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“Learn to behave!”

 語学の質問ではないと存じましたので、哲学においてお伺い申し上げます。  表題とした文章は“行為すること、挙措すること、そして振舞うことを学びなさい!"という意味なのでしょうね。 (http://www.yogananda-srf.org/ シュリ・パラマハンサ・ヨガナンダ大師による、バガヴァッド・ギータ 第17章の中より)  “behave”は、学校の授業では“振舞う”という意味を中心に勉強しました。  ここでは、“振舞う”と理解している、英語の“behave”で、“行為”、“挙措”などの意味までを理解したいと存じます。  一方“呼吸”という表現により、時より私たちの先輩たちも、“行為”、“挙措”、“いること”、“生きている”を意味させている場合があります。  こういう使い方をしながら、醸し出す人間的な雰囲気、深さ、静けさ、静謐、閑けさ、暖かさ、そして寛やかさ、などの人間としてのありようを語られている場合があったように記憶します。  まぁ受け取れる側の方の問題、互いで持つ場の状況ということも関連するでしょうが。  ◎お教え賜りたいこと。 1. “呼吸”、行為”、“挙措”、“いる状態・態様”、そして“生きざま”というものは、どのような連関性や連関構造が理解できましょうか。 2. ご訪問の皆様として、これらのことについて、何か印象深いご記憶などはありませんでしょうか。或いはご所感などはいただけないでしょうか。 3. “ behave”することを学ぶ上で、いい言葉や、お教えを賜れば幸いです。  思いつき、断片的、随筆的で結構ですので、どうかよろしくお願い申しあげます。

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  • HANANOKEIJ
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回答No.1

小学校の恩師のことば「期待は裏切られる」 今思うこと、「よかれと思ってすることは、裏目に出る」 「一番いいのは、何もしないこと」「流れに身を任せて生きること」 「衣・食・住・遊・休」 論語のように生きる。 「学生期」(がくしょうき)「家住期」(かじゅうき)「林住期」(りんじゅうき)「遊行期」(ゆぎょうき)五木寛之著「林住期」より。 krya1998様の、思いのままに生きてください。 http://www.shouseikan.com/

krya1998
質問者

お礼

 ありがとう御座いました。 ◎論語のように生きる。 krya1998⇒そして論語ですか。どちらかというと老子的なところから、一般の受け取りの論語では、少し段差があるかのようですが、孔子のいろんな状況やら発語(記録)の中には共通なものとして理解できるものもありますね。老子よりもどうしても孔子の方が私はわかりやすいのですが、老子を好きな人はいても、孔子を評価する人には今までは、あまりお会いできませんでした。下村湖人(ご著書で)くらいでしょうか。 ◎「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」 krya1998⇒五木寛之さんはご高名ですが、まだ手が伸びておりません。人生の「期」ということでは、ヒンドゥの生き方の中に同じような言葉があり、連想しております。もちろんグルとして、奉仕することを最後に持ってきてはおるものですが。そしてまた、私はむろん、いつまでたってもグルとしての奉仕などはできるようになることはありそうもないのですが。 ☆krya1998様の、思いのままに生きてください。 krya1998⇒思いのまましかできませんで、思いのままが難しいですね。 ☆http://www.shouseikan.com/ krya1998⇒甲野善紀さんのご風貌は、私奴の拙く精進する道の、偉大な大先輩に酷似しており、昨日もこのアドレスで訪問してびっくりしております。ご本人は、義兄と同年ですので、やそ路半ばでしょうけれども。そして甲野善紀さんのご世代の方では、同じ名前の方を古い卒業生で存じ上げてはおりますが。あまり関係がありませんでしょうが。

krya1998
質問者

補足

 この後はお礼の欄に続きます。 ありがとう御座いました。 ☆小学校の恩師のことば ◎「期待は裏切られる」 krya1998⇒何かの見返りやその他の期待しての行為というものはそうなのでしょうね。 ☆今思うこと、 ◎「よかれと思ってすることは、裏目に出る」 krya1998⇒多分自分もそういう経験をしてきていると存じます。そしてまた勝手によかれと思われてされたことで、どうもな!、とも思ったこともあるかのように存じます。 ◎「一番いいのは、何もしないこと」「流れに身を任せて生きること」 krya1998⇒これは難しいですね。よく言われるように、呼吸自体がもう行為ですものね。何かの見返りを期待しての行為というものはそうなのでしょうね。無為や行為ということの意味を勉強することなのですね。難しいですね。 ◎「衣・食・住・遊・休」 krya1998⇒これも難しい。でも上の言葉とともにこれができると、とても気持ちのいいものでしょうね。

