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ほにゃらか形而左右学 数学、補論

今月は、全く出遅れてしまって、 理由は、“体調不良と質問内容のカブリ”と言う事で、おそまつ。 そんなことで、出走辞退の予定でしたが、不思議なことが多すぎて、 一人で考えていても、らちがあかない。そこで。 前提A)とある、数学関連の本に、数学は発明ではなく、発見であると。 前提B)此処では、発見と発明の違いを、 前者では、‘発見するためには発見する以前に存在する’点が強調され、 後者では、‘発明とは発明以前に存在しない’と言った意味にて区別されています。 そうすると、 1)数は、発見ですか、それとも発明ですか。 整数はともかく、特殊な0とか‘√-1'も、発見ですか。 2)三角形や直線の概念は、発見ですか。 3)そこで、これらの全てが発見だとすると、 ‘発見するためには発見する以前に存在する’から、 数学の概念は、発見する以前から存在することになります。 4)以上の考察の結果、数は言語記号ではない。 ここでは、‘言語は物の名ではない’と言う点からの結論です。 此処、判り難いかも知れません。 言語記号により、切り取られることによって、始めて概念が決定される、 といった意味で、この点は、前提として、突っ込まないで下さい。 結論C)要するに、数字と言語は、区別される性質の物でしょうか。 実生活には何の役にも立たない長話ですが、 お暇な方、下手な考えの問題点のご指摘、宜しくお願いします。

みんなの回答

回答No.15

おはようございます、fishbowl66さん。 昨日今日と二連休。(*^-^)b フラット フラットちょいと時間がとれましたのでお邪魔かな?とはおもいつつもまた来ちゃいました~♪ごめんあそばせ。舞い戻って来たのには来たでワケがあります。「何んじゃ、そのワケって?」ハイ、ハイ、ハイ。よくぞ聞いてくださいました!遡ることNo.10。ここで頂いたお礼の中に潜む謎の文字『兼』ひとつ。むむ…。この文字ただ一点をみつめ思い巡らせてみても『兼』の文字はデンとそこに収まったまま。微動だにもしません。ハイ、『はじめのだぁーいっぽ』の鬼の気分です。『何かちがうよなぁ~』と『気のせいかなぁ~』『なんだろう~』と思いつつ、しぶしぶ壁の方へ体を向き直し目を伏せ『は.じ.め.の.だ.い.い.っ.ぽ』と読み上げ、パタッと先ほど『兼』に目をやりましたら…あっ?! 発見! たとえば、10を半分こすると5づつ左右対称にわけることできますよね。10の半分は5といつの間にかインプット。しかし、これが曲者。10に何か言葉がつくと必ずしも10の半分は左右対称とはならない。その例に『画』。『兼』の画数を数えてみると『10画』、兼の文字に中心線を引き左右半分に割ってみてみると… ●「経済学を学ぶのは、経済学者にだまされないため」 ↑ 目から鱗、1dayアキュビュー。目のくもり気をつけましょう。取り替えよろしく。

fishbowl66
質問者

お礼

littlekissさん、こんばんわ。 平日の休みは、得した気分ですね。 皆さんが働いているときに、ノンビリ、 朝のラッシュに無縁なのも宜しいようで。 う~ん、まるで前回のクイズのような、頭をひねって 「日が暮れる」あっくどい、 「兼」は「10画」成る程、半分ですか、 発見、「兼」は、元々「5字」 半分にするには、痛いかも。 最後まで、謎がらみ、メガネフキ拭き。 有難うございました。

回答No.14
fishbowl66
質問者

お礼

littlekissさん、おはようございます。 やはり、続きは恐ろしいですね。 「経済学を学ぶのは、経済学者にだまされない為」 ↑これ、経済学者の科白らしいですね。 稲葉さん面白いこと書いてましたね、 この人は、J.ロックの信奉者だからあまり関心なかったので、 ハンナ・アーレントの「人間の条件」も面白そう。 ローズマリーの花言葉は、・・・スカボロー・フェア

