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雨森芳洲と新井白石の対立
雨森芳洲が朝鮮通信使の問題で新井白石の対立をした。とよくいわれますが、それは具体的にどんな対立なんですか?ストーリー的なものを教えてください。
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noname#94392
回答No.1
藤沢周平『市塵』(講談社文庫)に新井白石の幕政改革に邁進する姿が詳しく描かれています。 朝鮮通信使については雨森芳洲との間で問題になったのは朝鮮の国書にある日本国大君という将軍の称号を室町幕府以来の外交慣例である日本国王に戻すという復号の実現だとのことです。 >白石は大君という呼称は朝鮮では臣下に与える職号であり、また易経ほかの中国の書によれば大君は天子の異称でもある。ゆえに大君の呼称は不可であり、室町幕府の外交国書に用いられ、家康も使用した日本国王の称号に戻すべきであるという考え方であった。 >白石の主張の背景には清朝天子と日本の天皇を同列におき、朝鮮国王と徳川将軍を対等とする思想が働いていて、当時の朱子学の立場からする名文論としては、一応理にかなった主張ではあったのである。 雨森芳洲らは結局、朝鮮国王が天皇と対等にしておくほうが外交上波が立たないとしてたわけですが、外交の間に立った対馬藩が対等にしないと日本の天皇と朝鮮国王が対等と考えていた朝鮮の気分をそこね、朝鮮との貿易での利益が得られなくなると判断し、こっそり書簡を開き日本国王の称号を日本国大君に書き換えたたという偽書という犯罪的歴史が介在したため、ややこしくなったわけです。 これ以上は自分で上記の本を読んでみてください。藤沢周平さんも多くの紙数をさいて説明しているくらいですから、簡略にすることが大変です。