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come の使い方ですが。

以前の質問などを見ていてふと疑問に思ったのですが、サイトを見ていると I should have came here. のような表現が見られます。 これは文法的にはどのように説明できるでしょうか。

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回答No.6

Gです。  >A)I should have came here two years ago.のような表現のcameの部分を 1)わざと誇張してはっきりと言った場合 2)何気なくさらりと言った場合 これを通常の会話の中にさりげなく混ぜてネイティブに聞いてもらった場合それぞれどのような反応をするでしょうか。もちろん日本人相手の外国人講師の方ですと、そこらへんをおおめに見てしまう可能性がありますので、それ以外の方ということにはなりますが。 日本人で中級クラスの人がこれを言ったら「間違いだよ」とネイティブは感じるでしょう。 それを口に出して教えてくれるかどうかは別に。 つまり、英語力が教養的に、又、実力的にネイティブレベルで一般文法に関して間違いをしたことがない、間違わない、と評価されている日本人であれば、私の書いたフィーリングを素直に感じてくれるだけの英語力を持ったネイティブには分かってもらえるでしょう。 つまり、表現に文法的間違いはしない人であるというレッテルがついていて、更に、この表現に慣れている人と言う条件がつくことになります。 >B)この表現を実際にネイティブの口からお聞きになったことはございますでしょうか。 文法的に教養が足りないとされる人からも、そして、表現力に富んだ人からも耳にしています。 >C)正式な文書ではかなりまずいでしょうが、小説などでごらんになったことはないでしょうか。 一般的ではない以上、正式な文章では決して認められている表現ではないです。 小説では見たことはないですが、一般人が読む小説ではやはり「教養がない」と言うイメージを出すために使うかもしれませんが、私としては、教養がないというイメージを出すためであればもっと「教養がない人が使うもっと一般的に知られた表現を使う」でしょう。 もしかしたら10年後にはこの表現が更に一般化しているのではないかと推測し、廃れていく表現ではないのではないかと思っている私です。 私には使う状況がありませんので使いませんが、さりげなく使っている人はゆっくりではありますが増えている様に思えます。 20年前にはまず耳にする表現ではなかったですね。  もう一つ情報として書いておきますね。 私でも自己向上と言う理由で「表現方法」などのセミナーを1年に一度くらいは受けていますが、その中で、この表現を使ってはいけない、とアドバイスしているところを見ると、セミナー講師にとっては「目障りになるくらい」目にしているし耳にしていると言うことだと分かりますね。 should have wentの方をshould have cameより耳にするのはshould have goneとshould have beenのフィーリングの違いが気になると言うところからより頻度が高くなっているのではないでしょうか。 should have didは耳にするにしてもshould have wasと言う表現は耳にしないのはやはり、文法的に過去分詞の代わりに過去形が間違って使われていると言うことではなく、まさにフィーリング表現の一つとして、comeとかgoの使い方の変化によってのフィーリングの違いを出しているためだけの表現方法だということになるのではないかと私は考えています。

iamgreen
質問者

お礼

私も機会がありましたら調べてみたいと思います。 今回の質問は些細なことかもしれませんが、言語というものを見直す大変良い機会となりました。 感謝しております。

その他の回答 (5)

