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おすすめの哲人、宗教家は?

哲学者や宗教家などにいろいろ教えてほしい/話を聞きたい/本を読みたいと思っているのですが、 おすすめの哲人、宗教家はいませんか?

質問者が選んだベストアンサー

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noname#155097
noname#155097
回答No.2

哲人や宗教家とはいえないかもしれませんが、 ガンジー、マザーテレサはどうでしょう。

その他の回答 (3)

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.4

<<いろいろ教えてほしい/話を聞きたい>> ならスマナサーラ長老をオススメします。 講演会や質疑応答など各地で活動なされています。 ポッドキャストも多くありますのでそちらもお勧めです。 書籍のオススメは上記したスマナサーラ長老の書籍や、サンガ出版の「仏法」などはオススメです。 上記したものほど明瞭さは感じないかもしれませんが「99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方」も役に立つかもしれません。 お役に立てば幸いです。

  • ryosuke-u
  • ベストアンサー率11% (19/160)
回答No.3

こんばんは。 哲学者や宗教家の枠からは外れますが、「パウロ」が好きです。 キリストの迫害者でありながら、その立場を改め、怒濤の伝道者になった人物。 生きたキリストに会ったことはなかったけれど、真のキリスト者だった「パウロ」に心惹かれます。 愛は寛容であり、愛は情け深い… コリントの教会の書き送った、あまりにも有名な一文は、心を打ちます。 頭や理屈や理論ではなく、ストレートに心に響く人物です。

noname#80116
noname#80116
回答No.1

 ところが 私たちが疑うとき まだ私たちが疑っているものについての言葉ではなく その疑いそのものについての言葉がある。  なぜなら 私たちが疑っていることが真実であるかどうか 私たちが知らなくても 私たちは自分が疑っているということを知っているからである。それゆえ 私たちが疑っているということを語るとき 真実の言葉がある。なぜなら 私たちは知っていることを語るからである。    *  しかしあの私たちの言葉に戻ろう。それは音声や音声の思いを持たず 私たちが〔心の目で〕見ることによって内的に語るものの言葉であって それゆえ いかなる国語にも属さない。この言葉は神である神の御言にこの謎において(コリント前書13:12)いくらかは似ているのだ。というのは この言葉は神の御言が父の知から生まれたように 私たちの知識(知恵)から生まれるからである。  だから 神の御言にいくらかは似ている と私たちが見出すこのような私たちの言葉――《親しき内密の言葉》――を だが どんなに神の御言に似ていないか 私たちが語り得るように 考察するのに躊躇してはならない。 (アウグスティヌス:三位一体論 中沢宣夫訳)  ☆ 余分なつけたしです。   《いかなる国語にも属さない 親密な内的なこころのことば(verbum cordis)》は もしそれがあるとするなら なぞなる神 X へ開かれた窓であるかも知れない。けれども それが いかに 神に似ていないか これを 考察するのに躊躇してはならないと言う。  ほかの箇所での議論を合わせて 考えるに わたしたち人間の抱くことばは 要するに 精神の旋回をとおしてのごとく 時間的に 得られる思惟である言葉である。時間を超越したなぞなる存在にとって その言葉は 時間を要するものではありえない。ゆえである。と思われる。  しかも わたしたちの思惟は じつに 四六時中 つづけて行なっているものではない。思惟したりしなかったりするのである。その断続性やさらには可変性 そのようでありながら 《つかまえたと思ったそのとき かろうじて日本語に属しているかに思われる》親密な内奥のことばが とうといからと言って 神の言葉であるなどと言えるはづがない。  かくて 古代に現われた近代人 アウグスティヌスを おすすめします。  もしそうだとしたら わたしたちは なお この《親しき内密のことば(verbum  verum intimum)》の窓を 開いていかねばならない。 

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