軍以外は嫌でありますっ!」と言う方も言う方なら、その上官も「よおく言ったッ!貴様こそ海軍軍人だッ!」と返したというのですから、イヤハヤ・笑。 また太平洋戦争で陸軍機が活躍できなかったのには陸軍の用兵思想も関連しているのですが、それを書くと長すぎてしまうので、お礼欄に「興味あります」って書いてくれたらまた続きを書きます。
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- Yelm
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日本陸軍が戦術空軍だったのはヨーロッパ諸国のように「国境線から百キロも飛行すれば、もう仮想敵国の首都や工業都市がよりどりみどり」という状況ではなく、戦略爆撃に現実味が無かったからです。 むろん日本の国力では高価な大型爆撃機を多数揃える事が難しいという理由も大きいです。 さて日本陸軍航空隊の主な戦場ですが、実は大戦中期まで主力は中国大陸における戦闘に投入されており、太平洋方面には一部が送られただけでした。 むろんこの理由は陸軍が想定した主戦場が大陸だったことが第一に挙げられます。 たとえば日本陸軍は専用の偵察機を三種類も投入しています(98式直接協同機、99式軍偵察機、百式司令部偵察機)が、これらは非効率的との批判もありますが、大陸での戦闘では有効に活用されており陸軍が想定した戦闘においては十分に役に立つものでした。 しかし太平洋方面では直協機や軍偵が役に立つような陸軍の機動戦が行われる余地などなく、司令部偵察機が想定した大規模な航空撃滅戦も緒戦の南方進出以来生起しませんでした。 つまり陸軍航空隊は「もともと陸軍が想定していた大陸方面での戦闘に特化していた」が故に太平洋では不利な戦いを余儀なくされてしまったと言えます。 日本陸軍の軍備は決して航空機を軽視したわけではなく、想定して戦闘においては十分に有効な手を打っていました。 しかし日本の国力ではそれ以上の事は出来なかったのです。 それが陸軍航空隊の限界だったと言えるでしょう。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 陸軍航空機の主戦場は対中戦、大陸側なので対米戦寄りではなかったのですね。 日中戦を調べてみてどのような活躍をしてたか勉強してみます。
- eroero1919
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#3です。 第一次大戦から第二次大戦に至るまでの間、いわゆる戦間期に各国軍は「次の戦争はどうなるか。そして我が軍はどうあるべきか」ということを模索しました。ドイツ軍とソ連軍が戦車重視の戦術になり、フランス軍が陣地戦にこだわったのはご存知のことかと思います。 そして、当然当時最新鋭兵器であった航空機、つまり空軍がどうあるかというのも注目されたんですね。最も野心的だったのが意外にもイタリア軍で、「空中艦隊」なる大爆撃機部隊で一気に敵軍を一掃させようというすっごく少年をワクワクさせる構想を持っていました。ただ残念なことに、実現する実力は持ち合わせてなかったけどね・笑。こういうのを戦略空軍構想といって、ルフトバッフェのような急降下爆撃機で陸軍部隊を支援することを基本とするのを戦術空軍構想といいます。 ちなみにドイツ空軍の場合は空軍を「空飛ぶ砲兵」として運用することにしたので、その分現実の砲兵部隊への予算は後回しになりました。 相変わらず話が横道にそれますね・笑。我らが帝国陸軍航空隊ですが、やっぱり基本的には陸軍の一部門ですから戦略空軍ではなくて戦術空軍志向だったんです。ただ、日本て無線機が死ぬほどダサいので地上部隊と無線でやりとりして地上部隊の支援攻撃をするってことは現実的にはできなかったのです。だから、陸軍航空隊の「戦う相手」は相手空軍だ、となったのです。つまり主要目標は敵機と敵飛行場なのです。 これだけ延々と前フリをしたのは、99式軽爆撃機の名誉のためです。99式軽爆撃機はですね、爆弾積載量がたったの400キロしかないんです。だから「ダサい」「ヨソの奥様(双発爆撃機)なら1トンは積めますわ」「96陸攻だって800キロ積める」と散々なわけですが、それにはちゃあんとした理由があるんです。 99式軽爆撃機は、勇躍敵飛行場に対して強襲することを目的として作られました。だから敵機の攻撃をかわせるように速度重視で、航続距離に余裕があり、防弾性能に優れていることを求められました。敵機を数多く壊して、後で占領したときにすぐ使えるように小型の15キロ爆弾をばら撒くスタイルにしたのです。航続距離と防弾性能が求められたので、その分爆弾搭載力が落ちたのです。 実は陸軍機は防弾性能に優れていたのです。100式重爆撃機(呑龍)も爆弾搭載力がダサいことで有名ですが、なかなか撃墜されなかったことはほとんど知られていません。 そう、陸軍機はどこぞの軍隊の飛行機のように「防御力ゼロ」とか「ワンショットライター」なんてことはなかったのです。当時パイロット1人育てるだけで飛行機1機が買えたといわれるほど貴重なパイロットを無駄死にさせるような軍隊ではなかったのですね。 ついでにいえば、3式戦闘機(飛燕)は非常に野心的な戦闘機でした。「高高度でも充分な性能を発揮すること。上昇性能に優れること」を考えたら液冷エンジンが正解なんです。「次の時代」を考えたら液冷エンジンの開発は避けて通れません。