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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:三国志を観て人物の呼び名に違和感が)

三国志を観て人物の呼び名に違和感が

このQ&Aのポイント
  • 三国志を借りて見たが、ドラマの日本語吹き替えでは曹操の呼び方が逆になっていた。
  • 一般的に物語では姓と諱に統一されるが、ドラマではずっと「曹操」や「曹操さま」と呼ばれている。
  • 原文や日本語吹き替え監修のセンスが影響しているのか、私の見識に誤りがあるのか、疑問が残る。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

中国に限った話じゃない。 伊達政宗の正宗だって諱であってそう呼んでいいものではありません。 梵天丸か藤次郎に敬称をつけて呼ぶものですよ。 でも今の時代劇じゃ家臣も敵も正宗と呼びます。 小にこだわらずストーリーを楽しむべきかと。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 それで大体合点がいきました。 中国制作の作品なので、そこらへんちゃんとやっているのでは?と考えましたが、日本制作の戦国ものでもそうですよね。 正宗もそうですけど、竹中半兵衛なんかもそうですよね。 秀吉から「半兵衛」と呼ばれるのは良いとしても、同格の武者からも必ず「半兵衛殿」って呼ばれますしね。 >小にこだわらずストーリーを楽しむべきかと。 ストーリーは教科書通りというか、三国志演義にこれでもかというぐらい忠実でスキが無いです。 それだけに演出などに目が行きます。

その他の回答 (5)

  • tak7171
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回答No.6

No.4です。 曹操は漢の臣です。 ですから曹操の君主は漢の皇帝であり、董卓ではありません。 そして董卓も、例え位人臣を極めようと 曹操と同じ漢の臣にすぎません。 ですから、親以外では本来皇帝だけが用いるべき諱を 官位での隔てはあっても、同じ漢の臣である董卓が用いるのは 皇帝をないがしろにする行為として非常に不遜なことになりますし、 漢の臣としては侮辱になると思いますよ。 まあ、確かに格下のものから諱で呼ばれた方が より屈辱感は強いでしょうがw

webuser
質問者

お礼

再度の投稿有難うございます。 仰る事の大筋は諒解しています。 ただ、 >親以外では本来皇帝だけが用いるべき諱 そこまでとは考えていませんでした。 位のかけ離れた上司なら、普通でもギリOKかなという認識です。 また、董卓は皇帝をないがしろにする行為は日常で、不遜なことは皆が憤っていても、やむなく目をつぶっている状態。 「本来皇帝だけが用いるべき諱」だったとしても、今更その程度の事という感じです。 それらの事を度外視したとしても、 この時、曹操と董卓は(曹操の擬態ではありますが)親子のような関係と自他ともに認めており、曹操は董卓を父と呼んでいます。 その前提で、董卓が父のテイで諱を用いたとしても、別段憚りない事だろうと思う訳です。

  • boko10cho
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回答No.5

まず、小説やドラマ等で普段から曹操と呼ばれるのは、他の回答者の方が 仰るとおりで、これは仕方がないことだと思います。 次に、そのこととは別に、親しいときに「孟徳」で、暗殺に失敗してから「曹操」 というのは、ドラマでこうなったのが偶然か意図したものかは分かりませんが、 その部分だけを切り取って見れば、違和感を感じるどころか自然なことです。 前提として、「身内が諱を使って呼ぶ」というのは誤りです。 人を諱で呼んでいいのは、主君もしくは親であるとされていました。 なぜかと言えば、古代中国においては、諱は人の本当の名であり、人をその 本当の名で呼ぶことで、その人を霊的に支配することもできるという言霊的な 考え方があったからで、人を諱で呼ぶことは、主君や親のように、その人を 支配して当然というような立場の人でもなければ、たとえ身内であっても 失礼であるという以上のことでした。 (違う見方をするなら、古代中国における君主や親の存在は、現代のそれとは 比べ物にならないものだったということもできます。) ですから、董卓がいかに曹操と親しくなったとしても、それが君臣関係ではなく 仲が良いという関係である以上は、諱で呼ぶことを憚るのはむしろ当然です。 諱で呼べば、それは同時に、抜き差しならない上下関係にあることを相手に 思い知らせてしまうことにもなるからです。 反対に、暗殺に失敗し逃亡された後に、呪詛をこめて「曹操め」と呼ぶことは、 極めて自然なことであるように感じます。

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質問者

お礼

>前提として、「身内が諱を使って呼ぶ」というのは誤りです。 >人を諱で呼んでいいのは、主君もしくは親であるとされていました。 あそうです。 身内という表現が良くなかったです。 親、義理の親、伯父さんとかそいう事を言いたかったのです。 >董卓がいかに曹操と親しくなったとしても、それが君臣関係ではなく >仲が良いという関係である以上は、諱で呼ぶことを憚るのはむしろ当然です。 物語というか三国志演義の捕捉をしますと、 董卓は当時現役では人臣最高位の相国の地位にいてやりたい放題です。 そこに使える曹操は下役です。 曹操は暗殺を目的とした偽装ではありますが、董卓からは一定範囲を超えた信頼を得ており、周りから見てもまるで親子のような間柄、曹操も董卓の事を父と呼んでいます。 諱で呼ぶことを憚る要因はありません。

  • tak7171
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回答No.4

諱・字は元服の時につけられます。 諱はその人の正式な名前で、親や主君など特定の目上の人から呼ばれるものであり、 それ以外の人が諱で呼ぶのは非常に失礼とされています。 そのため通常用いる名前として字をつけるのです。 また、官職についている場合は姓に官位を続けて呼ぶのが普通でしょうね。 字は比較的私的な場所や関係で使うと思います。 ですから敵対者が呼ぶ場合、「曹操め~」と諱で呼ぶのは最大級の侮辱でしょうね。 また、「孟徳め~」と 官位=権威 を否定して字を使う場合もあったかと思います。