回答No.13

なんか面白そうなので飛び入り参加させていただきます。 質問は数字と言語は区別できるものかということですね。 まず数字は発見された何か(例えば石n個,葉っぱb個,星c個etc)を 分かりやすくするために作られたものですからこれは発明になるんじゃ ないかと思います。 もちろん数記号も同じです。 ただ式の意味は式化される前の要素もしくは想像を組み立てたものです からこれは発見になります。 その式に今までない記号を付けるならその数式記号は発明になると思い ます。 0の場合も実態を消せば現れてくるので(目の前にある物体を目の前か ら消すetc)発見であり0という数値は発明になると思います。 虚数は直感から生まれたものですからやはり発見ということになると思 います。 もちろん数記化されれば発明ということになると思います。 自分では完璧と思っているのですが何か無理点があるでしょうか? 参考までに・・・

fishbowl66
質問者

お礼

>自分では完璧と思っているのですが 成る程、完璧ですね、 私の考えた事と同様な思考過程を文章にしていだき、 大変参考になります。 数字と言語の区別をテーマにしながら、数学(数字と字形が似てる)の概念まで混同して、一緒に考えた為、複雑にしてしまった。せめて、自然数と0ぐらいで止めたほうが良かったようです。 そこで、ここ。 >まず数字は発見された何か(例えば石n個,葉っぱb個,星c個etc)>を分かりやすくするために作られたものですからこれは発明になるん>じゃないかと思います。 なかなか難しい問題ですが、数字と言葉の違いに注目するといっても、数字と言葉は同じ言語記号の仲間として共通の部分もあるわけです、そこで違いを際立てるために、数字の正確さと共通性、虹の色に関する言葉の区分の差異と曖昧さ、この辺りを私も、もう少し考えてみたいと思います。残念ながらこの質問も、時間切れで消化不良のまま、終わりそうです(笑。 有難うございます、飛び入りは歓迎ですが、駆け込み乗車には気を付けましょう。

回答No.12

こんばんは、fishbowl66さん。 チェック細かいですね。スルドい! ●猫のクレオ??? ↑ (ρ_-)o ゴシゴシ (@_@)あっ?! (((|(>_<)|))) あわわ ひとりで三竦みしちゃいそう。三番~♪ (*^^*)>゛゛゛ ですね、 猫はフィガロ 金魚ちゃんがクレオ ゼベットさんはゼペットさん 訂正よろしく m(_ _)m わら算…ねがいましてぇーは~♪(星に願いを) 金額はおいくら? ふむ、 「吾れ少きとき賤し、故につまらぬ事に多能なり」 故に日々金欠なり。0円? 【産額】 生産.産出される物の ー 量(金額) ほでは、ぼつぼつ数字と言語の関連を… 投資の危機分散あたりからでしょうか? 財産三分法 現金預金ー不動産ー株 ↑ この配分3分の1づつ で、株の配分に目をむけ。ない(少ない)といえば…国内の鉱物資源。資源株。国内みまわせど…原油、原料値あがれば株価下落に引きずられる。株が値下がっても、財産の減少は3分の1以内で、あとの財産3分の2は保全。ほでも、3分の1は減ることに変わりがない。3分の1減りはすれど3分の2あることをないよりもいくらかましと安全と捉えることもできようが現状からすれば減るのだから安全とはいえない。3分の1の揺らぎをなくすことは厳しい。減りをいくらか小さくとどめ置くことはできないものだろうか?3分の1の株をおおきくふたつに日本株と外国株に配分し、さらに日本株の内訳を固定株と流動株に配分、外国株の内訳も固定株と流動株に再配分し直し組み合わせを再考。固定株には、原油、原料値上がれば株価下落に引きづられる、そうならば原油、原料は国内に乏しいわけだから外国株の原油、原料の株、資源株を固定株に置く。上がれば下がる、下がれば上がるのだから仕入れにかかる原油、原料費の負担を株価収益にて相殺。防衛措置。固定株はプラマイゼロにおもきを置き、流動株は時流をみて随時動かせるようにしておく。外国株、テリトリーを越えて入ってくる勢いのある株は速攻でカイ。ディフェンス。 ICEを1つ口へ、口やすめ ↓ http://www.pinoice.com/pc/asobou/index.html 対外純資産

fishbowl66
質問者

お礼

littlekissさん、おはようございます。 あれ~数字というとすぐお金ですか、ゲンキン。 ICEを食べていると、「日が暮れそうで」 思わず笑ってしまいました、くやしい。 ところで、質問ですが、なにやらまったく理解されていないようなので・・・ 赤とか青とか色の違いを表す言葉は、けっこう曖昧な区分で成立していますが、数字というと、その辺りが世界中で、普遍的な区分があるようです、赤ん坊は生まれてすぐに、物理的な変化を認識できるようですが、数の概念が、文字の概念の成立とは、少し違っているのではないのか、そこで結論に至る過程を、質問してみたのですが、不発ですね。 すみませ、ウッカリお礼で愚痴を、有難うございました。