そのため、飛燕は防弾性能も抱えつつ戦闘機としての優れた性能と充分な武装を持つことができました。しかも、武装は12.7ミリ機銃でも20ミリ機銃でもどっちにも転べる設計の余裕がありました。結局液冷エンジンの開発に失敗して空冷エンジンに換装した5式戦闘機が陸軍戦闘機として最高の性能を発揮したように、空冷エンジンに替えられる余裕もあったのです。 どこぞの軍隊のように、現状でいっぱいいっぱいの性能を追い求めた結果、拡張の余裕がまったくなくて末期には特攻機にするしかなかったようなところとは違っていたんですね。ちなみにそこの戦闘機と素人は見分けがつかない隼は、操縦に癖がなくてパイロットに非常に好評だったそうです。カリスマ人気のあのお方は限界まで追いつめた機体のため、非常にピーキーで癖が強くて乗りこなすのが大変だったそうです。まさにオルフェーヴルですね・笑。 >海軍の方が先見の目を持っていたが、陸軍はそうではない… さあ、その認識は改めて頂きましょうか・笑。陸軍機のほうが「先のことを見越した設計」になっていたのです。「いずれ戦闘機のエンジンは2000馬力級になる。その時代を考えた戦闘機を作ろう」だったのです。海軍は液冷エンジンに目もくれなかったけど、そのためか結局烈風の開発に失敗しています。 格闘戦重視の隼を作っておいて、その一方で一撃離脱戦法を考慮した2式戦闘機(鍾馗)なんかも作っていて、案外にレパートリーが豊富なんです。ただ、「敵艦を攻撃する」という目標が明確だった海軍機と違って、戦術目標ひとつでも多岐に渡る陸軍としては方向性をひとつに絞り切れなかったというのはあると思います。でも鍾馗の開発とそのノウハウがあったからこその4式戦闘機(疾風)なんですよ。 ただ、方向性が明確だったルフトバッフェが「空飛ぶ砲兵」に特化しすぎたゆえに初期電撃戦で大活躍したもののバトルオブブリテンで敗れて結局戦争そのものにも敗北したことと、格闘戦万能主義で攻撃力至上主義で防御力ガン無視(堀越二郎氏の名誉のためにいうと、あの方は「優れた格闘性能でそもそも撃たれないことで防御力とする」という思想だったのです)の帝国海軍航空部隊が敗北したことを考えると、やっぱり特化しすぎちゃうのはつぶしがきかないんじゃないかって思いますね。 実は戦術用兵思想についても海軍より陸軍のほうが柔軟な一面があって・・・というのはまた話が長すぎるのでやめます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご丁寧に説明してされる上に文章も読みやすかったので、とても分かりやすいです! 機体の性能なども細かく書かれているので、より一層に興味が沸きました。 おかげで認識が変わりました。もっと幅広く調べてみたいと思います。
- kamobedanjoh
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米・英・独などは、戦闘に於ける航空機の威力を認識し、早くから空軍を組織しました。 頭の固い日本軍部は、陸軍省と海軍省は置きましたが、空軍力を軽視していました。 2.26事件以降、陸軍省が政治の実権を握り、満州事変以来の陸戦に重きを置き、自信過剰に陥っていたため、空軍としては海軍航空隊の方が先見性をもって充実され、陸軍航空隊は軽く扱われていたようです。 南方戦線でも、陸上の戦闘は陸軍が主体で、兵員や補給物資の海上輸送は海軍が担当しましたが、基本的には海軍は、海戦にしか関わっていません。 アッツ島攻略も、兵員輸送は海軍、送られた兵員は陸軍兵でした。 真珠湾攻撃も海軍が投入され、海軍は空軍力の必要性を十分理解していました。 2.26以降の政府要人も、多くが陸軍の現役将校でした。 そんなこんなで日本の空軍力は、連合国に後れを取ってしまいました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 海軍と陸軍では、海軍の方が先見の目を持っていたが、陸軍はそうではない… その違いがその後の軍備に大きく出たんですね。
- mm058114
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有名な、加藤隼戦闘隊なんかどうですか?!
お礼
ご回答、ありがとうございます。加藤隼隊、良いですよね!歌にもなっている程有名ですし。 海軍の航空機も良いですけど、個人的には陸軍の「隼」「疾風」などが好きなのでそれらの事も調べたりしてます。
- ssssan
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大東亜戦の東南アジアの空は日本陸軍の戦闘機.爆撃機は常識ですよー。 海軍は航空母艦成り南太平洋の島がでニューブリテン島ラバウルー前進基地のラエとかここから餓島攻撃へからポートモレスビーへ出撃してたよ。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 まだまだ勉強不足なので、資料をじっくり読むようにします。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 陸軍と海軍の派閥争いがこんなにも響くですね。 軍が一枚岩になっていれば、あの戦争も戦況は違ったかもしれないですな。 陸軍の用兵思想、とても興味があります。御時間がある時に書いて下されば幸いです。