回答No.5

アメリカに住んで40年目になりました。 何か私なりにお手伝いできるのではないかと思います。 出来るだけ一般教養社会の表現方法を教えようとする学校文法を基準にすると、(その文法では)間違いとされますし、こちらでも一般社会で使われる文法を基準にすると間違いとされます。 つまり、この表現を「使われているから」一般的に使おうとすることは「身のため」にならないということなんですね。 しかし、この表現は実際に使われているという事実と一種の「追加的」フィーリングを出した表現として、一部の人たちが使っている事も一つの「雑学」として知っておいてもいいのではないかなとも私は思っています。 つまり、この表現を使っているのを見て「間違っている!!!」と断言するのではなく、少なくても「一般的文法では間違っている」と条件をつけて言うべきだと私は思うわけです。 言い換えると、生きている英語の新しい表現、追加的フィーリングを出した表現を知らない、認めないと言うことになってしまうわけで、それと同時に、日本人が毎日使う表現のほとんどが「間違っている」と言う事になるわけです。 have cameと言う表現がこのままでは使われているわけではないと言うことも知ってください。 「追加フィーリングを表している」と上に書きましたね。 I have cameと言う表現よりも、I should have cameと言う「仮定法」的な形でよく使われていると言うことを知ってください。 つまり、これを使っている彼らの頭にはshould haveで「すればよかった」と言うフィーリングを出す表現であると言う事はちゃんと分かっているのですね。 そして、cameとして過去の事に関して、と言う事になるわけです。  あの時来れば良かったのよ、と言う日本語表現はOKですね。 では、あの時来たら良かったのよ、はどうですか? 来た(came)should haveよかったのに、となるわけですね。 後者をOKとし、後者の持つ追加フィーリングを出せる表現なりまったく同じだと感じるようになれば問題ない表現ですね。 しかし、日本に今までこの後者の表現を「教えてくれなかったら」あるいは「良しとしない」国語文法があったとしたらどうでしょう。 外国で日本語を習っている人が国語文法を「絶対視」して習っていればこの表現は「間違っている」とするでしょうね。 今回のように。 ここまで半分肯定論を書いたわけですが(一般的には間違っているんだよ、と言う事ははっきり書いたことは忘れないでくださいね)、実は実際に間違って使っていると「気がつかないで(知識の中にない)」これを使うべきではない状況で使う人もいるわけです。  つまり、このような人は「生きている英語」に貢献しない人たちも結構いるわけです。 貢献していると言うより「汚している」と言われる人たちがいるわけです。 英語表現に、どの言語でもですが、変化がおきるのはこの追加フィーリング(新しいフィーリング、や流行も含む)を出すために作られたものと間違って使われる表現方法の大きく分けて二つがあるわけなのです。 間違った漢字が使われるようになって今ではそれが普通になってきたと言うこともあるし、「全然」の様に大正頃に否定的文章だけに使われるようになってしまい(それ自身変化ですね)、その否定文にしか使われないという「文法」が定着し、肯定文にも使われるように戻ったときに、この大正文法しか知らなかった人たちはこの肯定文使用に「間違っている!!」と叫び狂ったのはそれほど昔のことではないですね。 このshould have cameと言う表現が、もしいつか定着し日本の学校文法でも認められたらどうなんでしょうか。 いつも100歩現実から後れを取っている(取らざるをえないわけですが)学校文法が認めればOKとする、と言うのはほんの初学者のための知識でしかないとしないと中級車であれば実際に使われている表現の存在を認める姿勢を持ち始めてもいいのではないかと私は思うわけです。 持ち始めるということは、今まで初学者として持っていた文法の知識を広げ始めるということであり、実際に使われているから正しいと思うことではないのですね。 しかし実際に使われている以上、それがどういうものなのか、どういう位置を英語圏ではもっているのかと言うことを知っている上級者の仲間入りをするには必要な階段の一段であるということなのですね。 実存を知る=正しいから使ってやろう、ではなく、実存を知る=実存を認める、から始まるということであり、この表現を認めながらも自分では使わない、と言うことにし、使えるようになるまで(実際に使われている状況やTPOを見極められ、他の俗語的表現を使いこなせるようになってきてから)頭の隅において置けばいいのです。  学校文法的には間違っている、と言う条件付きに「批判」することは間違っている姿勢だとは思いません。 しかし、この条件なしに否定するのはもったいないということだと私は思うのです。 と言うことで、この表現は学校文法的には間違っているので学校ではこれを良しとしないでください。 しかし、英語表現論を語る場面であれば、ネイティブのレベルの考え方や感じ方でどんどん論議してもいいのではないでしょうか。 言語学としては面白い表現だと私は考えています。 なぜならこれを使う人たちで追加表現をしたいからこれを言うというフィーリングの存在を感じるからといってもいいでしょう。 批判する基準の違いともいえるということを知っておいてくださいね。 参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。

iamgreen
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 have cameというと「過去に」という意味を強めるような語感は確かに感じてはいました。 A)I should have came here two years ago. のような表現のcameの部分を 1)わざと誇張してはっきりと言った場合 2)何気なくさらりと言った場合 これを通常の会話の中にさりげなく混ぜてネイティブに聞いてもらった場合それぞれどのような反応をするでしょうか。もちろん日本人相手の外国人講師の方ですと、そこらへんをおおめに見てしまう可能性がありますので、それ以外の方ということにはなりますが。 B)この表現を実際にネイティブの口からお聞きになったことはございますでしょうか。 C)正式な文書ではかなりまずいでしょうが、小説などでごらんになったことはないでしょうか。  

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.4

「ら」抜きと似ていて、ネイティヴがよく使う文法的に間違った表現です。補足欄にお書きになった「I could have sang my songs.」もそうです。

iamgreen
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「ら」抜きと似ていて 私が見たページはずいぶんご立派なページだったのですが、これが狙ったものでなく単なる間違いであるなら、すっかり台無しですよねえ。。。。。 もし機会がありましたら、ネイティブにでも聞いてみて、新しい動きがあれば再投稿してみます。

回答No.3

ミスするのは人間の常。Google より The New York Times あたりで検索してみてください。ミス率がぐーと減ります。

iamgreen
質問者

お礼

お世話になりました。 これからもよろしくおねがいします。

iamgreen
質問者

補足

>The New York Times あたりで検索 これをやってみました。確かにほとんどないようです。 The New York Timesで検索という技はやったことがなかったので、思いがけず良いことを教えていただきました。 have cameについてはわざと使っているのか、ほんとに間違っているのかの判断はまだつきませんが、新たなことが分かったらまた新たな質問を投稿してみます。 ありがとうございました。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.2

>これは文法的にはどのように説明できるでしょうか。 文法的には、have + ppで完了形ですから、この形はありません。 正しい表現は、 I should have come here. ぼくはここに来るべきだった(実際にはちがう)。

iamgreen
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 正式文書ではまずいでしょうが、口語ではひょとしてありなのかなとも思ったのです。 文法的にとは書いてしまいましたが。。。。 もし何か新しい疑問、新しいことが分かりましたら再投稿してみたいと思います。

回答No.1

I should have came here. は間違いとしか言いようがありません。 あんまり Google の検索結果などを鵜呑みにしないほうが良いです。 I should have come here にしてもその後に何か必要です。 I should have come here earlier. など 実際にできなかったことに対して sorry の気持ちを込めています。

iamgreen
質問者

補足

ご回答ありがとうございます! I should have came here a long time ago. というのがありました。 ご立派なページなのですが、ずいぶんと基本的なところで間違っていることになるんですねえ。。。 今サイトを見ているとcomeに似ている動詞becomeで have we became のような表現も見受けられました。 あとあまり良く見ていませんがsingでは I could have sang my songs. など、他にもぱらぱらありました。 過去形と過去分詞が似ているものが間違いやすいといったところでしょうか。

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