• 締切済み

ほにゃらか形而左右学 数学、補論

今月は、全く出遅れてしまって、 理由は、“体調不良と質問内容のカブリ”と言う事で、おそまつ。 そんなことで、出走辞退の予定でしたが、不思議なことが多すぎて、 一人で考えていても、らちがあかない。そこで。 前提A)とある、数学関連の本に、数学は発明ではなく、発見であると。 前提B)此処では、発見と発明の違いを、 前者では、‘発見するためには発見する以前に存在する’点が強調され、 後者では、‘発明とは発明以前に存在しない’と言った意味にて区別されています。 そうすると、 1)数は、発見ですか、それとも発明ですか。 整数はともかく、特殊な0とか‘√-1'も、発見ですか。 2)三角形や直線の概念は、発見ですか。 3)そこで、これらの全てが発見だとすると、 ‘発見するためには発見する以前に存在する’から、 数学の概念は、発見する以前から存在することになります。 4)以上の考察の結果、数は言語記号ではない。 ここでは、‘言語は物の名ではない’と言う点からの結論です。 此処、判り難いかも知れません。 言語記号により、切り取られることによって、始めて概念が決定される、 といった意味で、この点は、前提として、突っ込まないで下さい。 結論C)要するに、数字と言語は、区別される性質の物でしょうか。 実生活には何の役にも立たない長話ですが、 お暇な方、下手な考えの問題点のご指摘、宜しくお願いします。

みんなの回答

noname#32811
noname#32811
回答No.5

ああ、暇だ。 猿でもある程度の数の意識はもっているんですがね、それは概念じゃあなく表象作用です。 数字を猿は意識しているわけではないですからね。 では人間が意識する数字のような概念がいかにして定立されるか、これは抽象可能力といった認識論の問題だと思いますよ。 概念は人間の思考領域ですからね、新しい概念は既知の概念によって次から次へと作り出されるわけです。 その中で有用な物は生き残り不毛な物は捨て去られるわけですね。 カントールの集合論が生き残っているとすればそれは有用な概念ということでしょう。 だから、 >数学の概念は、発見する以前から存在することになります。 なんてことはありえないわけです。 概念は神ではなく人間が定立するわけですからね。 それで本題の「数学は発明ではなく、発見であると」ですがね、これは主観論へ反抗ですよ。 つまり主観と客観が一致しているとでも仰りたいのですね。 下手をするとこの世界は数式で構成されているとでも言い出しかねませんがね(笑い)。 意味不明の場合はそのままとばしてくださいよ。

fishbowl66
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 ほにゃらか形而左右学が、形而上学と混同してきて、ピンチです。 数学不得手の私ですので、カントールの集合論も対応できません。 「表象作用」はどんな意味で使っておられます、 >それは概念じゃあなく表象作用です。 「それ」が数を示すと、数は表象作用で存在しなくても表象できると仰っているんですか、う~益々解らなくなる。 例えば、三角形の内角の和は180度である。 これも人間が発明したのだろうか?これ説明できないのでは。 質問者の想定以上に難しくなってしまいました、 頑張って対応できるようにしたいのですが、限界が近いですね。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.4

>前者では、‘発見するためには発見する以前に存在する’点が強調され、 >後者では、‘発明とは発明以前に存在しない’と言った意味にて区別されています。 。としてますが実は発見も発明も違いはないのです。 よく木製の仏像を掘る人が自分が仏像を彫るのでなく仏像を出すだけだ。といいます。発明する人も自分は発明をしたのでなくそれが世に出たがってたのを手助けしただけだ。という人も居ます。 発明以前に存在していないのでなく誰もそれに気づいていないだけなんです。

fishbowl66
質問者

お礼

御回答有難うございます。 そうきましたか、 「発明」と「発見」の区別は無いから、この論理は無効。 確かに一理ありそうですが、形而上学的存在論にと言う良く判らない状況になりそうです。此処は一つ踏み堪えて、結論を保留して1)から順に、数字と言語の違い、発見と発明の違いとともに、数字と言葉の違いを詳しく検討して見たいところです。 うん、「言葉と貨幣は人間の貴重な発明品」と何処かで考えたような。 ピンチ・ピンチ(笑。

