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論語と孔子

 論語が出されれば、それを受けてそのことは詳細ではありません、という表現のとき、“論語”ないしは“孔子”ということばで受けて、会話をするのが普通でありますが、後世の私たちが、仲尼(ちゅうじ)という字を使う場合、どんな意味が持たされているのでしょう。その人だけの偶々のことなのでしょうか。  *孔子、姓は子。氏は孔。諱は丘。字は仲尼。  1. 字で孔子を呼ぶということは一般的なのでしょうか。  2. 字で孔子を呼ぶ場合とはどういう場合なのでしょう。

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回答No.2

再度の投稿失礼いたします。補足拝見しました。 なるほど、この流れであえて字を出しているからには 何か意図がありそうな気になりますね。 1.字は本来姓名を呼ぶに憚られる時に用いる a.敬意を込めて(本名を呼び捨てにしない配慮) *参考URL 現在、我々が字をあえて使う場合 b.敬意が侮蔑に転じたもの  *例に挙げられた川柳のような表現 (孔子と呼ぶのが癪に障るなど) c.周囲の者とは別の呼称を用いる事による自己顕示 (私はこのケースを、孔子ではありませんが何度か経験しています) d.その他(個々の思惑によるもの) と思われます。いずれも想像の域を越えませんので、 再度「本人に訊いて下さい」としか言いようがありません。 2.孔子で宜しいでしょう。  あえて字を使う必要はないと思います。 十分な回答ではない事、ご容赦下さい。 ありがとうございました。

参考URL:
http://web.mac.com/taihakuzan/iWeb/yunomi/DC75C2B7-7F4B-42AF-896B-0C620F269412.html
krya1998
質問者

お礼

 いやありがとう御座いました。  たいへん勉強に為りました。  孔子を、子曰くの子ということはあってもあまり聞きなれない、仲尼とは知らないわけでは在りませんでしたが、現代の普通の会話やり取りこれれだけ出てくると、字面からは素直に孔子の論語が描けないものでした。  孔子や老荘(ろっそう)には昔から関心があり、なにかと注意してまいりましたが、この場合は言い回し表現の趣味でもありましょうか、あまり意味性を気にすることもないようですね。  どうもありがとう御座いました。

krya1998
質問者

補足

 再度ありがとう御座いました。  あの川柳は、市井の人を借りての、大聖は市井に隠るという状態を表す表現しているのかと、受け取っていましたが、やはり仰せのような表現でもありうるわけですね。  でも両方が両立して意味をなしていることではありますね。  ご本人に伺う必要も内容ですので、これはこれで終了させていただきます。  いろいろありがとう御座いました。

その他の回答 (1)

回答No.1

>論語が出されれば、それを受けてそのことは詳細ではありません、という表現のとき、“論語”ないしは“孔子”ということばで受けて、会話をするのが普通であります ご質問の日本語の意味がさっぱりわかりません。 会話中「仲尼」という字で「孔子」を示したという事でしょうか。 1.一般的ではありません 2.かっこつけたいんでしょう(何らかの意識が働いていると思われます)  どんなつもりかは、本人に訊いて下さい。

krya1998
質問者

お礼

 ありがとう御座います

krya1998
質問者

補足

 ありがとう御座いました。  http://okwave.jp/qa4271345.htmlにおいて、普通孔子という人口に膾炙している呼称が使われるのに、何かの深い意味があるのか、字が使われているものですから。  1. 字はどういうところで、つかわれるのでしょう?  2. 諱を避けて使用されると存じますが、孔子でいいと存じますが、やはり私たちが使う必要がある場合もあるのでしょうか?  *何か川柳でしょうか「孔子とは誰のことかと、・・・おらが隣りの丘のことか」などがありますが、字で呼ぶほどのことでもない、という感じの効果を出しているのでしょうね。  ありがとう御座いました。