前回の記述に誤りがありましたので先ずはこれを訂正します。
「一般的に寺田屋事件といえばそれは坂本龍馬の暗殺事件を意味しますから、慶応二年一月二十三日の日付があるはずです」→「一般的に寺田屋事件といえば、それは坂本龍馬の襲撃事件を意味しますから、慶応二年一月二十三日の日付があるはずです」。
なるほど時系列からみれば一応は筋が通っているようにみえます。但しここで問題となるのは「船中八策」が何時の時点でアイデアとして固められたの問題です。現在の研究では「いろは丸」の問題を解決した後の長崎から京都へ上洛する時期、つまり1867年の6月以後となっています。また大政奉還後に示される新政府維新綱領八策との関係に関しても両者の関連は未だ議論が継続中の問題です。
質問者が坂本龍馬を幕末維新の原動力となった英雄として祭り上げたいとの単純な歴史マニアの気持ちは理解できますが、歴史学とそれらの間には決定的な溝があり、それは他の回答者様が適切にお答えになっています。「現在確定されている史料から推測せざる得ない」のです。「新しい史料が発見された」としてそれに対する厳密な検証が行われない限り、その史料が信用に値するか否かを安易に判断することは無謀に近い。もしその史料が作為的に改竄されたものだったなら、逆に「なぜそうまでして事実を捏造する必要性があるのか」との問題に立ち入らざるを得なくなります。
質問者にとって坂本龍馬はかけがえのない英雄であること誰にも否定できるものではありませんが、それは忠臣蔵に描かれた吉良上野介良央が悪役でなければ「物語として」成り立たないことと同工異曲です。類例は足利尊氏が代表的です。武家支配を否定したアナクロニストの後醍醐に叛旗を翻したとの風雪にも近い言いがかりで幕末以後1945年8月まで、この人物は常に悪役の汚名を着せ続けられてきましたが、新たな幕府を構築したとの事跡でこの人物は評価されるべきであり、「天皇に弓引いた人物」として感情的に否定されることは歴史学の立場からは認めることなどできません。歴史マニアはとかく謎や英雄物語が好みのようですが、それだけでは目を曇らせることと変わりありません。先ずは史実を史料に沿って検証する。そしてその史料も「一つの対象物」として冷静客観的に観る姿勢が最低限求められます。そして少しでも疑わしさを感じたら、別の史料との整合性を確認してみる。筆跡鑑定も有効な手段の一つです。またその文書を記した人物が作成した他の文書との比較も有用です。これは文中に使用されている言葉に変化があるかどうか、宛先の人物が同じ場合に同じ表現をしているかどうかを知る上で大切です。私的関係にある人物間での遣り取りで全く別の表記がなされている場合は殊に注意が必要です。
当該の文書を画像として見てみましたが、現時点では100パーセント真本とは断定できない部分も幾つかあります。鵜呑みにすることは危険ということを一言申し上げさせていただきました。
お礼
ご回答ありがとうございます。確かにこの文には年月日は 記載されていませんしあの時代のことですから文は唯一 の情報交換の手段です。もしこれが幕府の方へと流れて いったら竜馬もそして長州の志士にも危険が及ぶと思うの です。それくらい危険が身の回りにあることから自分の存在 はなるべく隠したいと思ったのでしょう。坂本竜馬の書状は 中々世に出ることはないです。この書状に関しても生生しく 明日は生きていないかもしれないという覚悟とも取れる内容 です。今の私たちでは計り知れない緊迫感がありますね。 書状が本物であるかどうかはテレビに出す前に念入りに 鑑定していると思います。テレビでの鑑定は演出でそれまで のテレビに映らないところで何人もの歴史家、書画骨董家 が鑑定して初めてテレビに出られます。贋作などはテレビ を盛り上げるために出しているんですね。