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徳川の御三家
徳川の御三家は、筆頭が尾張で次(?)が紀州、さらに副将軍が水戸だそうですが、 大名としての裕福さという点では、どの家が一番リッチだったのでしょうか? その他、御三家について何でも結構ですので教えてください。(曖昧な質問ですみません。)
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尾張藩と思います。 尾張藩の石高は62万石ですけど、これに木曾のヒノキの7万石が加わり、商業も盛んでしたから、一番豊かと思われます。 水戸藩は、元々身代が小さいにも関わらず、御三家の対面を保つための費用が大きい上に、黄門様の道楽(大日本史)で財政が傾き、重税を課しても尚、かなり苦しい台所事情のようです。 紀州藩はみかんがあるのでそこそこ豊かですけど、吉宗の兄の代で、例の鶴姫様関係(兄や父親の葬式、火事)で苦しくなり、豊かというほどではないと思います。
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- haifa7741
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紀州は材木で有名では? 江戸が大火の後、復興用の木材を大量に海上輸送したとか? 江戸の市街開発の家屋用として需要が大量にあったようにも思いますが 紀伊国屋文左衛門?とか有名ではないでしょうか・・・
お礼
紀伊の国の商人だから紀伊国屋なわけですね。 どうもありがとうございました!
- Tacosan
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いちおう「御三家」といえば尾張・紀伊・水戸ですが, 尾張・紀伊と水戸の間には官職において明確な差があります. 尾張・紀伊は大納言格ですが, 水戸は中納言格. 「黄門」というのは中納言に相当する中国の官職です. ちなみに江戸も確か大納言格だったはず. 大納言・征夷大将軍ってのは非常にバランスが悪いんですが.... リッチという点でいうと, さすがに尾張がトップでしょう. 表高だけでもトップですし, さらに木曽檜などのボーナスが付いています. そのわりに, タイミングが悪いなどの理由で将軍を 1人も出していないんですが.
お礼
副将軍の三戸家は、副将軍という地位の代わりに?将軍は輩出できない立場にあったと(親から・・・)聞きました。 その割りに、幕末あたりでは水戸からも将軍になった方もいたみたいですね。 尾張がヒノキの産地とは知りませんでした。 どうもありがとうございました!
- nik670
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あくまでも大河ドラマでの話ですが、 御三家に水戸が入ってきたのは3代将軍になっ てからです。 1代2代の時は将軍家・尾張家・紀州家でした。 それまでは将軍家・尾張家・紀州家は同格でした。 でも3代になって将軍家は別格となりあらたに水 戸が加わりました。 7代将軍の時には紀州は貧乏でした、その藩主が 8代将軍になり享保の改革とかやりました。 紀州が貧乏の時に尾張藩は豪遊していました。 と、昔の大河ドラマなのではっきりとは覚えてい ませんが・・・・。
お礼
3代将軍の時に水戸が加わったのですね。 大河でも、大きなことは史実に従っているでしょうから、その通りなのでしょうね。 どうもありがとうございました!
- kantansi
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基本的に大名のリッチさは石高で決まります。尾張藩61.9万石(支藩、高須藩3万石)、紀州藩は55.5万石(支藩、西条藩3万石、および、吉井藩1万石)、水戸藩35万石(支藩、府中藩2万石、宍戸藩1万石、守山藩1万石)です。 徳川御三家と言う立場から、たとえば薩摩島津藩のように副業の密貿易で稼ぐようなことも出来なかったはず故、石高通りの裕福さだったでしょう。
お礼
ありがとうございます。 石高だけでなく、その土地の豊かさもあるとは思うのですが、御三家の土地柄は特に痩せていたり、 産物が豊か(とっても)ではないという感じでしょうか。 加賀は石高はすごいけれど、雪国で思ったほど豊かではないとか、土佐などは石高以上に、 暖かで土地は豊かで海産物も豊富だったと聞いています。 何だか水戸だけがみそっかすみたいな石高ですね。
お礼
ヒノキを産出していたのですね。 水戸という地名では今では納豆しか思い出せないのですが、当時はどうだったのでしょうね。 鶴姫さまは分かりますけど、火事もあったのですか。大変そう。 御三家とは言っても参勤交代は免除されなかったわけですから、体面が絡むと辛いものだったのかもしれませんね。 どうもありがとうございました!