- ベストアンサー
徳川家とは何か?日本史の基礎を解説
- 徳川家とは、紀伊や尾張などに存在する一族のことを指します。御三家と呼ばれる理由は、彼らが特に有力であったからです。
- 幕府内の中心には将軍がおり、彼に仕える家来たちが武士です。徳川家はその中でも有力な存在であり、老中などの重要な地位を得ていました。
- 大名は幕府に選ばれて任命される存在であり、各地方の統治や軍事活動を担当していました。彼らの主な活動は領地経営や国家政策の実施です。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
5ですが、ざっくりと、日本の土地は、全て、徳川のものという前提です。 開拓したとしても、届け出なければなりません。 甲斐性のあるお殿様は、表石高とは、別の収入などをきちんと考えて、国を運営していました。 お城を修理するのも、許可が要ります。 徳川家に仇をなそうとする者を畏れていたのです。 将軍は、この家から出すとはっきり決めておいたほうが、「お家騒動」に繋がらなくて、平和が保てます。 あなたも、調べていけばわかりますが、誰からみても、文句のつけどころのない、出の将軍さまは、割と、早い時期で、絶えるのです。 そこから、先は、いろいろと、もめたりもしました。 御三卿は、スペアのスペアかもしれませんが、養子の行き先、格式の整え方としての意味もあります。 徳川慶喜をいったん、養子に出すという、体裁とかです。
その他の回答 (6)
- GJ-Officer
- ベストアンサー率29% (242/823)
高校の日本史の教科書を通読されたらどうでしょうか。 流れが頭に入って、理解がしやすいのではと思います。
2ですが、記憶で書いたので、間違っていました。11男です。訂正します。 藩は、徳川家から、与えられたものを預かって治めるという感覚です。 名君、暗君がトップにいることにより、国の明暗は、分かれます。 飢饉に襲われて、沢山の餓死者、逃亡者を出してしまう国もあれば、力をあわせて、飢饉の被害を最小限に留める国もあります。 武士のお仕事ですが、江戸への参勤交代の際の江戸での仕事、行政一般、事務、記録、警備、などたくさんあります。 今まで、訪れたことのあるお城などは、ありませんか? 馴染みがある、そのお城を有する藩のことを調べてはどうでしょう。 御三家というのは、家康の実子の家で、直系が絶えた場合のスペアの家です。
補足
ありがとうございます。しかし自分の理解がうといせいで、納得きません。またまた補足させていただきます・ 藩は徳川家から与えられたものを預かって治めると書かれていましたが、土地を与えられてその土地を守るというか開拓するというか(武士を使って?)そいう感じでしょうか? 後、御三家は実子の家で、直径が絶えた場合と書かれていましたが、 実子も直径も血が繋がっていて同じではないのでしょうか?? また、御三家は紀伊 水戸 尾張ですが、水戸藩には将軍に選ばれる資格がないと聞いたのですが、それはなぜでしょうか? 御三卿は直属の絶えた場合のものともきいたのですか、どうでしょうか? よろしくおねがいします・
- yakyutuku
- ベストアンサー率14% (267/1890)
江戸時代に重きをおかれるのは、家康の実子およびその直系だけです。11人の男子をなした家康ですが、家康死後存命だったのは、三男将軍秀忠、六男越後高田藩主忠輝、九男尾張藩主義直、十男紀州藩主頼宣、十一男水戸藩主頼房です。このうち六男忠輝は家康死後の1616年に、兄である将軍秀忠に難癖をつけられ潰されています。岳父に正宗をもち、警戒されたからとも言われています。
- earli-blue
- ベストアンサー率12% (8/65)
まず、徳川御三家ですが、家康の子供で尾張は九男、紀伊は十男、水戸は十一男です。二代目徳川幕府の将軍は家康の三男がなりました。では長男・二男はと言うと、長男信康は戦国時代(安土桃山時代)に敵の武田に内応したと義理の父の織田信長に自害させられてます。二男は豊臣秀吉の命令で結城家へ養子に出されます。なので三男が二代目将軍になりました。では後の四男・五男・六男・七男・八男は家康の旧姓である松平姓を名乗らされてます(五男は武田姓)。家康は年老いてからの子供がよほど可愛かったのでしょう。徳川姓を名乗らせます。他に駿府や甲府・館林などに徳川姓がありましたが途中で無くなってます。 幕府ですが今の時代に例えると(無理はありますが)将軍が総理大臣だとしたら、各大臣が老中(大老は緊急時のみ老中の中から選ぶ)、次官が若年寄、尾張が自民党幹事長、紀伊が総務会長、水戸が政調会長(御三家は幕閣の職では無い)にあたるのではないでしょうか。 大名は戦国時代からの地方を治めていた武将達です(各県の知事みたいな者かな)。大名は自分の領地を治めています。いくら徳川と言っても自分の領地からの税が収入源です。他の大名の領地からは税は入ってきません。ただ他の大名の監視や監理・監督はできます。
