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名古屋城 金の鯱について
有名な話しかも知れませんが、ご教示くださいませ。 (1)名古屋城の金のシャチほこ・・・一体誰が何のために 金箔にしたんでしょうか? (2)金シャチは、他の城でも採用されているのでしょうか? (3)シャチを屋根上に飾る由来とは? 以上宜しくお願い致します。
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>名古屋城の金のシャチほこ・・・一体誰が何のために金箔にしたんでしょうか? 天下普請の城+東海道中山道分岐点+徳川家康の孫との理由で、徳川幕府の権威を示す目的で、幕府直轄で工事を行なっています。 遠くからでも見える様に、鯱は若干「頭でっかち」の体型ですよ。 >金シャチは、他の城でも採用されているのでしょうか? 安土城・大坂城・伏見城・江戸城に金の鯱がありました。 安土城・大坂城・伏見城は落城、江戸城天守閣も落雷で炎上後は再建していません。 結局、名古屋城だけに金の鯱が残ったのです。 >シャチを屋根上に飾る由来とは? 当時の天守閣は、一般の建物(櫓)に比べて高さがあります。 つまり、落雷の可能性が高いわけですね。 落雷で火災が発生しても、当時は消火の手立てがありません。 そこで、「水の神」を建物の上にのせたのです。 一種の「おまじない」ですね。 余談ですが、今でも地方の民家にも「おまじない」が残っています。 「雨」の字を瓦に描いたり、屋根下に「青(水)」「白(雲)」でライン(波線)を引いています。
お礼
詳細なご回答ありがとうございました。 やはりいつの時代も、「金」は栄華の 象徴なんですね。時の権力者の居城は ほとんどが金鯱だったんですね。 火災予防に水の神・・・日本家屋の 伝統なんですね。我が家の瓦も変えたくなりました。