その他の回答 (3)

  • kigurumi
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回答No.4

No.2です。 >この会はラージャ・ヨガの会です。 ヨガにより昇華を図ろうとするパスを辿ろうとした人ということは、最初に調べた時 わかりました。 >ラージャ・ヨガは、いわゆる肉体を調整したり、プラナという気というよりも意識と生命の伝達の当為・力をコントロールできるようになるための はい、ユダヤ教でいけば、炎の蛇 ケルビム。 ヨガだと、クンダリニー。 仏像が蓮の花の上に乗ってますが、蓮の花びらがチャクラのことですよね。 キリスト教会の建物にも、同じシンボルが像として置かれている。 ちなみにその像は、イエスとかヨハネがそれ つまり 炎の蛇に乗っかってます。 なんか誤解されて、イエスが蛇を踏みつけていると思っている信者さん あるいは キリスト教の聖職者もいるようですが、あれ、昇華のこと。 >グルを継承し、インドとアメリカにヨガの普及の組織を創設しました。 そうですか。 で、ちょっと調べてみました。 http://arushionx.kikirara.jp/jikenbo/seijya/yogananda.html でたー キリスト教。 と思いました。 http://www.morikita.co.jp/mokuji/9828.html これ、あなたの語り方にすごく似ています。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~shinju/Paramahansa%20Yogananda%20.htm うーーん・・・・ 内容はどれもあっちこっちの宗教関係とかの人が語ることと同じ。 彼の話をパクって自分が言いだしっぺとして、それぞれ教えとして語っているのか。 それとも。。。。 で、最近見たビデオの一部が頭に浮かびました。 「空には見えない男が住んでいる。 彼は10の掟を人間に押し付けた。 空の上から常時人間たちが投げてやったものを守っているか監視している。 この中に1つでも守らなかったものには特別な場所が用意されている。 そこは火と煙、激しい熱や苦しみが充満している。 彼は破ったものをそこに落とし、生きたまま燃やし、泣き叫ばせる。 ずーっと永遠に苦しみを与える。 でも、彼はあなたを愛している!!! そして彼はお前の金が欲しい!!!!! いつもお前の金を欲しがっている!!!! 全能で完璧でなんでも知っていてなんでもできるのに 何故か彼は金だけには不自由している!!!! 税金を払う必要がなく、食べる必要もないのに 何故かもっともっとと金を欲しがる。 嘘つきは泥棒の始まりっていうけど、彼は大泥棒なのか大嘘つき魔なのか。どっちもなのか。」 って内容。 考えてみれば、余裕がある人が昇華とかそういうことを試みるために金と時間を費やせるわけですよね。 インドではカースト制度があり、インドでしたら上層階級の人を相手に説教したのでしょうか? アメリカでは、やはり講演として時間とお金が余っている人に、サービスをしたのでしょうか。 欲。 これは結構やっかいなことです。 欲に囚われるな というその本人が欲にまみれていたらどうしようもない。 「バナナなど食べず、質素な食べ物を」と言っている当の本人が、ムシャムシャバナナを食べていたら説得力無い。 オウムの麻原も、煩悩を捨て、全てを捨てて つまり 教団に全額寄付して出家せよと説いた。 財産を持っているから執着から逃れられないから、全部手放せと言った。 で、逮捕されたとき、体に札束グルグル巻きにしていたそうです。 私、映画好きなので、よく感動物とかのドラマ見て泣きます。 なんて素敵な生き方 とか。 実話だったと知って観て、理不尽な出来事が映画の中で起こると激しく怒ったり、かっこいい生き方をする人に「あんな生きたかをしたい」とか影響を受けたり。 でも、時間がたつと、元の自分に戻っている。 本来の natureな自分の考え方に戻っている。 かっこいい生き方は それは私の生き方じゃない。 映画の中の人の特有の生き方であり、私のではない。 私は誰でもなく私である。 そりゃあ 生まれて物心ついたころには、かなり社会の制約を刷り込まれているので、自分の考えじゃないことも紛れ込んでいる。 でも、自我を形成するあたりになると、その刷り込みに疑うを持つようになる。 嘘を見抜けるようになる。 で、嘘を見抜いたが、見抜いていないふりをしたほうが楽な時は、常識的なことを他人に言ったりする。 それで、事なかれになれば、めんどくさくないから。 でも、それは偽りの言葉。 私の本質の言葉じゃあない。 あなたもスピリチュアルカルチャーに影響を受け、本来の考え方と違う考え方に魅力を感じましたよね。 私もそうです。 かつては、人々から賛美される人の生き方に似た生き方をしたい とかバンバン影響を受けました。 でも、それ 私の人生じゃない。 って気づきました。 他人に人生歩んでどうするだ って。 もったいないです。 一回きりに人生を他人の真似っこして生きるなんて。 愚かしいですよね。   He always needs MONEY!!! 催眠 解けたでしょうか? lean on yourself、do not learn from businessma. ただ 現実ばかりだと時々夢を見たくなりますよね。 だから、私は時々映画見たりするのかも。 でも、ちゃんと現実に戻ってきてます。 そして自分固有の人生を自然体に近い形で生きている つもりです。 全てはブラフマンじゃない。 私は私、誰でもなく私。 全てはブラフマンだってのは、ロマン主義。 ロマンは夢。 夢の終わりは現実の始まり。

