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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:坂本龍馬の実資料の本)

坂本龍馬の実資料の本

このQ&Aのポイント
  • 坂本龍馬に関する実資料の記載された本を探しています。
  • 坂本龍馬と小説・ドラマの竜馬は異なる存在であると考えています。
  • 薩長同盟や龍馬の殺害に関する資料が欠けている点やお龍さんの扱いに疑問を感じています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.3

根本資料は、1926年に刊行された、日本史籍協会出版の、『坂本竜馬関係文書』です。 それに、昭和63年に刊行された、宮地佐一郎著の光風社出版の『坂本龍馬全集』が、坂本竜馬関係のまとまった資料集になります。なお、『坂本竜馬関係文書』に関しては、国会図書館のデジタルコレクションで見ることができますので、関係URLを下にコピーしておきました。 『坂本竜馬関係文書』『坂本龍馬全集』についてですが、アマゾンなどで現在でも販売されています。『坂本竜馬関係文書』は再版もされているようです。千葉県で言えば『坂本竜馬関係文書』は県立図書館にあり、『坂本龍馬全集』は成田市立図書館に収蔵されていることになっていますが、成田市立図書館の『坂本龍馬全集』は所定の場所にはなく、参考図書ですので禁帯出なのですが、ないようです。ともかく、どちらも図書館で収蔵するところがあるということですので、レファレンス・サービスや、収蔵図書検索で事前に調べれば、利用できると思います。 『坂本竜馬関係文書』 第一 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1917617 『坂本竜馬関係文書』 第二 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1917633/57 竜馬について詳しくないので、深く立ち入れませんが、竜馬の考え方として、公儀政体論と割拠論とされています(『国史大辞典』)。さらに船中八策などの内容をみても、当時盛んに言われている事柄をまとめて一つにしたようなところがあって、独自な考え方ではなく、多くの人に影響を受けたのではと思います。独自でないから価値が下がるというものではありませんが、竜馬を評価しすぎなのではと思います。 坂本竜馬は明治時代の中頃までは無名に近い存在で、日露戦争の始まる明治37年2月に、皇后(後の昭憲皇太后)の夢枕に立ち、日本海軍を護ると宣託したことが新聞により報道され、ブームになり、戦後は司馬遼太郎の小説で再ブーム化し、ブーム化することで実態以上の高評価を受けているのではないでしょうか。 http://www.ryozen-museum.or.jp/docs/ABOUT-04_ippin_03.html 勝手なことをいいましたが、以上参考まで。

441moe
質問者

お礼

有難う御座います。 順次探して見ます。かつては司馬遼太郎さんの文庫全て読もうと思った時ありましたが、竜馬が行くを読んで相当な違和感を感じ、辞めました。 明治10年からの土佐日々新聞の連載が、竜馬が行くの元ネタらしき事が分かり現在に至っています。昨今架空の竜馬が実在の龍馬であるが如き話が多く、実在の龍馬資料見たくなった次第。個人的想像では、武器商人で、殺害依頼者は勝海舟と思っています。

その他の回答 (2)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11073/34515)
回答No.2

>実在の坂本龍馬と小説・ドラマの竜馬とは全く別と思っています。 龍馬に限らず、小説やドラマで扱われる歴史人物はみんなそうだといえるでしょうが、ちょっと神格化されてるきらいはありますね。これは司馬遼太郎の功罪だと思います。 1. あくまで「立会人」なので、交渉には直接口出ししないものだと思います。例えば、もし仮にアメリカとイランの平和会談の立会人を日本がやるとしたら、アメリカとイランとの間の交渉に直接口をはさむことはないですよね。両者のやりとりを黙って見てて、後で「いった」「いわない」にしない証人である、という立場です。 立会人が口をはさむと、両者から「相手の手先だ」と思われる危険があります。立会人は、あくまで中立。 2. その実行犯に「命令した誰か」がいるのならば、「私がやりました」とはいわないほうがいいというのがありますね。「誰に命令されたのか」と聞かれるのも面倒じゃないですか。 また闇討ち(奇襲)されてるので、暗殺といっていいと思います。裁判にかけられたわけでもなんでもないですからね。 3. 詳細な知識を持ち合わせていないので、ノーコメント。 4. お龍さんには、女郎屋に売られそうになった妹を助けるために人買い相手に「殺してみろ」と啖呵をきった伝説の持ち主です。いかにも気が強そうなのは、残った写真を見ても明らかですね。男尊女卑が当たり前で女は男のいうことをきかないといけなかった時代に男相手に怯まない女性なんですから、並大抵ではありません。現代でいうなら、一言いえば容赦なくやっつけられそうな、上野千鶴子さんや勝間勝代さんみたいな感じではないでしょうか。あるいは、もっと気が強いかも。龍馬は変わった人だからそれを面白がれたけど、並の男じゃ到底ついていけないでしょう。 Wikiには「品行が悪く、意見をしても聞き入れないので面倒はみられない」という話が残っているから、これ、典型的な「男に嫌われる気が強い女」ではないでしょうかね・笑。ああそうだ、ちょうどピッタリな人を思い出しました。柳美里さんです。あんな感じなんじゃない?

441moe
質問者

お礼

有難う御座います。 実資料をお探しています。 余談ながら、出典なくしましたが、お龍さんは明治時代のインタビューで、写真は一枚も撮っていないと答えています。元資料は、竜馬が行くの元ネタの、土佐日々新聞の小説の元になった、インタビュー記録だったと思います。伝聞よりは信憑性高いです。又性格は、数人の日記に、気が強いとあります、妹の件は誰かの作り話しのようです、記録??

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

本になっていないからには、原資料があるところにいくしかありません。 龍馬記念館に伺って収蔵品の文書をじっくり読み解くか、近くの公共の図書館から「国立国会図書館」の所蔵物の検索をしてそれを閲覧または複写申請してじっくり読み解くしかありません。 高知県立坂本龍馬記念館 http://www.ryoma-kinenkan.jp/ 国立国会図書館―National Diet Library http://www.ndl.go.jp/

441moe
質問者

お礼

有難う御座います。

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