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寒山の詩  千年石上古人蹤・・の七言絶句の意味

この七言絶句の意味をご存知の方、教えてください。背景もわかれば嬉しく思います。 千年石上古人蹤 萬丈巖前一點空 明月照時常皎潔 不勞尋討問西東       --寒山--  よろしくお願いします。

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回答No.1

 寒山はまったく知らないが、どなたもないので、自己流を。    千年石上にだって、先年の意志だからこそおのずから古人の蹤あり     ほとりではなく、やはり上でしょう。     刻まれているのでしょう。     自ずからとかのことばを添えればわかる気がします。  見上げれば、萬丈巖前には、当然に一點の空あり     心に画く以外には説明しようがないのではないでしょうか。     見上げた巌のさきには小さくも高く、空がみえるわい。     くらいかな。  明月照する時には、当然にあたりすべては皎潔だわい     語彙としては皎潔は存じませんが漢字としては     理解できるのではないでしょうか       尋討に勞さず西東に問ぬ    ぐちゃぐちゃ頭でかんがえたり、    ひねったりす必要がどこにあろうか、    素直に万物になりきれば、ないをか尋討する必要があろうや    くらいでしょうか    西東とは私達の東西でしょう。    中国も近年は東西というそうです。    世間とか世界くらいの意味でしょう。    まぁ、大観するまでもなく、宇宙の通りさ、神のとおりさ。   (中国の神は知らないが、       いわゆる大創造界=神なのでしょうね。)    神のなすところをみれば、それでいいではないか。    何も理解してないが、自分の気持ちをここに読んだが。    こうは言い切れません。    こうしか読めませんでした。   

sasai
質問者

お礼

ご親切にありがとうございます。 もしかして、この質問が徒労だったかと、心配していました。 おおよそ私が感じた意味が正しかったのではないかと思うことができました。 寒山がどのような方なのか、まだよくつかめていないのですが、もう少し調べてみます。 感謝します。

その他の回答 (5)

回答No.6

 それから、  太陽ではなく、月です。殆どの宗教では月です。これはどうしてかお考え下さるか、お調べの上の新たなご質問かも知れません。  起承転の中に、自己がありません。当然でしょうか。  結で自分を語っています、起承転の何になっているのか。  面白いですね。  でも寒山の偈とか悟りとしては、読みようでは少し食傷の文言ともなります。これをどう新鮮に受け取るかは、生活次第でしょうか。

回答No.5

≪先年の意志≫⇒≪千年の石≫ たびたびすみません。つまり慌て者。 ≪皎潔≫は形容詞といての漢字のつながりでしょう。 ≪尋討に勞さず西東に問ぬ≫ 漢文は助詞がないし、中国人も助詞のない思考のきらいがありますね。  この韻詩全体もそういうもので、また広がりと奥深さを出してくれる効果になっていますね。  私達は、之を鑑賞したり、精進の偈のようにするにはこういうことを利点にして、自分なりに気持ちを大きく、いい気持ちになって、口ずさむくらいがいいと存じます。この私自身はもう中国のではなくヒンドゥのことで手一杯になっていますが。  頭の体操、観念のお遊戯、理論や、演繹なども、右顧左眄などもやめて、宇宙の運行を、摂理になろうや、くらいに解釈しましたが、意識と内部のことですから、なるものではない。  只そういう気持ちは出発点で、一番大事。

回答No.4

ANo.3です。 ちゃんと読み返したつもりだったのに、 えらい変換間違いをしてしまいました。 「修行の段階の新疆」    ↓ 「修行の段階の心境」 あと、一箇所、脱字がありました。 「多分に禅的ものでしょう」    ↓ 「多分に禅的なものでしょう」 失礼しました。

sasai
質問者

お礼

ご親切にありがとうございます。 おおよそ私が感じた意味が正しかったのではないかと思うことができました。 寒山がどのような方なのか、まだよくつかめていないのですが、もう少し調べてみます。 感謝します。

回答No.3

私は専門家ではないのですが、訳してみます。 【訓読】 千年の石上、古人の蹤(あと)、 万丈の巌前、一点の空。 明月照らす時、常に皎潔(こうけつ)、 尋討するを労せず、西東に問う。 【訳】 千年も経っている石の上には、古人(その上に坐って修行した先人)の跡が残っているものだ。 万丈もある岩の前には、一点の空しかない。 明月が照らす時は、常に清らかで高潔である。 (真理を)探求することを厭わず、西や東(あらゆる方面)に問うていこう。 背景までは分からないのですが、寒山は禅の教えを極めた方ですから、この詩に込められている意味は、多分に禅的ものでしょう。 ただ、この“千年の石”がどの石なのか、“万丈の巌”がどこの岩なのか、専門家なら分かるのでしょうけれども、私はそこまでは調べるだけの資料を持ち合わせておりません。 ただ、全体から推測するに、まだ禅を極める前の、修行の段階の新疆を読んだ者ではないかと思います。 以上、あくまでも参考程度ということで、お願いします。

回答No.2

≪補正≫  問ぬ・・・当然ですが、≪たずぬ≫と読みました。  ないをか尋討する必要があろうや・・・・何をか尋討する必要があろうや  と≪い≫の≪に≫に修正。  

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