大奥は、春日の局が確立したと言われています。 世継ぎが生まれるようにと、沢山の女性を置いていたにも拘らず、直系は、絶えてしまいます。 万一を考えて、9男、10男、12男を分家させておいて、成功でした。 12男の水戸家からは、将軍を出してはならない、出たときは、将軍家滅亡の時とも言ったそうです。(当たっていました) 血筋の順では、9男の尾張家ですが、紀州の人物のほうが優れていたとか、江戸時代には、重要な木材産業を擁していたからもあると思います。 御三家、御三卿以外にも、徳川の血を継いだお殿様は、います。 徳川の名を許されない人もいます。 現在の日本と違って合議制では、ありません。 将軍さまが無茶苦茶な令を出したので、有名なのは、「生類憐れみの令」ですね。 家来で、一番上なのは、大老(いつもいるわけではない)、次が老中ですが、これも出す家系がほぼ、決まっています。 藩という、たくさんの国に分かれていて、その藩では、独自の法を発令することもできました。(自治体といってもいいかも) 例えば、「忠臣蔵」で有名な赤穂藩は、池田、浅野ときて、ここで、事件を起こし、おとりつぶしになっています。 永井家、森家と空いた領国に入っています。 いきなり、とりたてられたわけでは、ありません。 何度質問してもいいのですから、もう少し、絞った質問をしたほうが、自分もわかりやすいと思います。
補足
ありがとうございます。補足なのですが、それでは藩というのは何のためにおかれたものなのでしょうか?格地域をまとめるための役割ですか?例えば県の県庁とか都市の都知事みたいな・・・。 それから、大名は主にその家臣たちようは武士に何をさせていたのでしょうか?大名自身のやっていたことも知りたいです。 最後に御三家は別に徳川一族と知がつながっているわけではないのでしょうか? お願いします・
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
家康は、非常に慎重な人だったのは聞いたことがあると思います。彼が心配したもののひとつに「後継者をどうすればいいか」ということがあります。基本的には、将軍の子供が後を継ぐことになりますが、もし子供が不幸にも出来なかった場合誰が将軍になるかあらかじめ決めておかねばなりません。 そこで、嫡子がいなかった場合は御三家の中から選ぶと決めました。この御三家は水戸藩、紀伊藩、尾張藩です。なぜこの3つが、といわれても家康が決めたことですから仕方がありません。いくら徳川の血筋があっても誰でもOKだとそれが原因でもめますから。 ちなみに、徳川200年余りの治世で、この御三家の中から将軍が選ばれたのはたったの一度、あの暴れん坊将軍吉宗のみです。なぜかというと、吉宗が御三卿というのを作り・・・というの難しいので忘れてください。 将軍は、全ての武士の頂点に立つ人です。しかし、江戸幕府というのは、今の近代国家のような形態ではありません。幕府の直轄領のほかに、それぞれ「藩」というのがありました。この藩はある種の独立国家です。武士は、徳川家の直接の家臣と、各藩の家臣である人がいます。直接の家臣を徳川幕府では「旗本」といいます。 かなり乱暴な言い方ですが、この藩の長が大名です。いわゆる「殿様」ですね。殿様は、藩というある種の国家の代表であるとともに将軍の家臣でもあります。 老中の選び方ですが、江戸幕府のシステムはなかなか巧妙で、それゆえに200年以上持ちました。それは「小さい藩から選ぶ」ということです。もし大きな藩から老中を選んだら、その藩がその実力を背景にして将軍をないがしろにして政権転覆をしないとも限りません。でも、小さい藩なら兵隊も多く雇えないし、お金も充分に持てません。だから、小さい藩の藩主がデカい顔をしたいと思えば徳川幕府を支えるしかないのです。 ちなみに、大名の選び方ですが、近代国家じゃないので選ばれるものではありません。身分制度がありますから、大名は親から子へと受け継がれるものです。別にこれは日本に限ったものではなく、ヨーロッパもほとんどが王政です。幕末、アメリカの大統領は誰でもなれると聞いた日本人の多くが「なんという野蛮な国だ」と思ったそうです。
補足
ありがとうございます、補足なのですが、幕府の直轄領のほかに藩があると書かれていましたが、直轄領とは何ですか?土地のことですか? また、将軍の下に武士がいて、旗本の地位がいまいちわかりません。武士の中には直接将軍と会える武士と会えない武士がいて、ただ単に前者の武士を総合して旗本というのでしょうか? また藩とは昔のヨーロッパの都市国家みたいな感じですか?
お礼
ありがとうございます。様々な本を読んでもっと学ばなければいけないようですね・・・。とてもわかりました。