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坂本龍馬暗殺事件の犯人について
- 幕末の坂本竜馬暗殺事件の犯人について、会津藩が黒幕で、松平容保が指示して実行させたと考える。
- 紀州藩説や薩摩藩説、新撰組説にも反論し、会津藩が犯人として最も自然な考え方だと述べる。
- 黒幕が紀州や薩摩であれば、見回り組が他の藩の命令を聞くことはあり得ないと主張し、会津藩の指示が最も妥当と結論づける。
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まず実行犯、 明治3年今井信郎の供述により佐々木只三郎以下今井信郎含む6人で行ったと明らかになっています。 明治37年佐々木只三郎の兄手代木勝任が臨終の際家族に自分の弟が龍馬暗殺を行った旨話しています。 もう一人実行犯が明治38年ごろ語ってたと思いますが調べても出てきませんでした。 まあ実行犯および実行犯に近い二人の証言が一致してますので、これはもう見廻組で確定です。 あと新撰組ですが、事後処理、連絡を受けて、あるいは騒ぎを聞きつけて応援等で当然新撰組は現地に入ります。現代では暗殺という表現を使いますが、当時これは彼らの公務ですので証拠を残してもなんら問題ありません。間抜けな証拠を残すという発想は当てが外れています。ただの落とし物です。 歴史の話としてはここでおしまいですが、陰謀論を楽しむなら黒幕というものの考え方がちょっとずれています。 薩摩藩説や紀州藩説を採用する場合、特に薩摩の場合は依頼をするんじゃないんです。褒美が欲しい第三者を装って密告するんです、あとは新撰組なり見廻り組みが勝手にやってくれます。 そして薩摩藩説について考えるとこれはありえません。 これから自分らより強大な軍事力を持つ幕府と戦うんです、同士討ちしてる余裕などありません。 紀州藩説も藩としてはありえないでしょう。賠償金が決まってしまった以上龍馬を殺すことに意味がありません。また紀州も幕府と朝廷にはさまれた微妙な立場でして、決して土佐と揉め事を起こしてはいけない立場です。 なお私怨レベルで言えば、いろは丸事件では切腹者を出しているので私怨を抱くものは当然いるでしょう。 ですがそんなことあったとしても、紀州者○○の密告により見廻組みが暗殺というだけの話で陰謀とさえ呼べません。
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- あずき なな(@azuki-7)
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こんな事を言うとオカルトだとか言われますが 私はフリー・メイソン説だと思います 龍馬が武器などを調達していたグラバー商人は フリー・メイソンのメンバーだった事は知られています 龍馬はメイソンの力を借りようとしていた しかしメイソンは組織の内情を探ろうとした者は消す と言う事をしています なので龍馬はメイソンによって消されたのでは? と思います この事件には生存者が居ますね 中岡慎太郎ですが 彼は犯人を見てるはず 実行犯を知ってる人間は結構居たんじゃないかと思いますが それでも真犯人が分からないのは やはり陰謀的な組織が関与しているのでは と思ってしまいます
- ?橋 昌也(@fudousin)
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カミソリと呼ばれ、後年、外務大臣として活躍する陸奥宗光は、海援隊で龍馬の片腕だった男です。彼は龍馬暗殺を紀州藩の犯行と考え、新選組が警護する紀州藩士三浦某を海援隊士15名で襲撃しています(天満屋事件)。 これほど龍馬を慕った彼が、その後に政府の中に入っているにも拘わらず、この暗殺事件の件を全く調べなかったということは考えられないのですよねぇ。さらに不思議なことは、龍馬暗殺について語った記録が確認できないという点なのです。なにか言えないことがあったのか。 実行犯は京都見回り組でまず間違いないでしょう。 問題は黒幕ですが、二人候補者がいます。命令者ではなく情報提供者です。 一人は西郷隆盛。 海援隊という組織は、西郷からみれば薩摩藩の傭兵部隊兼秘密工作機関のような感覚だったはずです。この時期、西郷は戦闘による倒幕でなければ政体変更はできないと考えていたのは明白で、徳川の排除は必須だったわけです。それに向け倒幕の密勅工作を進めていたところに、大政奉還などという漫画みたいな大技でひょいと相手に身をかわされ、その絵を描いた策士が龍馬ではきっと飼い犬に手を噛まれたとしか思わなかったでしょうね。 