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親鸞の言葉を英訳すれば

親鸞の重要と言われている言葉を英語に翻訳すれば、どうなるでしょうか?英語に堪能な宗教家もしくは浄土宗or真宗の方で、英語の得意の方おられれば、ご教授賜れれば大変在り難いのですが。 例えば、 1、「非僧非俗」(現代風に言えば知識人であらず庶民であらず)、 2、「三願転入」(三度改宗というか転向した?)、 3、「悪人正機」「愚者正機」、 4、「宿業」(母胎内で宿った男女の業?何世代にもわたるDNAの累積の結果)「業縁」(宿った業が外界で出会う縁)、 5、「正定聚」(=「化仏土」?)、 6、「他力本願」「絶対他力」、 7、「往相回向」「還相回向」、 8、「煩悩具足」、 9、「造悪無碍」「本願ぼこり」、 10、往生(往って生きるですから、ある地点に行って其処からの視線を獲得し、現世に還相《げんそう》回向する?) 11、自然法爾(じねんほうに)、 12、菩提心と大慈悲、 13、聖道門(難行道)と浄土門(易業道) 等などです。 親鸞言葉の理解でお可笑しいところあれば、それもご教授いただければ大変ありがたいです。

みんなの回答

  • cryforty
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回答No.2

これは「補足」ではなく「新たな質問」に近いような気がしますが、今回に限り応じてみたいと思います。 なお、引用の英文は「The Collected Works of Shinran」によります。 http://www.shinranworks.com/sitemap.htm >至心信楽と遊戯、英文ではどうなるでしょうか? 至心信楽 『教行信証』信巻の冒頭「至心信楽の願」の訳 The Vow of Sincere Mind and Entrusting 「その真実の信願は、至心信楽の願なり」(教行信証、行巻より) The Vow on which true and real shinjin is based is the Vow of sincere mind and trust. ここにもちょと言及があります。 http://shinran-bc.tomo-net.or.jp/report/report04.html 遊戯 前回紹介した本ではenjoyを、下に引用したのではsporting freelyやplayを使っていますが、単語レベルの詮索は意味ないでしょうから、「Sporting freely has・・・」以下の文章をお読みください。 >至心信楽と「衆生度するに遊戯する如し」の「遊戯」とは? これなんかどうでしょう。『尊号真像銘文』と『教行信証』からの引用です。 With sincere mind entrusting themselves: Sincere means true and real. "True and real; this is what sincere mind means. From the very beginning sentient beings, who are filled with blind passions, lack a mind true and real, a heart of purity, for they are possessed of defilements, evil, and wrong views. Entrusting is to be free of doubt, believing deeply and without any double-mindedness that the Tathagata's Primal Vow is true and real. This entrusting with sincere mind, then, is that arising from the Vow in which Amida urges every being throughout the ten quarters, "Entrust yourself to my Vow, which is true and real"; it does not arise from the hearts and minds of foolish beings of self-power. Aspiring to be born in my land: "Out of the entrusting with sincere mind that is Other Power, aspire to be born in the Pure Land of happiness!" Sporting freely has two meanings. First, it means being free and unrestricted. The bodhisattva's saving of sentient beings is like a lion's taking of a deer; the action is free of the slightest hesitation and is performed as if in play. Second, it means that in saving, one perceives no object of salvation. The bodhisattva, in observing sentient beings, sees that in the final analysis they are nonexistent. Although he saves countless sentient beings, in reality there is not a single sentient being who realizes nirvana. Manifesting the act of saving sentient beings is thus like play. あと、この人の意見なんかどうでしょうか? 私にはともかく、あなたには理解しやすいんじゃないですか? http://home.att.ne.jp/gold/IC/shinran/shinran002.htm >「宿業」・・・ "past karma" では如何でしょうか? 私の参照した翻訳は概括的理解を眼目にした文章なので、また(英語の)受け手の側の負担も考えてKarmaとしているのでしょうが、歎異抄の英訳を読むと Past Karmaが使われているようですね。あと、これはPast Karmaと同じことですが、This is a statement of one who doubts the Primal Vow and fails to understand the influence of good and evil karma of past lives.(歎異抄十三章、稲垣久雄訳) それから仰る理解についてですが、英訳するのは外国人に伝えるのが第一義なわけですから、専門家でもない人が個別的な理解から語訳をひねり出すことに、残念ながら意義や興味を感じません。 >この訳もいいですね。特に、"attain rebirth" という所が・・・・ 鈴木大拙が『教行信証』を英訳したとき「往生」の語訳にrebirthとbirthとの二つを使ったそうですが(それ以前の教行信証の翻訳ではbirthのみが使われていた)、早島鏡正はそれを読んでこういう感想を述べたといいます。 「rebirthは次の所に生まれるということだろうが、浄土に生まれるということはそういうことではないはずだ。迷いの生をもう一度繰り返すということになれば、変じゃないか」 稲垣久雄と海野大徹の訳した歎異抄がネットで読めます。二人とも「往生」に「be born」や「birth」は使っても「rebirth」は使っていません。語訳の適不適を言いたいわけではありません。追加情報です。 正定聚:過去の『教行信証』における訳。 1.company of the right definite assurance 2.truly settled ones 3.the group of Rightly Established State 4.the Right Established State http://web.otani.ac.jp/EBS/seminar_1.pdf 自然法爾:ここでもローマ字表記のようですが、「末灯抄」での説明的記述。 http://www.shinranworks.com/letters/mattosho5.htm 最後になりますが、言葉の切れっ端ではなく、冒頭で紹介した「The Collected Works of Shinran」のようなサイトの翻訳を通読した方が理解の助けになるのではないかと。それはまた、「親鸞の言葉を英訳すれば」という質問の主旨からしても、ほぼその要求を満たすことになるでしょうし。 付けて言うと、『日英仏教語辞典』(稲垣久雄著)というのもあります。

