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世の中というのは質が低下するものなんでしょうか
漠然とした質問かもしれません。 一部の科学分野や工業製品技術分野をのぞいて、世の中時代を追うにつれて平均化あるいは低質化していくものなのでしょうか。 いろいろ思い当たる例はあります。 映画がつまらなくなりました。昔はもっとハードだった。 鉄道に「一等車」とか「特別急行」「急行」「準急」などがだんだんと 「グリーン車」とか「快速特急」「準特急」「急行」など、つまり名前の底上げというか、看板だけ立派にしようという動きが増えた。看板だけ立派といえば現代の大学が象徴的で「大学」という名に値する内容を持ったところなどあるのかどうか。。。 つまり、「格調」が消え、「大量消費」「うわべ」を大事にする風潮が定着してしまって疑問を持たない。それでいいのかどうか? そういう動きには必然的な法則が宿っているものなのでしょうか?
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質問者さんの嘆きは良くわかります。 何故そのような社会になっていったのか?を理解するのには、資本主義経済を知る必要があると思います。 つまりですね、世の中の商売はより儲かるように儲かるようにと努力し切磋琢磨していったのですね。 その結果「格調」が消え、「大量消費」「うわべ」を大事にする風潮となってしまったのですね。 私はここ最近の日本を「百円ショップ化する日本」と表現しております。 質問者さんが百円ショップに行かれるかわかりませんが、百円ショップに並んでいる商品はわずか百円でこれだけの物が買えるなんてすごいなと思うものから、不良品や粗悪品も並んでるんですよ。 例えば時計なんか買ったら1ヵ月後には壊れて動かなくなってますし、食器の類もちょっとぶつけただけで欠けて使えなくなるような粗悪品ばかりです。 でも世間では百円ショップは支持されているんですよね。 昔の日本だったらこんな物はずかしくて作れるか!って職人さんや工場長が怒鳴り散らすような粗悪品が支持されちゃってるんですよ。 百円ショップが支持されているのは何故か?と言うと、つまり資本主義経済だからなんですよ。「安けりゃ質が伴って無くても良い」が支持されるんですね。 私はこの百円ショップのような安いけど高い確率で低品質の物が混じる品質を「百円ショップ品質」と呼ぶ事にしました。 ここ数年の社会問題でミートホープ事件、シンドラー社エレベーター事件、JR尼崎線脱線事故などは全て「百円ショップ品質」問題が原因です。 つまり、儲かりゃ何を入れても良いと牛肉に豚肉を混ぜた事件は、同時に安けりゃ何でも良いとミートホープ社を支持して購入した会社が多数あったわけで、シンドラー社のエレベーターも安けりゃ良いと買ってみたらありえない事故が多発してみたり、JR尼崎線脱線事故ではJR西日本がより儲ける為に運転手に安全に運行できない過密なスケジュールを課して事故を招きました。 質問者さんが今回の質問でこのような経済偏重の社会に対して疑問をもたれているのはとても大切な事だと思います。 特に、安全に関わる製品で「百円ショップ品質」では安心して暮らしていく事もできません。 資本主義社会では消費者の支持が絶対ですので、一消費者である質問者さんが現代の社会に疑問を抱く事は決して無駄では無いと思いますよ。
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世の中というのは質が低下するものなのでしょうか。 世の中のありかたしだいでしょう。 利益を出すことを目的とする仕事の仕方と 職そのものに真摯であることとは別で それが生存をかけた競争ということになれば 悪貨は良貨を駆逐する。
お礼
生きるためにということは、すなわり品格を失わせるということと同値なのかもしれませんね。
Q、世の中というのは質が低下するものなんでしょうか? A、そうだと思います。 昨今は、企業のモラルの低下傾向が激しいです。 正規雇用から非正規雇用への移行と共に、企業の倫理観もゴミ箱へと移動しています。 大学も、「学問の府」から「人材育成工場」へと変質してきています。 このままでは、大学における基礎研究の分野が衰退することは明らかです。 企業は、その巨大化によって社会的な存在へとなってきました。 大学も、富裕層の子弟のものではなく国民のための存在となってきました。 この質の変化は、それはそれで進歩です。 が、その社会的な存在としての質は、一向に開花することなく萎んだままです。 企業の社会性とは相反する倫理崩壊の進行。 大学の社会性とは相反する研究崩壊の進行。 全ては、利潤と効率を優先するという現行の社会的・経済的構造体のなせる業です。 このように、世の中の質を俯瞰するならば、そこに、社会的・経済的構造体の法則が見えてきます。 「哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。問題なのは世界を変えることなのである。」 (永江良一氏訳、フォイエルバッハ・テーゼ) 問題は、この社会性と現実の結果との矛盾をいかに止揚するかじゃないですかね。
お礼
経済活動と品格とは調和しないものなのですね。今回改めて思いましたです。無用の額とか、贅沢こそ文化精神の鎹なのかもしれないです。 社会の発展性と現実の低品質化を止揚ですか。難しそうです。
- ash05
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以前は一部の階層にしか許されなかったことが社会全体に 浸透していくなかで質や価値が変化してゆくことは避けら れないことだと考えます。 たとえば、大学への進学率があがったことで以前とは学生 の質が変わることは避けられないのでは? 大学生が何か考えられないような事件を起こしたとして、 その時に「今の大学生は・・・。」と思うのか「その程度の 人間でも大学にいけるようになった」と受け取るのかは 考え方次第ではないでしょうかね。 法則とまではいかないですけれど、もともとの資源の総量 が限られていれば、世の中に広まるにつれ、最初に比べて 質や価値の低下がさけられないことは世の中に多いと思い ます。