krya1998
質問者

お礼

 kigurumiさんには申し訳ありません。場所をお借りします。  HANANOKEIJさん、私も55年も前(高1)、湖人を通して孔子に出会い、景仰してきております。  今も当時の気持ちに変わりはないのですが、七年ほど前、漢字学の泰斗・白川静さんのご著書に出会い、湖人のお話などと合わせていろいろ理解することが出来ました。  孔子が病を得て伏しました。剛直で一本気の子路は悲しく、孔子に見えて、祈ることの許しを請いました。孔子が鬼神に頼ること、鬼神を拝することを戒めておりましたので。  孔子は子路の気持ちに涙を隠して、私の一生は祈ることであったのを分かってほしい。自分の祈りは自分がするものだといわれたと、湖人は物語っております。  孔子は理路整然としたお話をされておりますが、巫祝のことも無知ではなかったようですね。巫祝の所作、原理とは別に、孔子は人や万物の存在は価値志向の当為たるものだという認識、力、意志、祈りだという認識があったようで、そういう思想の元に、自己の研鑽をなさってきておられたのでしょうね。つまり自己の祈りが研鑽であったようですね。思弁の演繹での西洋哲学とは異なるところですね。つまり、理論と理性、常識を大切にしておられましたが、決してそれだけではないということをご存知であられたようです。   孔子は出生、出自が明白ではありません。でも同時代にお父上らしい人を白川先生は見つけました、でも先陣をきって突撃する下級といえる武士で、ご家庭のある方のようです。  お母上らしい人は巫覡の方のようで、墓や葬祭のお仕事のどちらかというと職業的には低い方の集団の方だそうで、孔子はそういう巫覡の所作や世界にも通じていたし、貧なるが故に、小さい頃からいろんなことをなさり、世情に、処世の術(すべ)に長けていたということらしい。  つまり巫祝の集団を出自に持つようです。  それで魯に仕官して栄進していっても、由緒出自のある方たちには受け入れられことも難しかったかのようですね。有能で博学、うまい身のこなしは反感があったかのようです。下情に通じ、人情味の苦労人であったが、やはりそこは超えられないところがあったようです。