4219hidepon
質問者

お礼

親鸞語録に関する知恵というか、大変貴重な情報を提供頂き、心から感謝しております。 『日英仏教語辞典』(稲垣久雄著)は、図書館で閲覧は出来るとのことですので、コピーとか閲覧してこようと思っています。 「rebirthは次の所に生まれるということだろうが、浄土に生まれるということはそういうことではないはずだ。迷いの生をもう一度繰り返すということになれば、変じゃないか」との早島さんのご意見には違和感をおぼえます。というのは、"attain rebirth"ですから、あるところ到達したというか観念的、精神的なメタフジカルな死の体験を通じて到達(=attain)して生きたまま、生まれ変わって浄土に生きる、というのが「往生」ですから。まあ、俺の勝手な理解かもしれませんが。 叉、親鸞は往生して、「仏」(ニーチェ的に言えば超人といってもいいのでは?)になれば、還相回向して汚れた現世に自然に向かい衆生を遊戯するが如く救済するといっているのですから。 だから多分、早島さんの浄土というところを、肉体的に身体的に死んでから行く所というように無意識に理解されている所からくる異見ではないかと推察します。 どちらにしても、じっくり読ませていただきます。 ともかく、本当に苦行せずに易業道で勉強させて頂き感謝感謝の気持ちで一杯です!!有難う!!

