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存在の定義
「存在」とは何でしょうか?色々定義できるものでしょうか? 私は 存在とは「個性ある(多様な)性質を持ったエネルギー」であると定義しました 性質のないエネルギーもないようですし エネルギーなしの性質も無いようです 例えば酸素原子には質量としてのエネルギーがありますし 電磁気力 万有引力 強い力 弱い力等のエネルギーと性質があると思うのです 電子の運動が物質としての体積を取り酸素分子としての存在を実現している(存在性) 「存在」とは何と定義できるでしょうか?
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存在とはエネルギーであると言うのであれば、その「エネルギー」 について、存在より良く知っていなければなりません。 エネルギーとは、量子=光子です。 相対性理論の四次元時空の式では、時間項はマイナスになっており、 そのために空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面”ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、光速以下の 領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。 光子相互作用は、原理的(経路積分)には、瞬間作用とされます。 「静止」している(無の不確定性無限の潜在としての)自我仮説性 の方が、光速で移動(プランク定数の収束の時系列化)する事で 無の闇は、相対的な光の風になります(光とは闇なのです)。 先述の四次元時空を記述する式において、時間項にはC(光速)が 掛けられています(=時間は光速で過ぎる)。 認識を原理的に突き詰めると、分子>原子>クォーク>量子(超弦) へと遡っていくようですが、同時に、そうした外的存在性の根拠と しての感受器官表面での量子相互作用(=光速)に還元されます。 その感受表面での量子相互作用パターンに対する、経験(過去の 互換の相関した経験の蓄積=時間)による予測(そこに到った時に どんな生理的作用があるか=空間)として時空は生じているのです。 その過去(=超光速)と未来(=光速下)自体が、超弦の光速性を 階層現象表面的に定性化する事で、仮説的に派生している事は、 そうした非光速性が還元される「感受表面における量子(光速) 相互作用」が、その仮説的空間的広がりの中に有限な大きさを 占めている事で、絶対的な根拠や他律的先入要因は、完全に 否定される。 つまり、絶対無=不確定的無限性の潜在としての認識体による、 大ざっぱな認識=階層現象表面的定性化における非光速性に 基づく時空仮説に対する、無の射影が存在=量子なのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補 として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という 無の射影として、存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。
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では、こんなのはいかがでしょうか。 時間軸上では存在が否定され、事象平面では存在を認識できる。 われわれの社会が瞬間の事象平面上に存在します。 時間軸は事象平面に対して垂直に立っていると仮定します。 事象平面は時間軸に沿って進んでいきます。 つまり、その瞬間瞬間では、お互いが存在を認識できる。 しかし、時間が進むにつれて、認識できなくなる事もありうる。 ただし、ご先祖様だけは、時間軸上においても変化しないので 永遠にわれわれの内に存在を認識できる。 簡潔にすると、見えるものは存在が流動的であり 見えないものは、存在が定まっている。 見えるものとは、肉体に始まって、飾りであり、見栄である。 見えないものとは、世の中を正しく感じ取ろうとする心であり 私欲を少なくし、ものごとの執着から離れることである。
もう理解されましたね。 実はエネルギーだけで説明がつくんです。 そうなると存在しているのは、電子であり われわれ人間は存在しない事になりますが でもそれが正解でもあるんです。 では検証してみます。 時間軸上に見えている自分は一人ではありませんね。 しかも、それぞれが違った考え方や特徴をもっています。 古いメモ帳や、写真を見れば一目瞭然です。 つまり、われわれ人間には実体が無いのです。 これ以降の説明は、先に回答された物理学の先生が おもしろい問答をされたので必要ないと思いました。 オレ自身まだ先生に習うところが沢山あるので このくらいで、お許しください。
補足
ん~~それは困るなあ エネルギーだけで説明して 我々人間存在の説明が付かないと言うのは 我々がどう生きるか 我々は如何なる存在かという事を考える哲学としては 片手落ちという事になるのではないでしょうか?
