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昔のダイレクトな用語が消えたのは

昔(高度成長前)には、例えば鉄道用語で「一等車」「二等車」とかあったわけですが、それが「グリーン車」「普通車」になったり、「平民」とか、消えたり、やたらわけ分からない横文字や英語の略字がはびこりだしたのは、どういう理由によるのでしょうか。つまりは、物事を率直にあらわさないとか、わざと知っている人にしかわからないようにするとか、そういう不便な事をなぜわざわざやろうとする風習になったのでしょうか?

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  • ベストアンサー
  • tiuhti
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回答No.2

>物事を率直にあらわさないとか、わざと知っている人にしかわからないようにするとか、そういう不便な事をなぜわざわざやろうとする風習になったのでしょうか? 言葉の言い換えは、ケースバイケースなので、個別に検討しないとわからないと思います。 一等車がグリーン車に代わった経緯は、↓のようなものですが、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1467373.html これは、運賃のモノクラス化(つまり、運賃については、一等も二等も同一運賃とする)と同時におこなわれたのですが、実はそれだけでなく、平均して15%の運賃の値上げもしています。 微かな記憶を辿れば、「国鉄は、自分の『お客様』に、一等とか二等の等級をつけて呼ぶ事自体が、親方日の丸的である」という考え方から、『一等車のグリーン車への読み替え』は、そもそも、どこが違うのかねぇ、という醒めた見方を除けば、悪くは取られなかったような気がします。でも、運賃値上げへの反発を少しでも和らげたい、という意図で読み替えを行ったのなら、非常に広い意味で「物事を率直にあらわさない」というのには入るかも知れません。 平民については、最終的に戸籍謄本などから「平民」という族称の記載がなくなったのは、1938年です。(↓) http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/year/syouwa/syouwa_13.html これは、『戸籍上の族称としては,華族・士族・平民と記載すべきだ』という布告が1875年に出されているにも関わらず、現実には「元えた」「新平民」などという記載がされる事があり、1924年には、『謄本・抄本の作製のときに「えた」「新平民」の文字を謄写してはならない』という布告が出ましたが、今度は『族称欄が空白である=被差別部落出身』という事になってしまい、結局、「平民」も書くな、という事になったものです。元々、政府の「エタ」「新平民」と書くな、という指示が徹底されなかったからこういう事になってしまったので、「物事を率直に表さない」例の一つとは考えられますが、ごく一部の華族を除けば、士族という族称自体、この時代になると、個人が自己満足の意味で『自分は武士の出だ』と自慢する以上の意味は持たなくなっていたので、同じ意味で平民という呼称もこの時代には意味はなくなっていた、と考えるべきでしょう。(華族以外は、皆平民なので平民という族称自体あまり意味がない。) http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/05-6/ninomiya.pdf

noname#32495
質問者

お礼

大体流れは思ったとおりです。時代の流れとともに意識の流れがそういう方向性に進むようですね。

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回答No.1

鉄道用語で初めは、「二等車」「三等車」でした。「一等車」は天皇専用列車だったのです。 それがいつの間にか、一等車、二等車になり差別用語に近いよ言われグルーン車、普通車になりました。 一般に、差別用語を安易に使わないようにという風習がそうさせたようです。 ぎっちょ、メクラ、バカチョン、ダルマ等は差別用語扱いになっています。 「チョン」が何を意味するのか30代になってわかりました、確かに好ましくありませんが、「メクラ」は区別用語では無いかと思います。 区別用語も差別用語もごっちゃに全て差別用語扱いされている気がします。

noname#32495
質問者

お礼

差別用語を排斥する製作がいろいろ実っているようですね。

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