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もし御三家が無かったとして
もし徳川御三家が無かったとして 徳川将軍が七代家継で途絶えたとしたら 次の将軍職を継いだのは 越前松平家か会津の松平家のどちらでしょうか? 越前松平家は家康次男・結城秀康の家系 会津松平家は徳川秀忠のご落胤・保科正之の家系 直系に近い越前か 将軍家に近い会津か お家騒動とかも起きたでしょうか?
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1番回答者です。 > 宮将軍と言う話は出たとは思います はい。存じております。 > 「徳川の血縁者が居る」と言う理由で老中方が押し切られ実現はしませんでした はい。存じております。が、理屈と膏薬はどんなところにもくっつきます。 まあ、宮将軍が成立するかどうかは、私の利害に一切関係していないのでどうでもいいのですが、候補の2名とも、他家へ養子に行き、あるいは一度家臣の列に列して老中たちの下にいた大名です。特に越前は結城秀康の家系ですよね、神君家康の手で将軍就任を否定された人。 しかも、陪臣たちを多数引き連れてきて直臣たちに取って代わる可能性があるわけです。特に越前は、将軍就任時に「家臣は連れて行かない」と約束しても、信用できないです。 これまで下に見て、「そのほう」とか言っていた老中や大目付たちが、越前や会津の藩主を将軍として頭を垂れ指示に従うことに耐えられるでしょうか。いや、それ以前に解任されてしまうことに納得できるでしょうか。 一般の旗本・御家人たちも、旧陪臣たちによってただでも少ない役職から逐われるかもしれないのですよ。候補者2名のどちらかを将軍にすることに賛成するでしょうか。 血統だけなら、加賀の前田家だっていいわけじゃないですか。たしか将軍の娘が嫁に行っていましたよね。今パッとは出てきませんが、ほかにも徳川の血筋の大名はいると思います。 さらに、宮将軍が否定されたその頃とは時代が変わっています。徳川一族との関係性も薄れてきて、徳川家ではなく江戸幕府に仕えているという意識に変わってきている頃なんじゃないかと思います。 まったく新しいことをするのではなく、鎌倉幕府の良き前例に倣うだけなのです。しかも、宮将軍が実現すれば、京都との関係も良くなる。例えば、宮将軍に賛成した大名は従五位下から正五位下くらいに上がるような昇進も期待できます。 私が老中か京都所司代、若年寄くらいなら、画策してみるんじゃないかと思いますがねぇ。 それはそれとして、候補2家のうちどちらか、という話なら会津松平押しに変わりはありません。
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- fujic-1990
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> 越前松平家か会津の松平家のどちらでしょうか? 選択肢は2つだけですか? 私に選ばせてもらうなら「宮将軍説」ですね。 さまざまな利害・立場が衝突してじゃんけんぽんの三すくみ状態になって、結局鎌倉幕府の前例に従って、「公武合体」の美名のもとで京都から宮将軍を招くことになるのではないか、と思ったりします。 宮将軍なら自分たちの力を維持できるので、老中たちは大賛成してくれそうですが、ダメでしょうか? 越前松平家か会津松平家かの2つの選択肢の中からなら、会津松平氏に一票。 私は越後人なので、保科公の墓は何度かお詣りに行っておりますが、そのご縁はともかく、家光にかわいがられた正之公は、徳川宗家を尊重して宗家が残した政治体制を維持してくれそうです。 逆に越前松平は、江戸の幕府体制に反感・恨みをもっていそう。 その結果、越前の陪臣たちをたくさん引き連れて江戸に来て、旗本を押しのけて制度をさまざまぶち壊しそう(大改革とも言うが)なので、排除されるであろう旗本、現老中たちは背を向けるに違いないと思います。
お礼
宮将軍と言う話は出たとは思います 実際四代家綱の逝去時と七代家継逝去時にその話がありました しかしいずれも「徳川の血縁者が居る」と言う理由で老中方が押し切られ 実現はしませんでした 徳川の血筋が完全に残ってないのなら 宮将軍と言う可能性もありますが 血縁者が居る以上は最終的に実現しなかったのではないでしょうか?
お礼
ありがとうございます