オレ自身まだ勉強中なので、ハッキリ言えませんが ひとつのヒントとして提案させていただきます。 電子 ―― 光子(媒介) ―― 電子 = 力の伝達 量子論における、力の伝達 これこそ存在の二次的なもの ではないかと思います。 この光子のキャッチボール図式を見ればわかるように 電子どうしが、お互いの存在を確認する行為として行う 光子のキャッチボールが、力(エネルギー)です。 すでに気がつかれたと思いますが、相手がいないと 自分の存在が、あやふやになる、ということです。 相対性、相補性、投影、圧力などにおいても。 例えば密度にムラがあって、差が生じて 初めて、圧力という言葉が存在するわけです。 均一であれば、圧力という言葉自体が無いのですから。 でも人は賢いもので、時間軸上において自分は自分ひとり ではない事を知っていますね。いろんな意味で。
お礼
なるほど 存在の分析として、光子のキャッチボールとしての力(エネルギー) が言える訳ですね 私はエネルギーに性質というものを認めていますが そこまで分析するとエネルギーだけで説明できる?のでしょうか? アイデンティティある自分と言っても 色んな自分であったわけですね 今の自分 今の存在としてどう言えるか 興味深い考察です どうもありがとうございます☆
- hanniyagi
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ご自分の文章を見て、エネルギーという言葉が、無駄、重複している、とは感じませんか。 エネルギーという言葉、概念は「神がいないとしても、として起こった物理学が陥った、 神の概念、何処にも実体はなく、が総ての事象を(一応最もらしく)説明出来る、 妄想概念、なのです。 質量もエネルギ-重力もエネルギー力も熱も電気も総てエネルギー、では言葉を重複させるだけで。 エネルギーとは、すべての、変化を起こす力の総称にしかなりません。 物理学でも大夫以前から、エネルギーという言葉は使わず、すべては、カロリー(熱量、エントロピー量)に 換算、表記しよう。という方向のようです。遠からず、エネルギーという言葉を使うのは 、それを神の概念で使う、易占い師やカルト宗教家のたぐいだけ。となるのでしょう。 しかし物理学が、エネルギは間違いでした。とは、本気で、反物質、を考えるようになってなお、 認めることもないのでしょう。 「在るとは方向性が在ること」とは、若い頃、カントとサルトル、の書に見つけ。 形而上学を超えた、定義、の感をもった言葉ですが。 存在とは、形ある、固定的と捉えられる、単位、とその単位に付随する、実体としては存在しない、 方向性(何か変化差違を起こす能力)一体となって、一つの存在となる。 物質=反物質 であり。物質×反物質=一つの存在。という考え方になります。 実はこれは、2500年ばかり昔、インドの釈迦と、中国の老子、が時期を同じくして? 考えた事なのです。 二人の考え方を一つに纏めた。と見れないでもないのが。玄奘三蔵の、何故か、そこだけが 突出した理論になってい。別品、別格、である。般若心経の一節 舎利子 シャーリープトラよ 色不異空 色(形あるもの)と空(実体のないもの)は異ならない。 空不異色 色即是空 色=空であり 色×空=1 である。 受想行識亦復如是 人間の一切もまた同様である 舎利子 是諸法空相 総ては、空の相であり 不生不滅 空は、新たに生じる事も、消滅する事はなく 不垢不浄 汚れたり、浄化されたりすることもなく 不増不減 増える事も減ることもない、色×空=一定 である これは、単位×縁=起(次の縁の単位) という、縁起の理法の解釈、理解、であるとともに 「老子」の、道は道にして常の道にあらず、名は名にして常の名にあらず。の引用と見れるのです。 ぐらいで止めておきますが。 東洋思想、釈迦や老子の考え方では、あえて(実体のないもの、変化するものを固定的に、 定義、したりは出来ないことでしょうが)形而上学的定義をするなら 存在とは、無常、である。でしょうか。
お礼
どうもご解説ありがとうございます。 東洋思想と科学の関係が垣間見れたような気がします。 ただ 色×空=1 という式が何を意味するのか 存在とは 無常 というのも分るようで分りません 存在がそれ程確かなものでない事は分かりますが このPCは今 確かに存在すると思えるのです。
- cyototu
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存在とは永遠のことであり、変化のことではありません。私達は常に変化しています。存在とは「ある」であり、変化とは「なる」ことです。果たして私達の本質は「ある」なのでしょうか「なる」なのでしょうか。
お礼
