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坂本龍馬の評価が下がり続ける理由は?

司馬遼太郎が生きていた頃は、坂本龍馬の評価は最高潮だったと思います。 例えば、 【1】薩長同盟がなければ明治維新は成功しなかった。 薩長同盟を締結させたのは坂本龍馬だった。 【2】龍馬は船中八策で日本の将来を示した。 船中八策がなければ、今の日本はない。 【3】龍馬は亀山社中という日本で最初の株式会社を作った。 龍馬には先見の明がある。 岩崎弥太郎は龍馬のアイディアを受け継いだだけだ。 【4】龍馬は剣⇒銃⇒本と簡単に思考を変化できる柔軟さがあった。 【5】龍馬は着物にブーツをいうファッション感覚だった。 また日本で初めて新婚旅行に行ったのは龍馬だ。 龍馬は流行の最先端のオシャレだった。 など、思いつくままに書いてみました。 過去、TVなどで好きな歴史上の人物の投票をすれば毎回1位でした。 (最近のTV番組の投票では2位に下がっており、1位は織田信長でした。) 現在は坂本龍馬像が崩れており、龍馬の評価は下がり続けています。 坂本龍馬の評価が下がり続ける理由は何だと思いますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5

基本的には、司馬遼太郎の本が売れすぎて、虚像の龍馬像がでかくなっていたのが、揺り戻されている。 それだけです。 証拠:龍馬像が建ったのは、大正になってから http://www.kochinews.co.jp/ryoma/ryoma005.htm 例で質問者があげた、1,2,3が真実であれば、明治初期に銅像が建っていたはず。薩長土肥は、明治初期の勝ち組であり、「おらがところが、御一新の功あり」ということで、ネタ探しに必死でした。吉田松陰などは、全国的に見れば無名だったのを、弟子たちが、師匠は偉かった!としたわけです。

MUD-Water
質問者

お礼

なるほど。 それはありますよ。 振り子のように、過大評価されたものが戻ってきているということですね。 ありがとうございます。

その他の回答 (7)

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.8

 江戸末期にはあまりに多くの志士が、明治維新を待つことなく倒れ、明治時代にその名前が個人的に大きく取り上げられる特定の人物は、居なかったようです。  その中で坂本竜馬が有名になった経緯については、 1.明治政府に重用されなかった勝海舟が、「今の明治政府の要職を勤めている連中はたいしたことがない。彼らと比べれば、坂本竜馬は大物だった。」と吹聴したこと。 2.より大きなインパクトを与えたのは、日露戦争時の「皇后の夢枕に坂本竜馬が現れ、日本海海戦の勝利を告げた。」というもの。  予言どおりに日本海海戦で、日本連合艦隊が大勝利を挙げ、この話が日本全国に広まって、「坂本竜馬」の名前が有名になりました。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/rekisi/ryoma2.htm
MUD-Water
質問者

お礼

勝海舟が「明治維新。あれは坂本竜馬が全部やったことさ。」と言っていたのは聞いたことがあります。 それで龍馬は過大評価されているのですね。 ありがとうございます。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.7

別に坂本竜馬だけではなく、他の人の評価が上がってきただけではないでしょうかね。 小栗忠順 河井継之助など幕末で走り回った人がたくさん居ます。 単にあまりに見せすぎて庶民の感情が高くなっただけだと思いますよ。

MUD-Water
質問者

お礼

司馬遼太郎が書いた竜馬は他人の手柄を横取りしていただけだ。 という意見もありますよね。 ありがとうございます。

  • weber7009
  • ベストアンサー率29% (72/245)
回答No.6

坂本竜馬は長崎の商人で、フリーメーソンのトーマス・グラバーに操られていたという説が広まってきたからでしょう。 竜馬はグラバーが敷いたレールに乗っただけかも知れません。

MUD-Water
質問者

お礼

初めて聞きました。 ありがとうございます。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.4

>現在は坂本龍馬像が崩れており、龍馬の評価は下がり続けています。 質問者の方の主観でしょう? TV番組の人気投票など、その年の大河ドラマやヒットした映画や小説で、簡単に順位が入れ替わります。 あえて言うならば、司馬先生の「竜馬がゆく」が以前ほど読まれなくなったということでしょうが、いくら2000万部ほど売れたメガヒット作とは言え、時間の流れと共に読む人が減ることはやむを得ないかと思います。 もう一つ言えば、作家の解釈が幅広くとれる戦国ものと違い、より資料が多く残っている幕末ものでは、作品の自由度が狭められます。 歴史作家で坂本龍馬を書こうとする人は、どうしても「竜馬がゆく」を意識せざるを得ないので、あまり取り上げる人がいないのが実情ではないでしょうか。

MUD-Water
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (292/2662)
回答No.3

もとが過大すぎてめっきがはがれたから そもそも小説のなかの評価であって それを現実と錯覚したため

MUD-Water
質問者

お礼

司馬遼太郎の過大評価のメッキが剥がれている途中ですか。 小説の中の竜馬と現実の龍馬を区別できる人間が増えてきたのでしょうね。 ありがとうございます。

  • ARX7
  • ベストアンサー率15% (36/233)
回答No.2

司馬遼太郎の竜馬がゆくを若いころに読みました。 この質問の答えは、若い人は司馬遼太郎の本を読んでいる人が少ないからだと思います。 好きな人物は大河ドラマによく出る人物が1位になりやすいでしょう。

MUD-Water
質問者

お礼

やはり現在の坂本龍馬の評価は司馬遼太郎が作ったということですね。 ありがとうございます。

  • rabbit_cat
  • ベストアンサー率40% (829/2062)
回答No.1

歴史学での評価は今も昔も変わらないと思いますし、 一般の評価も、「坂本龍馬の評価が下がり続ける」なんてほど変わっているとは思えないのですが。

MUD-Water
質問者

お礼

ありがとうございます。

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