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質問者

お礼

>ですから敵対者が呼ぶ場合、「曹操め~」と諱で呼ぶのは最大級の侮辱でしょうね。 そうですね、劉備などの格下の者が言えば侮辱でしょうね。 でも、言ったのは位人臣を極めたと言っても過言でない状態の董相国なら、侮辱にはならないですよね。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

他の方の回答の通りですが、20年くらい前の邦画で「利休」つうのがありました。なんか同時期に同じく千利休を題材にした映画があって、どっちだったかちょっとうろ覚えなんですが、まあ千利休を主人公にした映画です。 その映画はリアル路線にこだわり、戦国武将の呼び方を「明智光秀殿」ではなく「惟任日向守殿」と呼んでいました。歴史的にはこちらが正しい。しかし、おかげでそれなりに歴史好きでも誰が誰やら分からない・笑。手元に「惟任日向守とは明智光秀のことです」と書いてあるものでも見ないと分からない。だからそのうちストーリーそのものが分からなくなってしまいます・笑。確か当時から「こだわんのはいいけど誰が誰だかわかんねえよ」と文句がつけられて興行的にはコケたはずです。 ドラマや映画では、予備知識が全くない人も客の対象ですから、そういう人でも分かりやすくするようにしなければなりません。小説やマンガは基本的に好きな人じゃないと手に取らないし、読み手も自分のペースで読めますから「あれ、弾正って誰だっけ?」となっても読み返すことができます。でもドラマや映画はそういうわけにはいきません。 戦国時代を舞台にした「のぼうの城」というのが大ヒットしました。今でも文庫本が平積みになっていますよね。私も読みましたが、「この野郎」とか「うるせえ」など現代語がふんだんに使われていて、「正しくない」のですが、非常に読みやすかったです。読みやすいってことは、登場人物やストーリーなどに感情移入ができるってことです。 もっとヤボなことをいえば、三国志時代の馬具にはどうやらあぶみがなかったらしいんです。あぶみがないということは、馬上で踏ん張れないってことです。馬上で踏ん張れないってことは、馬上で槍を振り回すなんて不可能だということです。ということは、一騎撃ちそのものがあったかどうかが怪しいということになります。でも、一騎撃ちのない三国志なんて想像もできなきゃ面白くもなんともないでしょ?

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質問者

お礼

「利休」は観ました。 興行的にはコケましたっけ? まあ、なんにせよ媚びない作品と言うのは各ジャンルに一つづつぐらいはあって良いものだと思います。 >三国志時代の馬具にはどうやらあぶみがなかったらしいんです。 そこは観ていて気になりました。 でも、あぶみがなくても何かしら安定して騎乗する技術はあった可能性はあります。 三国志時代よりさらに数百年前に「胡服騎射」という言葉がありました。 少なくとも騎乗した状態で弓を放つ技術が数百年前にあった訳ですから。

回答No.2

自分も昔同じような疑問を持っていました。 しかし考えてみると、小説やマンガ、映画などはあくまでエンター テイメントであって、「広く人に興味を持って知ってもらう」「その 作品を好きになってもらう」のが目的かと思います。 よっぽどこだわった作者なら(玄人好みの作品)「劉玄徳」や 「劉予州」といった書き方をするでしょうが、三国志の場合、「典韋」 のように字が不明な武将が多くいます。例えば、三国志の中で多く 出てくる「王」や「張」。王威、王楷、王累など字が不明なため、 「王さま」と呼ぶことになります。この時誰を指しえているの かが分からなくなるため、あえて「王威さま」「王楷さま」と記載 せざるをえないかと思います。 また、字には長男であれば「伯」次男であれば「仲」三男であれば 「叔」と決まった漢字が使われることが非常に多いです。これも 遠因かと思います。初めて作品に触れる人には、似たような名前が 多くて区別が付かないかと思います。 三国志(に限らず中国史)の場合は、似たような名前や苗字が多く、 作品に初めて触れる人には分かりにくい、という理由であえて 姓・名をつなげて呼称しているかと思います。 蛇足ですが。。。 三国志の作品では、お目にかかったことはありませんが、戦国時代の 作品であれば「センゴク」というマンガが非常に玄人好みの作品に なっています。質問者さんが指摘する名前に関することも徹底して います。 通常であれば、「織田信長」というように「苗字」と「諱」で表現 されますが、この作品においては、「苗字」+「仮名or官職名」+「諱」 を使い、「織田弾正忠信長」と呼ばれます。 もちろん味方や敵が「信長さま」「おのれ信長め」ではなく、「弾正忠さま」 「おのれ弾正忠め」と呼ばれることが圧倒的に多いです。秀吉であれば、 「籐吉郎さま」「筑前守さま」などと呼ばれるので、日本史に浅い人には、 誰が誰だか分からないかもしれませんね。 日本(戦国時代)であれば、官職や仮名が明らかになっていることが多い ので、なせる業かと思います。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 「センゴク」は読んでます。 最初の導入部は玄人好みな感じでしたが、読者がイマイチ付いて来なかったのか、はずやりで暴れまくったり、登場人物の絡みがおかしかったり、かと思えば戦場分析をリアルにしたり、リアルさと荒唐無稽さのバランスが悪くなって、竜頭蛇尾になりつつありましたが、一旦締めて少し立て直しましたね。 でも、また尻すぼみ傾向に。 結局、外伝の方が読めますね。 三国志の玄人好みの作品では宮城谷昌光の作品をオススメします。

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