存在とは永遠のこと・・そこまでは流石に分かりませんが 在ると言うのは今現在に在る と言う事で 成ると言うのは過去から変化して現在の存在にになる 今から変化して未来の存在になる という事だと思います 人間に於いては絶えず未来の自分になり 今の自分になったと言えます アイデンティティという言葉になるのでしょう。 勿論誕生や死で 存在に成ったり 人間存在でなくなったりもします。 興味深い考察をありがとうございます(*^^)v
●「存在」に関する視点について それは局部的に観測される何らかの「素」の分布の偏り。 空間的であれ時間軸上であれ、それは同じ。 心や情報を扱う「価値・意味の時空系」内でも 言わば「意素」の偏分布と捉えられる。 分布は外界の場(力場やマスメディアなどの情報空間)の中で 一時的に生み出されたものであるが故に誕生と消滅を 必然として内包する。 分布は、故に発生・成長・合成・分裂・崩壊等の機序を示す。 丁度、海の波が現れ、津波となり、消えるように。 計測器でなければ観測できない僅かな偏りは、 あたかも幽霊のよう。 仕組みが意味的・論理的に相似形であるため、様々な所で 類型を見出すことが出来る。 例えば、将棋やマージャンに 宇宙を見い出すことなどが挙げられる。 近似的に用いられる概念に「域」がある。 「存在」が言わばオン・オフの二値で対象をモザイク様に微分する 思考機序であり、根源=ゼロを指向する。 それに対し、「域」は数値化と軸や角度といった座標系を持つ積分的な 思考機序であり、その性質上「存在」論とは対照的に無限時空間を指向する。 「素」は存在ではないのか、との不屈の批判に対して、これまた量子論や 宇宙論の立場からミクロ=マクロを数学的な空間と捉えるウロボロスの蛇の 説明は根気良く世界中で続けられているが、死の恐怖を超えて「非実在」の 概念は未だにかつての地動説同様に異端視する宗教類縁者が後を絶たない。 「流体力学的解析による自殺志願者の自己喪失感のモデル理論」は 2023年の世界的なロングセラーになった。 ・・・思考パッケージの一つをお届けしました。 最後のは...(~~;)…いたずら。
お礼
思考パッケージの一つをどうもありがとうございます♪ 分かるような気がします 自分なりには分かります ただその様な「素」という時に 前の方と同じですが PCの存在とは何か?文字の存在とは何か?人間の存在とは何か? それらを説明する時にどう説明するのか という考えがあります。 此処に私が存在する という時にそれは便宜上の言葉に過ぎないのでしょうか? その用い方をどう思われますでしょうか?
- hekiyu
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エネルギーと物質は同じモノでしょう。 形態が異なるだけです。 個性、とか多様てのも、更に突き詰めれば クオーク、ないしそれ以下の同じモノに行き着く のではないですか。 それらのモノは存在しないのでしょうか。 エネルギーを存在の根拠とすることはともかく 個性とか多様性、てのは問題があるように 思えます。
お礼
ありがとうございます。確かに分解して行けばクオークなどの素粒子でしょうけど 例えば酸素分子というものが存在するか しないか。とか 人間が存在するか しないか。とか 地球は存在するか しないか。等 存在という言葉をどう定義するかは色々あると思いますが 私は問いのように定義してみた訳です。(*^^)v
お礼
色々とアカデミックな言葉が飛び交い 中にははじめて読んだ言葉も在りますが >無の射影として、存在は生じていると言えます。 >無いとは分からない事が有なのです。 という結論は それこそ「色即是空」という感じですが 私には如何に量子とて無ではない ナイフで人が殺せるのなら ナイフは存在している と思えてなりません 相対性理論自体が色々疑問な結論を導き どこか違ってるのでは? と思ってしまいます。 しかし 今現在の学問で考察した最先端の存在論という感じはします また勉強させて頂きました 頂きます ありがとうございます☆
補足
もしエネルギー(この世の森羅万象を成す)に、性質と言う普遍的な法則に則った 目に見えないものが存在していなければ、エネルギーは無秩序なカオスといっていいでしょう。そのエネルギーである引力や斥力や電磁波のような波としての性質が織り成したのが私達の知る宇宙です(⇒量子力学) 特にこの引力はエントロピーを維持しあるいは減少させます。もしこの引力がなければ物質は秩序をなし得ませんし天体も形をなし得ないでしょう。 そしてそのエネルギーの持つ性質が、同時にそのエネルギーに態を与えているのです。性質が正のフィードバックをしてその存在を更に在らしめているのです 場の中で。 でなければ存在を保つことはできません。