そもそも、龍馬は内戦は不利益であるという考えを基礎にしています。さらに慶喜を評価しており、次期政権構想の中心人物、いわゆる○○を首班としての○○は慶喜ではないかといわれています。殺されますね、これは。 西郷という男はお人好しではありません。僧月照との心中未遂というのがありますが、あれは状況的には偽装心中による殺人でしょう。 二人目は後藤象二郎。 あまり言われないことですが、限りなく心証的にはクロです。板垣退助は維新後、ことある毎に今の自分があるのは龍馬のおかげと言っていたと言われますが、後藤が龍馬の話をしたという話はきかない。板垣はほとんど龍馬と接点はないが、後藤は濃厚に龍馬と関係しているのにも拘わらずです。そもそも彼がほぼ唯一、青史に残る事案というのは、容堂候に大政奉還の策を上申し、容堂が慶喜にそれを建白したという一事に尽きると言っても過言ではありません。 容堂はこの策を後藤の立案と思い、でかしたと後藤を褒めたそうですが、後藤はこの策が容堂の毛嫌いする下士の献策ですとは言えなかったろうし、それが露見するのは嫌だったでしょうね。
お礼
大変詳しい説明をありがとうございます。当時は政情が混乱しているうえに個人間の利害関係もからんで、非常に複雑なんだと思います。そんな中で起きた事件なので、今になってこんがらがった糸をほぐすような行為(龍馬暗殺犯の特定)は無理なのかもしれません。 西郷や後藤が関与していたかもしれませんね。はっきりしたことはやはり新たな資料が出てこないと分からないのかもしれません。でも最近になって新撰組の斉藤一の写真が出てきたなどということもあるので、龍馬関連も何か出てくるかもしれません。それを期待しようと思います。ありがとうございました。
- eroero4649
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暗殺の実行犯は、京都見廻組で確定してよいと思います。何か画期的な新資料でも出てこない限り、そう断定していいでしょうね。 で、問題は「黒幕がいたかどうか」です。もちろん名目上は京都見廻組が龍馬の居場所を特定して暗殺に向かったということになっています。 つまりそもそも京都見廻組は龍馬を探していて、龍馬を殺すつもりでした。だからわざわざ「龍馬を斬ってくれ」と頼む必要はありませんでした。寺田屋事件で京都見廻組は龍馬に捕り方を射殺されていましたから、怨みは持っていました。 だもんですから、仮に黒幕がいたとしたら、その黒幕がやる仕事は京都見廻組に「ここに龍馬が潜伏していますよ」と伝えることだけでした。そうすりゃもうあとは勝手に京都見廻組が斬りに行ってくれます。 で「黒幕はいたのか」については、私はいたと思います。そいつは、龍馬の潜伏先を知っていた。そんで、始末してもらいたいなーと思っていた。その双方の条件を満たしているのは誰なのか、と考えたら。 そこは自然に「薩摩藩。別の名を西郷隆盛。そこに繋がるのは岩倉具視」となるかなと思います。 当時の坂本龍馬は例の「船中八策」というやつを説いて回りました。これは結果的には明治新政府と同じ政策になるわけですが、この当時において船中八策が実現されるとなると、それは「徳川家を中心とした連合政権」になるのです。だってこの当時における自民党は徳川家です。彼らは200年に渡る国内統治と外交の経験を持っていて、その間に反乱を一度も起こしていません(大塩平八郎の乱がありますが、これは徳川家に対する反乱とは違いますから除外)。徳川慶喜が大政奉還したのも、「どのみち徳川家が参加しないと統治は無理でしょ」という読みがあったからです。 けれど倒幕を目論んでいた西郷隆盛と岩倉具視にとっては、船中八策を広められて「平和的な統一」がされるのが一番困るのです。武力討伐による徳川政権打倒しかないと思っていました。だから、政策を持っていてカリスマ性まであるやつが生きているのは困るのです。 なにしろ岩倉具視ときた日にゃ、倒幕の密勅は捏造するわ、孝明天皇は暗殺しちゃうわ(いやどう見ても孝明天皇は暗殺されたと思いますよ)、今に残る肖像画を見りゃ分かりますが、ものすげえ悪人面の陰謀家ですからね。 私は、岩倉具視が「あの坂本ってー奴ァ立派なお人ですなあ(京都的言い回し)」といって、西郷隆盛が了承して(龍馬を匿っていたのは薩摩藩です)、人を介して京都見廻組に情報がリークされたんじゃないかなと思っています。もちろん京都見廻組はその情報のリーク元を知らなかったと思います。しかし間を介するスパイはいくらでもいたわけですからね。「意図的な情報流出」というのは、政治の世界では日常茶飯事です。 