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226と秩父宮

秩父宮の226事件との関わりについて教えてください。 226事件を起こした皇道派を操った黒幕は真崎大将だと思っていたのですが、さらにその上の黒幕がいてそれが秩父宮である、という説があるらしいのですが、この説をご存知の方、黒幕が秩父宮であるという根拠を簡単に解説していただけないでしょうか?

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回答No.2

元々、昭和天皇より秩父宮の方が軍人達の信頼を集めていました。 昭和天皇の一歳年下の秩父宮は、研究者肌の天皇とは対照的で、スポーツ万能の爽やかな長身の青年でした。陸大を優秀な成績で卒業し、歩兵第3連隊時代には兵と共に泥まみれになりながら軍務に励むなど、軍人社会からは昭和天皇より好意的に見られていました。 また、秩父宮は天皇親政論者としても知られています。天皇親政論とは、君臨すれども統治せず、ではなく天皇が直接政治を仕切るべきだとする論です。「本庄日記」によれば、秩父宮が天皇に強く天皇親政論を説いたことがあり、昭和天皇に窘められた、という記述があります。 弘前連隊以前に、秩父宮が在籍していた歩兵第三連隊は、歩兵第一連隊と共に226事件反乱軍の主力とされる部隊です。当然、反乱青年将校とはなじみが深く、その交流会では彼らの革新思想には理解を示し、さらに、事件前年の夏に、北一輝(事件後処刑)の自宅を訪問し意見交換をするなど、革新思想へと深入りをして行ったようです。 そして、事件発生の夕方、秩父宮は上官である弘前連隊の連隊長に無断で上京します。この知らせを聞いた反乱軍青年将校は「このたび秩父宮上京、いよいよ我々の指導者としていただくこととなった」と意気揚揚と街頭演説を行っています。 上京の目的は謎とされていますが、秩父宮は上京後直ちに天皇と会見を行っています。この三日後秩父宮と会談した元陸大教官の谷田勇中将の著書「竜虎の争い」によれば、谷田が26日の天皇との会談について尋ねたところ、秩父宮は一言「叱られたよ」と答えたそうです。 この後秩父宮は、参宮した歩兵第三連隊将校団代表の森田利八大尉に、「首謀者は自決せよ」との令旨を下しています。。。

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質問者

お礼

なるほど・・・ 秩父宮はやる気満々だったわけですか。 とても参考になりました。

その他の回答 (1)

  • shoyosi
  • ベストアンサー率46% (1678/3631)
回答No.1

 反乱を起こしたのがもとの所属部隊で反乱のとき、急に弘前から上京して皇居に入ったというのが根拠になっているようです。

参考URL:
http://ww1.m78.com/discussion/chichibu,prince.html
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質問者

お礼

なるほど・・・ 確かに怪しい行動です。 とても参考になりました。

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