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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:3等級時代の1等車連結編成)
3等級時代の1等車連結編成
このQ&Aのポイント
- 終戦後昭和35年まで国鉄は3等級制で、ごく一部の路線にのみ1等車が存在していました。
- 旧1等車は主に特急列車に連結され、東海道と山陽方面に運行されていました。
- また、青函連絡船の1等船室には1等異級乗車券が発行されていました。
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>停車したからこそ注記無しでの発券 これは後年の1等乗車券でもそうなんですが、1等連結列車が運転 していない区間については、下等車両の乗車が可能という特例が あるために、運転区間でなくても1等乗車券が発行される例があった と記憶しています。 東京-高槻などの場合、東京-京都は1等、京都-高槻は2等になる と思いますが、わざわざ短区間の異等級指定をしなかったものと 思います。 また、2等級の時代でも、1等乗車券自体にステータスがあり、下等 乗車でも1等乗車券を見せる・・・という風潮もあったように思います。 ですので、1等連結列車がある区間のみに発行されたと考えない方 が良いような気がします。 ちなみに車両史から言っても、戦後で等級「イ」がついた車両は「スイテ」 「マイテ」の展望車、「マイネ40」「マイネフ38」などの寝台車くらいしか なく、主に進駐軍関係者が使っていたと考えられますので、元進駐軍 専用列車の後身・・・と考えて調べるといいかと思います。 そういう意味で漏れていそうなのは、東京発長崎・佐世保行の急行、 神戸行の急行(のちの銀河)、呉泉経由の急行あたりで、その辺に 1等寝台車が連結されていた可能性が大きいと思います。
お礼
お礼が遅くなりました。回答ありがとうございます。 >1等連結列車がある区間のみに発行されたと考えない方が良いような気がします。 これはどうなのかなんとも言いがたいところです。同時代の2等常備券の例で良くあるのは、横須賀線や東海道線方面から桜木町行きの異級券です。ただの一駅ですが、必ず「横浜-桜木町間3等」記載があると思いました。補充券の場合に短距離でどうなるかは実例が無いので判らない、というところです。ともあれそのようなことも有り得るということで、今後は注意して見て行きたいと思います。 その後切符の本を参照したところ、桜木町発行川崎ゆきの異級補充券で、桜木町-横浜間2等の印を押したものが見つかりました(2等級制時代)。 >主に進駐軍関係者が使っていた なるほど。これで進駐軍関連の乗車券をまとめた本があることを思い出しました。当時の時刻表が出ています。軍用1001列車の場合、九州では門司、小倉、遠賀川、香椎、博多と随分と止まるなという気がします。支線との分岐点としては香椎よりも折尾の方が重要そうな気がしますが、香椎停車にはなんらかの理由があるものと思われます。 もちろんそれ以前に遠賀川停車が大きな疑問です。が、実はここで分岐して米軍基地に直結していた芦屋線があったため、ここは停まるのが当然だったようです。もう一点、その芦屋基地との関連からか軍用の釜山行きフェリーが出る博多港がこの近くにありました。 その上で、 >漏れていそうなのは、東京発長崎・佐世保行の急行、 >神戸行の急行(のちの銀河)、呉線経由の急行あたり となるわけです。ところが何分列車名には殊の外弱いので、銀河以外のものがどういう名だったのか…。あ、これはウィキぺディアで路線名から出てきますか。 以前あるオークションに廃札の常備異級1等券で、名古屋から遠賀川、名古屋-大阪間2等というものが出たことがあります。何故全区間が1等でないのか不思議でした。ですがどうやら回答のこの部分にそれを解く手掛かりがありそうです。 なかなか興味深い回答で、楽しかったです。 尚、もうしばらくはほかの回答を待ってみます。
補足
次の回答が来ないものかと待っていましたが、望み薄のようです。 先ほど最も探し易い呉線をウィキペディアで読んでいたところ、関連事項として次のページを見つけました。「山陽本線優等列車沿革」。どうやらこれで対照調査が可能になりそうです。 ということで、この質問は終わることとします。ありがとうございます。