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検閲で手紙を没収されたら、ものすごく困るのでは?

第二次世界大戦で日本軍は各地で検閲を行っていましたが、 検閲で手紙を没収されたら、相手に用件が届かなくて、 また相手は手紙を出したこともわからず、 ものすごく困るのではないでしょうか? ケータイ全盛の今から考えるとありえない感じですが、 当時の庶民はどうしてたのでしょうか?

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  • hiroki0527
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回答No.1

>当時の庶民はどうしてたのでしょうか? 検閲で引っかからないように手紙を書く。 何が引っかかるかはある程度分かっていたようで。 軍人が田舎に出した手紙には「詳細な居場所」「移動方向」「戦争結果」「正式な部隊名」等は書かれていません。 手紙を出した出さないなんて「別の方法で相手に確認しない限り」今でもわかりゃしません。 ま、電話はありましたけどね。 長距離電話は相手に繋がるまで数時間待ちでしたし、電話自体庶民は余り持ってませんでしたし、通話料は今より遙かに高かったですが。 東京名古屋間なんて下手すると特急列車で行った方が相手に要件が伝わるのが早いなんて話があった位。 ちなみに日本全国がダイヤルで電話が繋がるようになったのは実に昭和50年代です。

その他の回答 (7)

  • tepitepi
  • ベストアンサー率29% (121/408)
回答No.8

中国の共産色の強い地方であれば、自動的に検閲されてますよ。 都合の悪い内容であれば、届くでしょうが、まず逮捕されます。 新疆ウイグル自治区やチベットなど。 街中での発言、ホテルの電話も注意せよといわれました。 間違っても、中国や共産党の悪気口はダメです。 日本人でも強制送還されるらしいです。 それと同じで、発言や内容を考えると思います。 届かない内容は書かない、危険分子と思わせない内容にするでしょう。 出すだけ、届かないですから。

bougainvillea
質問者

お礼

みなさん回答ありがとうございます。 庶民はなんとはなしに検閲を理解していたのですね。

  • gonveisan
  • ベストアンサー率20% (477/2365)
回答No.7

No6 訂正 長浜とめさん 誤 鳥浜とめさん 正

  • gonveisan
  • ベストアンサー率20% (477/2365)
回答No.6

書くほうも馬鹿でない知恵ついてきますよ最初からかけない事はかかない 無事な知らせ一番 知覧の特攻の母長浜とめさんの映画ホタルでは隊員から預かった手紙替わりに、 郵便局に出して憲兵に見つかったシーンが有りましたね もっとも負け戦で沈船の兵隊なんて隔離されていた物ね手紙も出せないのでは 兵隊と将校では全然待遇が違う 兵隊なんぞ国内の任地に電話もかけられない 坂井三郎氏も書いてました将校は飛行機でさっさと帰国 兵隊は雑役させながら船でやっと帰国同じパイロットですよ No5さんの電報エピソードなんの本だか本文チンタツサセニコイ 返信チンタタスナサセニイクありましたね チンタオ出発佐世保に行くので来い意味。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.5

ウチに、物故した祖父が毎日(!)軍医時代に大陸から送ってきたレターの山がありますが(どこかで公開したいのですが)、住所のところには「軍事郵便」とゴム判、内容は場所はわからない物の、なにが今日起きたか、どのようなところにいるかの部屋を描いたスケッチなどでビッシリです。連隊司令部の軍医長という立場からか、おもしろい事もかいてありますが、場所が特定できるような事は何一つありません。 祖父は医大出の人だったので万年筆で書いていましたが、兵隊さんはエンピツが主だったと言っていました。慰問袋、というものが(検索してください)当時ありましたが、エンピツ、ノート、などの文房具は皆が喜んだそうです。 内地の庶民は電報が一番早い連絡手段でした。それでも、一文字単位でお金がかかりますから、「××シタ イサイアト」というふうに、用件だけ伝え、詳細は郵便で、というのが一般的でした。

  • hamaendou
  • ベストアンサー率35% (120/336)
回答No.4

戦地から家族への手紙の 検閲は墨で塗る方式だった事は 皆さんが言われる通りです。 私の高校時代の先生は 自分の任地を家族に知らせる時には A叔母さんの兄の3男坊さんに○○で遇い ××方面に行くと言っていた、、 と、言う具合に書いたそうです。 A叔母の兄の3男坊とは本人の事で 復員してから通じていた事が解ったと 仰っていました。

noname#94392
noname#94392
回答No.3

ものすごく困ったのです。しかし、軍隊ではある意味仕方なしです。  召集されて戦地に送られるときに、上層部以外は行き先を知らされません。兵隊は船窓から自分の船の行き先を想像するしかありませんでした。  また、行き先を知っている兵士でも家族に伝えてはいけません。軍の機密漏洩にあたります。  戦地からの手紙も検閲され、場所が特定されたり、作戦や軍の機密に関することを書くと没収されます。当然軍や政府に批判的な内容も同じ運命です。スパイ行為や批判的な行為は軍隊におこってはやっていけません。  いまでも自衛官は、任務の詳細を家族にも話してはいけません。携帯電話から位置が特定されると作戦は筒抜けになりますから。  

  • phantom1
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回答No.2

文書自体を無かった事にする方式の検閲は、戦後のGHQが行ったもので、戦前戦中の日本軍が行った検閲では、拙い部分を黒く塗りつぶしたり、伏字に変更させたりする方式だったようです。ですから、最前線での輸送事情で届かなかった手紙以外は届いていた筈ですよ。ただ、No1の方が挙げているようなNGワードが読み取れなかっただけです。それに、書く方もその辺の要領は心得ていたようで、そんなに困らない文章にしていたようです。死んだり行方不明になれば、軍の方から戦死公報(旧日本軍の場合行方不明は概ね戦死扱い)が届きますし、そこは戦時下ですので、連絡できないのが当たり前、と言った感覚です。当時、前線の兵士と確実に郵便物のやり取りができた軍隊は米軍位のものでしょう。

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