※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:言語としてのεと本物の包含関係∈の違いについて)
言語としてのεと本物の包含関係∈の違いについて
このQ&Aのポイント
言語としてのεと実際の要素関係を表す∈を区別する意味について悩んでいます。
本物の要素関係は形式体系で書かれる可能性があり、言語記号と区別できるのか疑問です。
また、体系の言語とモデルでの無限降下列の区別についても理解できていません。
「数とは何かそして何であるべきか」や「ゲーデルと20世紀の論理学 4」などにおいて
集合論の言語として{ε}を用いる、ただしεは2変数関係記号である。体系の外で考えているとき、あるいは集合論のモデルで考えているときの、「本当の」要素関係∈と区別するためこの記号を使用する
とあり、言語記号としてのεと実際の要素関係を表す∈を区別しています、しかしこの区別はどういう意味があるのでしょうか。
記号そのものと、それが表現するものの違いだ、と一旦は分かった気になるのですが、さらに考えてみると本物の要素関係∈なるものも何らかの公理と推論規則、つまり形式体系で書かれるしかないのではないか?ならばそれも言語記号と違わないのでは?と堂々巡りになっていますのです。(この二つの記号はいつも同じ内容を表すとは限らないために区別しているのだ、と考えても両者とも結局包含関係を表す訳で・・・、二者の間に意味の違いがあるという状況を想像出来ないのです。)
また、
「体系の言語で記述される(内的な)無限降下列 とモデルでの無限降下列の区別」と
http://kurt.scitec.kobe-u.ac.jp/~fuchino/foundation.html (渕野 昌先生)
にある文章においても(同じことだと思うのですが、)悩んでおり、その区別がいかなるものか分かっていません。
「本物の」要素関係なるものが記述はされないが存在する などと言うことではないと感じるのですが・・・。
おそらくはじめの部分で勘違いをしていると思います、しかし、それがどういうものなのかはっきりしておらず苦しんでおります、この方面に明るい方助けていただければ幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり、概念と実物そのものの区別なのですかね、ただこの場合大福やアンコもなにか記述されたものであって記号として「まんじゅう」と「大福」の間に決定的な違いがあるとは見えないのです。 これはつまり、大福、アンコ、∋はどこにあるのか?ということだと感じるのですが...。 もう少し考えてみます。 この度は回答ありがとうございました、参考にさせていただきます。