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1711年の朝鮮通信使:国書に「大君」→「王」に変更。なぜ?

1711年、時は新井白石の治世。朝鮮通信使が来日、国書をたずさえてきた。そこには日本の大君にあてられていた。日本側が、「王」に変更するよう要請する。 なぜ「王」>「大君」だと考えたのですか? なぜこのような変更をさせたのですか?

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  • 6dou_rinne
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回答No.1

当時朝鮮では大君というのは王の世子のことでした。ですから当然国王よりも下位になります。 ですから日本側(新井白石)が朝鮮国王よりも下位の大君ではまずいということで王に変更させたということになっています。 ただ国王というのは東アジアでは皇帝よりも下位であり、日本は中国皇帝の臣下ではないということで国王の称号は使っておらず、国王を称したのは江戸時代ではこのときだけです。

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