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数の存在について
博士の愛した数式にあった一文なのですが… 「数は、人間が出現する以前から、いや、この世が出現する前からもう存在していたんだ」 とあります。 ここでいう数とは、全ての数のことなのでしょうか? 「0の発見」といい「0の発明」と言わないことを考えると、全ての数といえると思うのですが… 虚数やそれ以上の四元数なども発見といえるのでしょうか?? いろいろの定理・法則を成りたたすために定義したと考えるのは不自然でしょうか? ご意見よろしくお願いしいますm(__)m
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哲学の質問ですね。 ギリシャ数学では「自然数とその比(つまり有理数)はマトモなものだけれども、ピタゴラス学派が発見してしまった無理数というのは、なんかとっても異常で危険な思想である」と考えて長く秘密にされた。近代になっても、クロネッカーは、無限というものの本格的な研究のパイオニアであるカントールを批判して、自然数というものは初めからあったもの、それ以外は虚構に過ぎないというようなことを仰ってます。 自然数は初めからあった、つまり、数を認識する主体がまだいない時にすでに自然数があった、とはどういうことか、と考えると何だか変な感じがします。しかしながら、言葉を使う、言い換えれば論理を使う能力がある主体がひとたび生じたならば(ヒトに限らず、異星のヘンテコリンな生物でも良いのです)、それはいずれ必然的に自然数を発見したであろう。自然数以外の様々な数学の概念が、ヘンテコリン宇宙人の世界では今の我々の数学とは異なった体系に発展する、ということは十分考えられるけれど、しかし少なくとも自然数という概念に関してだけは、我々の数学と一致するに違いない。だから、「自然数は初めからあり、発見されるのを待っていたのだ」と、こういう見方もできるでしょう。 さて、数学では、「定理を発見した」と表現されます。「定理を発明した」とは言わない。 現代数学は公理系と推論規則というものを基礎に据えて、そこから何が言えるのか、という形で話を進める。実際の研究方法は必ずしもそういう進め方ではないけれども、でも、最終的にこの形にまとめ直して初めて、数学として意味を持ちます。すると、原理的に言えば、あらゆる定理は、最初に公理系と推論規則を並べた時点で既に、全てそこに含意されていたことになる。だから「発見」なんです。整数、有理数、実数、複素数、四元数…といった様々な数の世界や、あるいは図形、代数系など、数学で扱われる対象いろいろありますけれども、それらを定義するということも、「あらかじめ含意されていた特別な構造」を発見して、それに名称を与えて整理してやったに過ぎない。そういう捉え方ができるわけです。 ところで、あらゆるものが「既にそこに含意されている」のなら、それらを全く機械的・自動的に取り出して全部列挙する方法があるんじゃないか、というのがヒルベルトの形式主義のアイデアでした。しかし、ゲーデルの超数学やチューリングらの計算理論は、この考えがうまく行かないことを厳密に証明した。つまり、結局は手探りで発見していくしかない、という性質を、数学は最初から持っているんです。 一方、「法則」は(数学でも「法則」と名のつく定理もなくはないが、むしろ)、物理学のような、現実の世界を説明する哲学に属するものです。数学から法則が出て来る訳ではない。現実の観察・経験を積み重ねて、それを帰納する(整理し上手にまとめる)ことで形成される概念ですね。これもまた、世界で生じる様々な現象の中に、実は隠れた秩序(これを「オカルト」と言う。「隠されたもの」という意味です。)があらかじめ存在している。それを見通して発見するのだ。という考え方で捉えられてきました。このような考え方には、西欧哲学の、キリスト教的世界観の影響(肯定するにせよ否定するにせよ)が関係していると思われます。
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- Nouble
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数ってなんでしょうか? 人は現実を感覚機関で写し取り、 その脳内に、バーチャルリアリティーを補完して 認識しています。 数も同様です。 一方で、現実世界には 自然数や増減、マトリクスな配置など 観測者の存在如何に関わらず 存在する「数」があると思います。 博士は、この現実世界に既にある「数」達を 己が脳に 如何に写し取るかの その過程に訪れる 心地よい心のざわめき これをこのくだりで 表そうとしているように 私は思います。 博士は暗に 2種類の数があることを 示していたのでしょうか? ね、
お礼
2種類の数…深いですね!! ありがとうございます
お礼
哲学って難しいですね… 勉強になりました!!ありがとうございます