お礼
そうですよね。結局中身は変わらないのに、舞台だけ多くなったそろうようになったという事で、お粗末な劇が立派な舞台で公演される事になった、という、ものと金と精神的貧困の時代が始まったのでしょうね。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
それはものの考え方にもよると思いますね。 例えば、昭和の初めまで九州の山間部で(塩魚でない)海の魚を食べるのは困難でした。鉄道が開通してようやく売りに来るようになり、わざわざ「無塩(ぶえん)」と言って売り歩いたので、そのころ幼児だった私の親戚は鯛や鯖のように「ぶえん」という名前の魚がいると思ったそうです。 それが今では、交通網の整備に加え冷凍・冷蔵技術の発達でどんな山の中の温泉地でもマグロの刺身を食べることができます。これを「画一化されて面白くない、山菜や淡水魚を食べたい」と批判するのは旅行者の立場からは当然ですが、そこに住んでいる人から見ればマグロの刺身も食べられるようになってありがたいと考えるのではないでしょうか? このことは食べ物だけに限りません、昭和の初めと現在の大学進学率を考えると、ご質問のように「看板だけ立派で大学の名に値するところがあるかどうか」という懸念も理解できますが、女性を含む多くの若者が大学で教育を受けられるようになったこと自体は、大学生が少数のエリート(ほとんどが男性)であった時代と比較すれば、若者自身や社会にとっていいことだと思います。 要するに世の中が進めば、どこでも同じような暮らしができるように求める傾向があります。これを画一化あるいは平均化と捉えることにはさほど異論はないでしょうけれど、「低質化」とまで言えるかどうかは議論の余地があると思います。
お礼
たしかにそうです。平均化され、全体のレヴェルは変わらないのかもしれませんね。
- komimasaH
- ベストアンサー率16% (179/1067)
オルテガの「大衆の反逆」で文化が大衆化するというのは むかしから言われていますね。 http://note.masm.jp/%C2%E7%BD%B0%A4%CE%C8%BF%B5%D5/ 私は子供のころ、銀座のライオンに父親につれていかれましたが いまのように多数の丸テーブルをおいてあるのではなく、 大きな四角いテーブルで、テーブルとテーブルの間は広くあいて おり、しろいテーブルクロスをかけ、ウェイターもちゃんとした レストランの服装をし、食事もちゃんとスープから始まりました。 今の大衆酒場とは大違いです。 差別化を嫌うと、低いほうにあわせるようになるのが世の常ですね。 しかし、「有閑階級の理論」で示されているように、 http://note.masm.jp/%CD%AD%B4%D7%B3%AC%B5%E9%A4%CE%CD%FD%CF%C0/ 人民を簒奪することで成り立っていた有閑階級がだんだんいなく なってきたことは好ましいことです。その代わりの大衆化では。 インターネットの普及でいまの子供や大人は昔より知識は多いと 思います。いいところもあります。 プラス、マイナスで、相対的にはプラスだと思います。 なにをかくそう、私も典型的な大衆の一員です。
お礼
19世紀からこの種の考察はあったのですか。古い問題なのですね。昔には昔の問題があり、現在は現在の問題がある。相対的にどちらがいいといえるものなのか。ライオンというのは言ったことないですが、ひとつの象徴的事例としていいお話です。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
No1さんと同感ですね。 ただ、ここで問題なのは良識や教養が一般人に迎合しない事。 朱に交われば赤く染まる。なので。 恐ろしいのはこうやって、良識や教養の質が下がる事です。 なれば、質を落とさないように大衆から隔離する必要がある。 大衆に迎合しない教養や良識を格式を持って大衆よりも高い位置に置いて置く。 そして、大衆に彼らを畏敬の対象として教える事。 それが、職人や匠の世界や道を究めし者の世界。 神の領域と呼ばれる世界なので質の悪い人間は手が届かないし、どんな身分であれ伝承者として相応しくなければ切り捨てる。 血統依存ではない一子相伝のシステムは結構よく出来ていると思いますよ。 武士は血統ですが、技の伝承者には養子として迎える。 心・体・技の真の実力者ですから質は低くはなりにくい。
お礼
大衆というのは、何者なのか、私も紛れも泣く大衆の一員なのですが、自分で自分の立場がわかっていません。しかし世の中の多数的な動きに疑問を感じてばかりいる。隔離政策とか保護政策は必要悪なのかもしれませんね。
- Major123
- ベストアンサー率79% (230/290)
「悪貨は良貨を駆逐する」 もともとは経済学上の法則のようですが、今では広く様々な質の低下が蔓延していく傾向を指しているようですね。検索をかけると色々と出てきますよ。人々は決して高潔にはできていないと思わされます。
お礼
ことわざの推移が起こっているのかもしれませんね。質の低下とはいったいどういうメカニズムで起こっているのか、疑問です。
お礼
やはり、儲かるようにという原則でやっていくと、必然的にこういう結果はついてきますね。私はもちろん100円ショップをよく利用します。しかし、それは割り切った姿勢で、品質など求めていないわけですが、一方で社会的全般に安っぽさが多い尽くそうとしていることも意識しています。100円ショップ化ですね。具体例では、まさにそのとおりだと思います。拡張や慎重さが必要な分野にも、この波は襲っています。 経済偏重と安っぽさ、なんとも不思議な一致のようですが、深い結びつきがあるようですね。