  • cryforty
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回答No.1

手元に『Perfect Freedom in Buddhism』という歎異抄の入門書の英訳があります。本によって、また文脈によって語訳は多少違うと思いますが、また、このように辞書的な説明をしているわけではありませんが、 http://www.oregonbuddhisttemple.com/documents/Dharma/Basic%20Concepts%20in%20Jodo%20Shinshu.06.pdf ちょっと御紹介いたします。単語レベルだと分かりづらいので該当語の前後も引きます。 仏教に興味はあるのですがなかなか勉強する時間がないといった状態なので、仏教理解については他の方にお聞きください。 悪人正機 「悪人正機」という節のタイトルはThe Most Wicked Are the True Object of Salvationとなっています。文中で使われるときもだいたい同じ言い方です。 《悪人正機という言葉ははなはだ誤解を与えやすく、》 The idea that the wicked are the true object of salvation often invites misunderstanding, 宿業 だいたいKarmaが使われているようです。 業縁 《さるべき業縁のもよほせば いかなるふるまひもすべし》歎異抄) When impelled by certain karmic causes we act accordingly. 罪業 《弥陀いかばかりの力ましますと知りてか、罪業の身なれば救はれ難しと思ふべきとさふらふぞかし》(歎異抄) What amount of power do we assign to Amida when we say that we cannot be saved because we are full of sins? 煩悩具足 この本ではbe filled with all kinds of tormenting cravingsになってます。 《・・・煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつて、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします》(歎異抄) ・・・because we are filled with all kinds of tormenting cravings in a world that is evanescent, like a house on fire, everything we do, everything that exists, is vain and deceptive ― only the Nembutsu is real and true. 《凡夫といふは無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかりはらたち、そねみねたむこゝろおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず》(一念多念文意) It is we, common men, who are filled with all kinds of cravings; and to the death-bed we bring with us a lot of desires, angers and envies, 本願ぼこり 説明的ですが、 《そしてこのうな誤解を『本願ぼこり』とよびます》 Being too sure of the Saving Power of Amida’s Grand Vow gave rise to such misunderstanding. 往生 《弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんとおもひ立つ心のをこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり》(歎異抄) At the very moment the desire to call the Nembutsu is awakened in us in the firm faith that we can attain rebirth in the Pure Land through the saving grace of the Inconceivable Grand Vow, the all-embracing, none-forsaking virtue of Amida is conferred on us. 《善人なおもつて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや》(歎異抄) Even the virtuous can attain rebirth in the Pure Land and how much more so the wicked. 自然法爾 これはローマ字でJinen-Honiです。 三願転入 《親鸞の心の遍歴にも三願転入という三段階があったといわれています》 In the pilgrimage of his soul, Shinran is said to have gone through three stages of completing his faith. 難行道・易行道 《(・・・ですが、)鸞は、この道は自分のような者にはむずかしいといって、それを難行道、自分に適した念仏の道を易行道といいました。また、難行道を自力、易行道を他力ともいいます》 Shinran confessed, however, that the way of the Self-Power was quite impossible for a man like him. Hence he called the Holy Path the Difficult Path, and the way of calling the Nembutsu, which he found more suitable personally, he named the Easy Path. As the Difficult Path belongs to the ‘Self-Power’, so the Easy Path is considered as the ‘Other-Power.’ 聖道門 《念仏のひとと聖道門のひとと、諍論をくわだて、》(歎異抄)の部分ではthe Holy Path Schoolと訳されています。 他力本願 the Primal Vow of Other Powerこれはネットで見かけました。 往相・還相 《(このように)自力を否定すること、より大きなものを受けとることを、親鸞の教えでは往相といい、その否定した上にあらわれる生き方を還相と名づけています》 Shinran called the negation of the self-power or accepting the great One the ‘Ohso’ (going way) and the way of living which is emerging from its negation the ‘Genso’ (coming way). 教行信証や歎異抄の英訳はもちろん、以下のような英訳もあるみたいです。 高僧和讃Koso wasan:Hymns of the pure land masters 末灯鈔Letters of Shinran: a translation of Mattosho 尊号真像銘文Notes on the inscriptions on sacred scrolls: a translation of Shinran's Songo shinzo meimon

4219hidepon
質問者

お礼

1、「悪人正機」という節のタイトルはThe Most Wicked Are the True Object of Salvation この上の翻訳はいいですね。愚者正機:悪人正機を一緒にして"The Most fooled & The Most Wicked Are the True Object of Salvation" で使わせていただきます!! 2、Even the virtuous can attain rebirth in the Pure Land and how much more so the wicked.この訳もいいですね。特に、"attain rebirth" という所が。生まれ変わってある所に到達して、其処からの視線で、現世を見られる、衆生の救済に向かえる「正定聚」がいる所に生まれ変わる、往生が保証され、浄土が保証された所に往けるという意味では。 大変有難う御座いました!! まだまだ時間かけて読み考えさせていただきます。

4219hidepon
質問者

補足

大変有難う御座います。じっくり読ませていただきます。 至心信楽(シシンシンギョウ)と「衆生度するに遊戯する如し」の「遊戯」(ゆげ)とは?英文ではどうなるでしょうか? 「宿業」は過去の何世代にも渡る男女の業の累積が子宮に宿ったものですから、子宮という小宇宙に。 それで、現代風に、仏教心理学的に言えば、胎児時代から乳児時代にかけての胎乳児が、無意識時代に刷り込まれた、インプリントされたもの、ということで"past karma"では如何でしょうか?

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