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第二次世界大戦中の日本とドイツ空軍間の会話方法について質問があります。
第二次世界大戦中の日本とドイツ空軍間の会話方法について質問があります。 当時、日本人パイロットは何語でドイツ軍と会話していたのかでしょうか?またそれに 関する書籍があれば教えていただきたいのですが。 英語(またはドイツ語)で書かれている本を探しています。 もしくはインターネットサイトでもかまいません。 よろしくお願いいたします。
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こんにちは > 第二次世界大戦中の日本とドイツ空軍間の会話方法について質問があり > ます。当時、日本人パイロットは何語でドイツ軍と会話していたので > しょうか? (中略) > 唯一、ドイツ空軍と日本空軍が共同でしたのはテスト飛行でした。 > おそらくオーストラリアでの記事はその当時のことを言いたかったんだ > と思います。 WWII当時にドイツ空軍と日本軍(陸軍航空部隊)が共同で行ったテストと は、1941年7月に陸軍航空審査部が岐阜各務原飛行場にて行った"模擬空戦" のことでしょうか? (他には 共同でのテスト、及び類似の出来事に関する記録が見当たらなか ったもので・・・) さて、同模擬空戦はドイツ空軍から日本に派遣されたフリッツ・ロージ ヒカイト大尉が操縦するBf-109E(メッサーシュミット社から輸入)と 飛燕、鍾馗、隼などの日本陸軍の航空機との間で行われており、もしも 両国パイロット間で会話がなされたとしたならば 多分その時であろう、 と思われます。 また、その時の会話は何語で交わされたか? ということですが、残念 ながら当時の模様を詳しく記した資料などは見当たりませんでした。 同空戦にて日本側のテストパイロットを努めた 荒蒔義次少佐は、陸軍 士官学校出身ですので、多少ドイツ語は理解していたものと推測されます が、流暢にドイツ語を喋れた との話は聞きません。 一方ロージヒカイト大尉も来日されたのが同年5月ですので、日本語は ほとんど解らず、また彼は既に当時ドイツ空軍のエースパイロットでも ありましたので、来日以前に日本語を覚える機会はほとんど無かったもの と思われます。 以上のことから同空戦に参加したパイロットには、母国語以外の共通の 外国語を流暢に話せる人は多分いなかっただろうと思われます。 (とは言え、パイロット同士ですので 荒蒔少佐が片言のドイツ語を使っ た簡単な意思疎通位は出来たかもしれませんが、とても会話をするという レベルでは無かったでしょう) おそらく 当時 日本側には ドイツ語が堪能な士官、専門の通訳者が 空戦 の場に同席していたはずなので、その人達(通訳)を介して やりとり していたのではないでしょうか?
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- buchi-dog
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第二次大戦中に、日本とドイツの航空機搭乗員同士が意思を疎通した例はありませんので、ご質問への直接の答は不可能です。 戦時中に、日本とドイツの潜水艦がインド洋で会合して、ヒトや物資のやり取りをした例があります。 この時は、日本側の潜水艦にドイツ語の専門家 (通訳) が乗っていました。 「双方が甲板上に黒板を出す」 「一方が言いたいことをドイツ語で書く」 「双眼鏡で黒板に書かれたドイツ語の文章を読み取り、ドイツ語で返事する」 という形で意思を疎通しています。 また、日本とドイツの海軍中央同士が電報で連絡をして、その結果を潜水艦でも受信できる無線電信で潜水艦に送り、間接的にですが「意思を疎通した」例があります。 (文献) 深海の使者 (文春文庫) 吉村 昭 (著) http://www.amazon.co.jp/dp/4167169010
- gonveisan
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No2 カッパノベルズ 光文社 "飛燕"でなかったかと 本の作者はおそらく碇 義朗氏と思われますここに訂正してお詫びします
- gonveisan
- ベストアンサー率20% (477/2365)
はるか昔の記憶で堤 碇氏だったかの本で3式戦飛燕の開発秘話として 設計者の土井武男氏の話かな駐在武官の バトルオブブリテンで活躍したバリバリの 独 パイロットと模擬戦闘 ME109とキ61 キー61は荒時中佐だったかな 地上にて通訳でルール決めたでしょね 大体が独パイロットと会話するそんな場面はめったにありません 何処から持ってきた情報ですか? 独空軍と共同で空戦等してませんよ はるか昔の記憶も本も定かで無いので書き込みもやめようかと思ったが???
お礼
gonveisanさま 回答ありがとうございます。 ここで質問させていただいたのは、友人が現在オーストラリアの記事をドイツ語に 訳していて、そこに日本人パイロットの記載があったそうです。 当時日本人パイロットはドイツ人パイロットと無線でドイツ語で会話していたと記載されており、 友人はそれに疑問を抱き、私に質問してきました。 私は世界史に全く詳しくないので、友人に言われたままここで質問してしまいました。 私自身もいろいろ調べてみたところ、gonveisanさまのおっしゃる通り、ドイツ軍との共同空線は 行われていませんでした。 唯一、ドイツ空軍と日本空軍が共同でしたのはテスト飛行でした。おそらくオーストラリアでの記事は その当時のことを言いたかったんだと思います。
- KITAIKKI
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もし戦時中にそのような状況が起きるとしたら、やはりドイツ語で意思の疎通を図るしかないでしょうね。 共通の言語としては当時でも英語が一番便利だったかもしれませんが、大戦当時の日本とドイツでは、やはり明治の頃からドイツの軍組織を導入・研究していた素地があるだけ、日本側がドイツ語を使用するほうがすんなり行くでしょう。ドイツ側に日本語を使用する理由づけはあまりに希薄で、考えづらいですね。 ただ戦時中に日独のパイロット同士がどのような状況で会話をする機会があったのか、残念ながら私にはそのような事実が書かれた資料なり記述なりを目にした事がありませんので、適当な本やサイトをご紹介することができません。悪しからず。
お礼
KITAIKKIさま 回答ありがとうございます。 日独のパイロット同士がどのような状況で会話する機会があったのかに関する 資料はやっぱりないですか。。。 それがわかっただけでもよかったです。
お礼
buchi-dogさま 回答ありがとうございます。やはりパイロット同士の直接の会話はなかったんですね。 甲板上の黒板での意思疎通大変興味深いです。教えていただいた文献ぜひ参考にさせていただきます。 どうもありがとうございました。