ただ、独自に京都見廻組が龍馬の潜伏先情報を手に入れた可能性もあると思います。襲撃前に内偵をして確認しているのが明らかになっているからです。 ただ、そうだとしたら「京都見廻組が龍馬の潜伏先を嗅ぎつけたらしい」という情報が薩摩藩に引っかかってもおかしくはない気がします。そうだとしたら、薩摩藩(というか西郷隆盛)が龍馬の潜伏先の変更をあえてさせなかった可能性もあると思います。 あと、芹沢鴨暗殺も、容保が命じたというより直接の原因は新撰組内部の権力争いだったと思いますよ。ただ「内ゲバでリーダーを殺しました」では大義名分が立たないので、後から「お殿様の命令(あるいは暗黙の了解)だった」としたと思います。もし容保がそういう陰謀家なら、明治維新後に生き残ることはできなかったと思います。そういう陰謀家が生き残るのは危険ですからね。
お礼
大変詳しい説明をありがとうございます。当時は政情が混乱しているうえに個人間の利害関係もからんで、非常に複雑なんだと思います。そんな中で起きた事件なので、今になってこんがらがった糸をほぐすような行為(龍馬暗殺犯の特定)は無理なのかもしれません。 薩摩藩や岩倉具視が関与していたかもしれませんね。はっきりしたことはやはり新たな資料が出てこないと分からないのかもしれません。でも最近になって新撰組の斉藤一の写真が出てきたなどということもあるので、龍馬関連も何か出てくるかもしれません。それを期待しようと思います。ありがとうございました。
- EH1026TOYO
- ベストアンサー率26% (83/318)
小生、全く以て門外漢であるが・・、 日本史(特に人物史)は少なからず興味があって、偶にだが何となく興味の湧いた書籍を買ってきて、暇な折、読んでみたりする・・! (まぁ、興味と言ってもその程度なのだが・・) 「坂本龍馬を斬った男」今井幸彦著 (新人物文庫) によると、佐々木唯三郎或いは榎本対馬の名が出てきている・・! 既にご存知であればご容赦・・!
- tiltilmitil
- ベストアンサー率22% (1871/8250)
>真相は新しい史料でも出てこないかぎり永遠の謎 その通り、歴史として扱うならばあくまで史料に基づいて行うことになる。推測するにしても「この資料から考えたらこれしかない」レベルでないとまともに相手にもされない。
お礼
ご回答ありがとうございます。何か新しい資料が出てくるのを待ちたいと思います。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2300/5115)
>龍馬暗殺の真相は新しい史料でも出てこないかぎり永遠の謎だと思います その通りでしようね。 最近では、京都見回り役の某氏が実行犯として有名になっていますがね。 彼は、明治政府から直ぐに釈放されて警官を定年まで勤めています。 本来なら、幕府側役人ですから徹底的に批判を受ける立場ですよね。 が、西郷隆盛の鶴の一声で「釈放」となっています。 まぁ、真実は今後も分からないでしようね。 明治新政府は「都合が悪い証拠は、消去」しています。 討幕の目的だった「尊王攘夷」も、直ぐに放棄していますからね。 ただ・・・。 政商だった「グラバー」の日記には、記載があるかも知れません。 最近公開された日記の部分。 「龍馬に、西洋の政治体制を教えた」 これは、有名な「船中八策」なのです。 日記が公表されるまで、一部の歴史学者・歴史愛好家では有名な説でした。 龍馬暗殺についても、明らかになる可能性がありますね。 余談ですが・・・。 メイプル超合金の「安藤なつ」さん。 龍馬の姉である「鬼王様」と、全く同じ体型です。^^; 今でも大柄ですから、龍馬が生きた時代は「大男」ならぬ「大女」だった事でしようね。
お礼
ご回答ありがとうございます。何か新しい資料が出てくるのを待ちたいと思います。 乙女姉さんは大女だったんでしょうね。たださすがに当時の食糧事情で安藤なつさんほど肥えることができたかどうか・・・、いずれにしても似たような体形だったんでしょうね。 ありがとうございました。
お礼
大変詳しい説明をありがとうございます。当時は政情が混乱しているうえに個人間の利害関係もからんで、非常に複雑なんだと思います。そんな中で起きた事件なので、今になってこんがらがった糸をほぐすような行為(龍馬暗殺犯の特定)は無理なのかもしれません。 はっきりしたことはやはり新たな資料が出てこないと分からないのかもしれません。でも最近になって新撰組の斉藤一の写真が出てきたなどということもあるので、龍馬関連も何か出てくるかもしれません。それを期待しようと思います。ありがとうございました。