  • ringouri
  • ベストアンサー率37% (76/201)
回答No.3

No.2です。 他人の意見を引用するだけでなく、自分がなぜそのような意見に賛成(あるいは検討の余地あり)と思うのか、少し理由を述べてもらうと有難いです。 数学が「発見」(コロンブスのアメリカ大陸発見?と同様な)ではないかと思う例を1つでも挙げて頂けませんか。 私は、不幸にして(?)そのような例を見たこともないし、想像もできませんので。三角形や直線はおろか、自然数だって、そのあたりに(アメリカ大陸のように誰の眼にも明らかな形で)ころがっているわけではないでしょう。具体的な石ころ、みかん、りんご...などの存在から人類の叡智が努力の末に獲得した抽象概念としての自然数が数学の対象なのではありませんか。 それとも「発見」を、数学に限らず、人間の認識の起源には実在するものがある、という意味で使われているのでしょうか。そうであれば、すべての知識体系、認識されたものは「発見」であるという言い方ができますが、そんな議論は本当につまらない「形而上学的」テーマになりますね。...それ程ヒマでもないので、これくらいで....

fishbowl66
質問者

お礼

ご回答有難うございます、御説ごもっとも。 ただ、質問文や前回のお礼で、出来る限り説明したように、私も、数字は言語の一種と漠然と考えていましたが、引用した文章を見て、質問させていただいた次第です、1)にあるように「発見」に若干の疑問を持ちつつ、専門家の意見を尊重すると、おかしな事になるので質問した次第です。 本当に役に立たない質問で、ご迷惑をお掛けしておりますが、認識の起源に実在が無いとすると、唯幻論的な意見にも理が有る事になってしまい、トリビアンな問題かもしれませんが、もう少し頑張ってみます。 念のために、私は質問したので、主張したわけでは有りません。 お忙しいところ、御回答を頂き有難うございました。

  • ringouri
  • ベストアンサー率37% (76/201)
回答No.2

数学はすべて発明でしょう。 「これらの全てが発見だとすると」という前提は受け入れがたいものです。どうしてこんな論理展開になるのか"分からん"です。 通常、自然言語をもとにして数学を記述し会話している以上、数字が言語に含まれるのは当然。「区別される性質の物」という発想はどこから来るのか理解不能です。(質問者の「言語」の定義を理解していないので、ここでは、あくまで一般の言語の意。)

fishbowl66
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 >数学はすべて発明でしょう。 これまで、あまり気が付かなかったのですが、 「プラトンの“リアリズム”(実在論)は、数学はその“対象”を創造したり発明したりするのではなく、コロンブスがアメリカを発見したように、それらを発見するのだ、という見解をとっています。」 『ゲーテルは何を証明したか』 E.ナゲール J.R.ニューマン 肝心のゲーテルの証明はさっぱりですが、余計なことに気が付いてしまい、「言語」の定義は結論まで必要ありませんし、棚上げしてもそれ以前の思考過程は検証できるかも。 ひとまず、数学は、発明か発見か、簡単に決めれる事ではないことが判りました。

回答No.1

こんばんは、fishbowl66さん。 うぅ…まだ夏休みには間があるというのに…補習とはこれ如何に? (T_T)泣けてきます。。。いまどき補習時間を設けてくれる方がいるなんてありがたや、ありがたや。えっ?!補習じゃなかった?…補論だって? まあ、まあ…そうお堅いことは言わずにやんわりといきましょう~♪ (*^^*)>゛゛゛でへぇ、今日も今日とてアバウトなわたし~♪ ●数字と言語は、区別される物なのでしょうか? うーん、区別の前にまずは数字と言語の関連を考えなあかんのんちゃうやろか? 例えば… 童謡 「サッちゃん」 作詞 坂田 寛夫 作曲 大中 恩 サッチャンはね サチコっていうんだ ほんとはね だけど ちっちゃいから じぶんのこと サッチャンって よぶんだよ、 おかしいな サッチャン この歌の中の登場人物はさて何人? 今夜はここまで …つづきは、後日 【集合基礎】-補集合- http://noribeat.s38.xrea.com/math/math03.html 対角線論法

fishbowl66
質問者

お礼

おはようございます、littlekissさま。 >数字と言語の関連を考えなあかんのんちゃうやろか? そうなんですが、数字も言語の一種と漠然と了解していた所、 数学は「発見」と言う文章から、ほにゃらか、ほにゃらか・・ あれ、数字と言葉は違うのかな? と言う疑問が、むくむくしてきた過程を質問文にしました。 登場人物は何人か、 まず歌の中の「全体集合」の確認からでしょうか。 続きが怖い(笑。 有難うございました。

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