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伝統的な宗教から大切だとおもわれるもの
キリスト教や儒教などその文化の価値観を気づいてきた善いとされる宗教でさえ、いい面もあればどうしても悪い面ももってたりはするかとは思います。 四端の心など、人間観察や仏教のようにインド哲学であったりもします。 宗教の価値観で、どうしても一つの価値観ですが、ただの伝統物ではなくやはり大切にすべき価値観などもあるかとは思います。 ただその宗教の価値観といってしまうのではなく、どの部分は大切とやはり感じるべきでしょうか? 信じる者は宗教とは限らず、ある哲学であったりもしたり、信じるのもよくないものもあると思います。 その点、どういった点で分かれるのでしょう。
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質問者が選んだベストアンサー
宗教とは、自己チューなまま社会化(分業化による助け合い)する ために派生した、アメ(お金、出世)とムチ(法規、モラル)の 一種である(アメ=御利益、ムチ=天罰)。 つまり“馬鹿につける薬”。 このままお金や自己顕示に流されてバカを続けるつもりならば、 アメもムチも必要だろうが、自己存在の本質に根差した喜び (=我仮説の相補としての宇宙(他我)×自己の社会生命性の自覚化 (愛)による自律的生)において生きられるぐらい、認識を深めたい ものだ。
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- kurinal
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回答No.4
こんばんは。 >「ただその宗教の価値観といってしまうのではなく、どの部分は大切とやはり感じるべきでしょうか?」 「他者の人権(勿論「信教の自由」を含む)を侵害しない事。」 話は、それからでしょう。
- hhasegawa
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回答No.2
伝統的な神道にみられるような 他社の良いところを受け入れる寛容性ですかね。
質問者
お礼
なるほど。 ご回答ありがとうございます。
- aokii
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回答No.1
お金
質問者
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
>自己チュー >お金や自己顕示に流されて わかります。薬にたよらないようにしたいですね。 ご回答ありがとうございます。