krya1998
質問者

補足

 kigurumiさんは本当に博学で、明澄を極めておられます。度々のお教えに心より感謝申し上げます。 ☆ユダヤ教でいけば、~~ krya⇒はい、そのようにいう他の教えもあるようですね。 ☆内容はどれもあっちこっち~~ krya⇒そうもみえますね。 ☆「空には見えない男が住んでいる。~~~ krya⇒こういう思い方もありますね。そこに止まらないようにしたいですね。 krya⇒ 動物、植物みな素適ですね。私もそう思っております。  natureも人も価値(志向)的存在ですね。私たちも人為や作為、欲望や執着を卒業してnatureの美しさに生きられるように為りたいですね。  オーム会は誰しも実体が明らかになればなるほど、顰蹙します。ここでこのお話を出されるとはkigurumiさんらしくはないと存じました。 ☆あなたもスピリチュアルカルチャー~~~~~ krya⇒まったくありません。忌み嫌ってきたし、嫌っております。kigurumiさんのこのパラグラフを、進むと更に、誤解されているのを感じてきます。引用のURLの中には、外部の方のものもありますし、中心のものに出会っていないですね。 ☆インドではカースト制度があり、~~~~ krya⇒それは存じません。でも私たちみたいな下層で、お金のあまりない人も、今はたくさん、会におりますが。いえ大多数がそうなのですが。稀にはそうでないかたもおられるようです。 ☆He always needs MONEY!!!~~ krya⇒仰せの催眠はまだ解けません。オームの会を何にでも引き合いに出す人がいます。納豆と腐った大豆の煮付けとを区別できないことは、仕様がないのですね。 私はロマンもなにも求めても、何も期待しても居ないません。46年も同じ大学にいたものでおかげで気楽に毎日、日本のことを勉強しております。つまり勘違いが多いようですよ。ありがとう御座いました。

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.3

孔子は、生涯、職にありつけなかった。無官の人でした。 そこがいい。 風流を愛して、気ままに生きる。かくありたいものです。 五木寛之著「林住期」には、古代インドの人生観である、と書いて在りました。 あまり偉い人は知りませんが、加賀前田藩の「前田慶次郎」=傾奇者(かぶきもの)が好きです。隆慶一郎著「一夢庵風流記」読売新聞社?文庫本もでています。集英社ジャンプコミック「花の慶次・・・雲のかなたに」全18巻が一番のお気に入りです。 http://www.shunjusha.co.jp/search_result.php 福岡正信さんも、老子みたいですね。 論語のなかの、「たとえば、山をつくるがごとし。いまだなさざること、いっきといえども、止むはわが止むなり。たとえば、地をたいらにするごとし。いっきを覆うといえども、往くはわがゆくなり。」子罕。 国民が、消費をおさえています。私も醜く出ていた腹が、なんとなくへこみました。悪政もよいことに結びつくこともあるのですね。戦前、戦中、戦後を生き抜いた両親は、耐える事にはよく適応しています。飢えを知らない私は、何でも食べていました。これだけは、努力しないと、欲望に負けます。 母が「死んだものが勝ち」といいます。この世の諸事から解放されるのです。もう少し生きて、極楽浄土を見てから、あの世に送りたいものです。

krya1998
質問者

お礼

☆論語のなかの、「たとえば、山をつくるがごとし。いまだなさざること、いっきといえども、止むはわが止むなり。たとえば、地をたいらにするごとし。いっきを覆うといえども、往くはわがゆくなり。」子罕。 krya1998⇒いっきは一箕でしたかね。後で確認してみますが。「たとえば、山をつくるがごとし。」とは大げさといえが大げさ、悲壮といえば悲壮ですね。私にはこういう気持ちが持てないのです。 (☆孔子は、生涯、職にありつけなかった。無官の人でした。  krya1998⇒でも一度、大司空を勤めましたね。あれは魯でしたか。老子も孔子もそしてキリストといわれる、ジーザスも皆、どこまで私たちは真意を理解できていますか。伝わってきておりますか。kigurumi様のご指摘の通りですね。) ☆国民が、消費をおさえています。私も醜く出ていた腹が、なんとなくへこみました。悪政もよいことに結びつくこともあるのですね。 krya1998⇒本当に何が益になるか分かりませんね。  ☆戦前、戦中、戦後を生き抜かれたご両親、 krya1998⇒私も敗戦時小二。東京の二回の空襲で、老親と逃げ惑いました。目の前で孫を胸にかばい、背中に焼夷弾を受け、燃えていく近所の精進揚げのおばぁさんもみました。虚弱で高齢の両親と妹と親戚を転転としました。耐えるなかで、全てがありました。姉は九つ上で疎開、結核で戦後死んだ兄は五つ上でしたが、いい経験とばかりはいえませんでした。  そして空襲の翌日、肉親の遺体を背負い、抱き、手押し車に載せ、遺体からの油の後を道につけながら、延々橋場、白鬚橋(隅田川)、荒川、そして綾瀬川、更に堀切からお花茶屋へと顔をすすだらけにして、のまず喰わずに、焼き場への長い行列を見ました。  焼き場も今のように燃料があるわけではないし、短い時間で焼けるのではありません。  お母上の「死んだものが勝ち」は本当に極限を知ったお方のお話です。HANANOKEIJ様には、ご両親がおいでになられ、極楽浄土を見てから、あの世にお送りできることは大切です。  私の父も60過ぎで逝きましたが、存命なら120になり、母は95で逝きましたが、存命なら102です。  今は多分、お介護などで大変でしょうが、どうぞHANANOKEIJ様におかれてもご自愛のほどをお祈り申し上げます。