回答No.11

取り急ぎお返事まで(只今帰宅途中、略式にて) ●昔も今も、日本人は、舶来好みなんでしょうかね。 さぁー、どうなんでしょうね。私事でいえば、ことものにもよりけりです。絵本然りアニメビデオも然り、『ピノキオ』のお話は好きですね。これ舶来ものといえば舶来ものですよね?猫のクレオがテーブルの上に置いてある金魚鉢に顔を近づけ覗き込む。鉢の中の金魚ちゃん身が竦む。あわや…そのときゼベットさんがひと声、声かける。むくれるクレオ。レフリーがいることにより、ただただ怯え身竦めるだけとはならなさそうなのがこのお話のひとつ。 あくまでも、お話ではだよ。現実にはどうかとなると…さぁー??? http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/jimusyo/177PARI/index.html

fishbowl66
質問者

お礼

前略 う~ん、ガク。 自ら言い出しながら「舶来品」これを数字と文字に掛け合わせ、 漢字は、元々、中国の舶来品、アラビア数字も舶来品、 日本固有の、「大和言葉」じゃなくて「大和数字」は、 壱・弐・参も中国舶来、あれこれ探すとこんなのが、 http://www.napcoti.com/culture/warasan.swf 上手くリンクするかな「わら算」とか言います。 「ピノキオ」も数の勉強をしていたかな。 え~、取り合えず、数字と文字の関連も、お義理でも付けておいてね。 有難うございます。猫のクレオ???

回答No.10

こんばんは、fishbowl66さん。 あっ?!もしや…発明って… (|||_|||) これかなぁ? うんとこどっこいショッ-☆ と、過去問を引っ張りだしてみた。 だとしたら…まさに補習だ。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa434201.html お題に入る前に鼻歌ひとつ 『SAY YES』 余計な物など無いよね~♪ (^O^)/ ご静聴 感謝 数字と言語をちと推理 『好事』と書いて『かうず』と読む 「BよりAを好む」 「CよりBを好む」 の二つが成り立てば… 必ず「CよりAを好む」 も成り立つ ↑ プラス「強さ」 さてこれなあに? △が×なのはアローが発見した例のあれ? 夏目漱石 短篇小説 『カーライル博物館』より 一部抜粋 公園の片隅に通り掛の人を相手に演説をして居る者がある。向かふから来た釜形の尖つた帽子を被づいて古ぼけた外套を猫脊に着た爺さんがそこへ歩みを佇めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつかつかと此村夫子のたたずめる前に出てくる。二人の視線がひたと行き当る。演説者は濁りたる田舎調子にて御前はカーライルぢやないかと問ふ。如何にもわしはカーライルぢやと村夫子が答へる。チェルシーの哲人(セージ)と人が言囃すのは御前の事かと問ふ。成程世間ではわたしの事をチェルシーの哲人(セージ)と云ふ様ぢや。セージと云ふは鳥の名だに、人間のセージとは珍しいなと演説者はからからと笑ふ。村夫子は成程猫も杓子も同じ人間ぢやのに殊更に哲人(セージ)などと異名をつけるのは、あれは鳥ぢやと渾名すると同じ様なものだのう。人間は矢張り当たり前の人間で善かりさうなものだのに。と答へて是もからからと笑ふ。

fishbowl66
質問者

お礼

今晩は、littlekissさん。 へえ~なかなか大胆な発言がありますね。 ともかく、ゼロも出て来ているようですが、発明と発見の違いが、程度の差、と規定してあると、う~んと唸ってしまいます。 今回の前提Bも、存在の解釈が難しそうで、 常識的レベルのいい加減さでしょうか、いい加減といえば、 A>B>C=A>C 数学なら正しいでしょうが、嗜好や思考の類は、あまり論理的ではないようで、必ず成立するとは、限らないのかも、その辺り、アローも苦心しているんじゃないのでしょうか。 お礼に返歌を一つ 戀死 戀死耶 玉桙 路行人 事告兼(人麻呂歌集) 恋死をするなら恋死をせよというのだな、(玉ほこの)道を行く人が何も語ってくれないことだ。最後の兼は無の誤字。 一説によると、万葉の和歌の一部は、皆で歌ったとか、 昔から日本人は歌が好きなようで。 今回は、夏目漱石が来ましたか、 昔も今も、日本人は、舶来好みなんでしょうかね。 過去質問、特に面白かった、有難うございました。

