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帝國陸軍に関して
授業で陸軍に関して資料を探しています。 何かの本で明治期の初期には陸軍や海軍に出動要請を出せる特別機関があったと見たのですが、誰に聞いても知らないと返ってきます。 それは想像でしょうか? 陸海軍の出動は誰がどのように決めていたのでしょうか? おススメサイトやあなたの知識をご教授ください
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明治初期は、国の統治機構の基本構造が固まっていなかったためいろいろな組織・制度がめまぐるしく改変されています。したがって、時期を特定しなければ適切な回答はできません。 軍事について大雑把に言えば、明治初期には2元的な制度を目指していました。天皇直属の近衛兵(国軍)と地方に配置する鎮台兵(地方軍)です。アメリカ軍が連邦軍と州兵から構成されているのと似た制度ですが、結局、未完成に終わっています。 また、当時の近衛兵と鎮台兵の実態は、近衛兵は天皇の親衛隊、鎮台兵は治安部隊に過ぎませんでした。当時の政府にはまだ外国とコトを構える余裕も実力もなく、自らの国内支配を確立するのが精一杯だったのです。 ご質問の、軍隊に対する出動要請ですが、地方に変乱があった場合、その地方の治安責任者(県令)が鎮台兵に出動を命ずることができることになっていた(実際に出動を命じた例はない)ので、そのことを指しているのかもしれません。
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- sqwe-ir
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明治維新直後、政府の動員出来る兵力自体1000名にも満たない国力でした。 その後、廃刀令の後、戦争は武士の仕事と大反対する中、万民徴兵令が施行されます。 西南戦争もようやく終結し、武士の反乱を抑え込むのに成功した時代です。 もし、この時点で軍事的行動を要請する必要がある特別機関があるとすれば、敵は日本国内の、日本人です。 この治安を守る職務機関を警視庁と言います。 軍隊の定義とは、日本国民を守る為に存在します。 人を殺す為に存在する訳ではありません。 また、出動する為に存在する訳ではありません。 このテーマは、 授業の教材としては極めて不適切です。 また、極めて甚大な問題へと発展し、 教師生命を強制的に断ち切られるかもしれません。 教育とは、公平な判断の出来る、偏りの無い人材を育成する事を旨とします。 腹をくくって教程無視はやりましょう。 明らかにセンターで出ない場合、PTAも出てきます。 頑張りましょう。(^○^)
- 6dou_rinne
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常設のそのような機関はなかったと思います。 明治初期、陸海軍が分離する前には兵部省と言うのがあり、兵部省が軍を統括していましたが、その後陸海軍に分かれました。 しかし、その頃はまだ参謀本部(陸軍参謀本部ではなく)が陸海軍の左遷を統括するようになっていましたが、参謀本部長は陸軍の将官が就任するのが常で海軍はどうしても住みに追いやられるために、海軍としても作戦指揮期間がほしいということで軍令部ができました。 そのため陸軍と海軍との間でどうしても齟齬が起きがちなので軍事参議官制度や元帥府ができ、戦時には大本営もつくられましたが、陸海軍はばらばらでした。 これらは陸海軍の軍令機関ですが、陸海軍に出動要請を出すだけなら県令などの地方官は陸海軍への出動要請をする権限がありました。
お礼
ありがとうございます。 大変よく分かりました
- Yabukoji
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旧陸海軍を実際に作戦、動員、配備させていたのは1878年創設の陸軍参謀本部と海軍軍令部です。 他に「特別機関」というものは思いつきません。 wikipediaの日本軍他が参考になると思います↓
お礼
参考にしてみます。 ありがとうございました
お礼
ありがとうございます。 私が知りたい時期と言うのは戊辰が終わって新政府樹立の明治元年から明治12年までです。 もしこの期間で何かご存知でしたらよろしくお願いします。