krya1998
質問者

補足

 HANANOKEIJ様、度々ありがとう御座います。  あなた様には是非、ご返事を書き足したいと悔やんでおりました。 ☆小学校のご恩師様のことば「期待は裏切られる」くらい示唆に富むお話はありませんね。拝読の後、読みかけのバガヴァット・ギータの本文を読んでいく内に、同じフレーズに出会い、HANANOKEIJ様は全てをお見通しかと、恐惧致しました。 krya1998⇒ つまり孔子も楽しむものにしかず、といわれていますとおり、何かの効果を期待している間は允に精進は不自然であるし、つらいものですね。長続きしませんし、本物ではないから、効果はないものなのですね。 ☆風流を愛して、気ままに生きる。かくありたいものです。 krya1998⇒それはそれで何も凹凸のない世界ではありませんでしょうから、そこにいるようになりたいですね。人間の服(魚服・人服)を着て、この異界にいる以上、それなりのドラマのホストはやるのでしょうね。ご紹介の本にも近寄ってみたいと存じます。 ☆福岡正信さんも、老子みたいですね。 krya1998⇒思うに老子がどのくらい、真意を伝えられてきているかですね。もちろん、老子を普通名詞にしないで、固有名詞にしての話なのですが。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

3. “ behave”することを学ぶ上で、いい言葉や、お教えを賜れば幸いです。 というか、、、、教えとか、とてもじゃないけどできませんが、感じたことでよければ、、、、 その人がどういう思想なのか、読んでないのでわからないのですが、あっち方面の宗教系だとすると、、、、 learn じゃなくて lean on nature じゃないか と。 恐らくその人の言った言葉が、別の言語に翻訳されたのでしょうけど、翻訳ミスかも。 あくまで推測ですが。 例えば聖書もヘブライ語からギリシャ語(コイネー語)に翻訳された時点で、翻訳ミス連発で、「神の義を希求するものは幸いだ。彼らによって天国は構成される。」って言葉が、「神の義のために迫害されたものは幸いだ。天国にいけるぞ」ってやっちゃったみたいで、宗教を推し進め反逆し放題して、殺されるると、天国にいけると沢山の殉教者出してしまったし。 痛恨の大翻訳ミスの言葉が、某宗教の神学になってます。 だから、無理やり自然を破壊し、歪め 大量殺人をやり放題になっちゃった。 翻訳ミスから、とんでもない地獄ワールドをこの世に作ってしまったわけです。 ま、それは横に置いておいて。 で、behaviorってふるまい のことなんですね。 「なんだあなたのふるまいは関心しません」とか英語圏ではよく使います。 行為に対し批判するときに主に使う。 <量子のふるまい>のふるまい。 量子は何かにふるまいを学んで、その通りにふるまっているのではなく、量子としてのふるまいそのものをやるわけです。 で、私達は生まれた時は 自然のふるまいをするのですが、教育を施されて、ふるまいを矯正されていくわけです。 例えば、偉い人の言うことは絶対服従だ とか。 何故? おかしい と思っても、そうなんだ って言われたら、そのうち それが自然なふるまい(行為)だと思うようになる。 <手が荒れていない人は怠け者> そう教育されちゃうと、手が綺麗な人を嫌悪するようになっちゃう。 手が荒れていなくても、働き者はいるし、働き者って、集団にとって利益をもたらす人なだけで、誉められるから働く じゃあ 自然なふるまい とは言えない。 欲により 自然なふるまい が歪められているわけです。 本来のふるまいじゃないので、無理してる。 ってことで、本来の振る舞いに戻る 思い出す そういうことを説いているんじゃないかな って思います。 アインシュタインが中国を旅行したとき、山岳で少年に会って「石を上に放ると石は上に行くのだ。」って聞くと、「石が上に行きたいからさ」と答えたそうです。 「じゃあ どうして落下してくるのだ」と聞くと、「石は上に行くことをやめたからさ」と答えたそうです。 正確には覚えていませんが、そんな感じ。 アインシュタンは物理学者ですよね。 山岳の少年はなんら教育を受けていない。 そのなんら教育を受けていないものが、自然のふるまいを知っていた。 そのことにアインシュタンは驚いたそうです。 自然を観察してふるまいを知っている少年と、難しい数式をもって自然のふるまいを説く物理学者。 同等だったわけです。