noname#32811
noname#32811
回答No.9

>やはり、自然数、分数、負の数、虚数と言った基本的なところから考察が必要ですね、虚数辺りで発明の可能性も有りそうで。 ゼロとか√の概念がどのようなプロセスで確立されたかわかりませんが、理性によるものであれば発明と呼んでいいんじゃないでしょうかね。

fishbowl66
質問者

お礼

つづき 数が発見だとすると、記号としての数字の成立過程は、言語の成立過程と違いがあるのかも、ところが、数字のなかに、発明した物と発見したものが混在すると、ますます混乱してきます。 う~む、お蔭様で、大混乱、頭の休養が必要です。 有難うございました。

noname#32811
noname#32811
回答No.8

追加ですが、 個人的にはアプリオリ即分析判断と言う立場ととりたいですね。 総合的な命題とは経験によって真偽が決定されるような感覚命題のみという立場です。

fishbowl66
質問者

お礼

やや、ますます難しい。 ちょっと話題を変えて、 記号>言語か言語>記号という問題があります。 で、数字は記号か言語かという問題を考えることができる。 上記は、ソシュールとバルトの記号学に対する見解ての違いですが、言語が対象切り取る結果(この表現は拙いですが)概念が確定する(虹の色の例が有名です)、それに対して記号は同じ過程ではなく、別の過程で対象を記号として表現する。この事を、発明と発見の違いの関連で説明できるかも、そんな所です、したがって、続く。

noname#32811
noname#32811
回答No.7

>これらは、経験的に認識すると言うより、判断によって、実在が客観的に認められるのですが、数字や数学に関して、これらと同様な関係だろうか、その場合は、発明と発見では、発見に近いのでは。 ちょっとよく分からないのですが、万有引力の法則と言うのは、何か経験的なデーターがなくて論理的に導き出された法則であるということでしょうか? 例えばわたしが毎日天体を観測していて、何かそこに普遍性を発見して命題化する、と言った場合観測と言うのは経験的なデーターを収集するということなのではないでしょうか? 例えば数学の場合、公理から演繹的に定理などを導き出した場合は経験ではないといえると思うのですが。しかし図形などをこねくり回して何か普遍性を見出した場合、それは経験的といえないでしょうか? 他の方のご意見も是非お伺いしたいところですが。

fishbowl66
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 なかなか難しいですね、違いの説明がなかなか上手くいきませんね。 例えば「経験」 頭の中で考えたことも経験とすると、「現在の地球の裏側」この「現在の地球の裏側」に関して考えたことは「経験」なんでしょうが、実際、「現在の地球の裏側」を経験することは不可能。 数学の難しい定理を本の上で「眺める」のは経験、実際に計算を検証して理論の正しさに納得するのも経験、こうなってくると同じ経験と言う言葉を使っても、内容が違いすぎる・・・ あれこれ考えていますが、今回の問題解決の役に立つのか、 別の切り口の方が良いのか、あれこれ思案中、 まとまらないお礼で、失礼しました。

noname#32811
noname#32811
回答No.6

>例えば、三角形の内角の和は180度である。 これも人間が発明したのだろうか?これ説明できないのでは。 どのような三角形を考えてみても、内角の和は180度である。 というのは三角形の本質のようですから、本質を発見したでよいのではないでしょうかね。 ただすべての主観が滅亡してもこの本質が存在すると言いうるのかどうか逆にお聞きしたいです。 可能経験的に与えられうるという意味で「在る」と言える立場があるので、非哲学に詳しい方にお聞きしたいですね。

fishbowl66
質問者

お礼

再回答、有難うございます。 大変申し訳ありません、 三角形の総和が発見でも、あまり前進できません。 △を持ち出したのは、×だったようで。 例え話をすると、物理法則・万有引力とか、 これらは、経験的に認識すると言うより、判断によって、実在が客観的に認められるのですが、数字や数学に関して、これらと同様な関係だろうか、その場合は、発明と発見では、発見に近いのでは。 やはり、自然数、分数、負の数、虚数と言った基本的なところから考察が必要ですね、虚数辺りで発明の可能性も有りそうで。 >ただすべての主観が滅亡してもこの本質が存在すると言いうるのかどうか逆にお聞きしたいです。 此処まで考えを広げてはいないですね、全ての主観がなくては、上記の言説自体が不可能になります。存在と実在を含め、感覚的に捉えられなくても、存在・実在する物の辺りの範囲で考えて、言葉と数字・文法と数学等など頭をひねっております。

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