krya1998
質問者

お礼

 幾つかのバガヴァッド・ギータを拝読いたしましたが、グル、パラマハンサ・ヨガナンダによるギータが一番ヒンドゥ思想の真髄、そして更に真理とそれに近づく具体的方法を余さず責任を以って伝えていると、私は思っています。  倉田百三、漱石、阿部次郎、西郷や山岡、常朝、湖人、出隆、山田霊林、大拙、咄堂やルナン、カント、ラートブルッフなどに一々凝ってきた私には、欧米の心性に合わせている著述には抵抗をしながら、なお、とてもすばらしく存じられます。  learn toじゃなくてlean on natureじゃないかと。の仰せですが、師のこの著書の講述での項目に掲げられていることばと、説明の内容から、やはりlearn toと存じます。 lean on natureとしてのお話の一環である、kigurumi様のお話はそれとは別に大変示唆に富むお話であり感謝申し上げます。  聖書の中の落書きに類する事柄や、誤訳は允に後人を惑わすものではありますが、一定のアプローチが要求されるものでしょう。  その手法が欧州の多くのエリートたちの精神と民俗・心性で失われてしまったことは、如何に摂理の巧みとはいえ、創造者の人の世のドラマを混乱させているものと存じます。  創造者の人それぞれの世界現出は、仰せのこういう人為も利用されながらの創造なのでしょうか。  目隠しして各人の中に入っている創造者のいたずらなのでしょうか。 そういうわけで、人為や作為をどれだけ去り、kigurumi様がご紹介の本然に依拠できるかが、私たちの本目、本願、眼目であります。  わが国に比べ、大陸・中国の粗野性は允に顰蹙するものですが、いたるところに透徹した隠者がおられ、山岳の少年といえどもアインシュタインの思弁てき演繹計算操作を凌駕したのですね。そして又、アインシュタインはそのことに気づいたというすばらしいお話ですね。  たいへん教えられるお話を心よりお礼申し上げます。  なお、すばらしいお話をいただければ幸甚尽きること、御座いません。

krya1998
質問者

補足

 kigurumi様、ありがとう御座います。この補足の後はお礼の欄にに継続させていただきますので、どうかお読みください。  パラマハンサ・ヨガナンダ(http://en.wikipedia.org/wiki/Paramahansa_Yogananda)は私たち、http://www.yogananda-srf.org/の会員にはグルであります。この会はラージャ・ヨガの会です。  私たちはバガヴァン・クリシュナ、ジーザス・クライスト、マハ・バーラタ・ババジ、ラヒリマハサヤ、スワミシュリユクテスワ、そしてパラマハンサ・ヨガナンダの系譜のグルの指導でヨガの精進をしております。  ラージャ・ヨガは、いわゆる肉体を調整したり、プラナという気というよりも意識と生命の伝達の当為・力をコントロールできるようになるための、ハタ・ヨガ(皆さんのストレッチなどのヨガはその中のほんの一部)や信仰のバクティ・ヨガ、そして仏教などのカルマ・ヨガの大元のヨガであります。  パラマハンサ・ヨガナンダは、幼い時からこの道のことを自然にしてきましたが、偶然に両親と同じラヒリ・マハサヤを師とする、師のスワミシュリユクテスワに出会い、グルを継承し、インドとアメリカにヨガの普及の組織を創設しました。  無論、グル・パラマハンサ・ヨガナンダは、ご自分が創設されたのどとは一言も、どの著書でものべられてはおりません。お役目がそうしてくれたのだ、というだけのお話なのです。(以下、お礼欄へ、)

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