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むかしの人はよく歩いてた?
江戸時代くらいまでの日本人は、どこにいくのも歩いてたんでしょうか? 例えば江戸~京都まで歩くなんて、今から見るとこれはだいぶ凄いことのように感じます。実際のところはどんな感じだったのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
鬼平でおなじみの長谷川平蔵の役宅は、現在の江東区。そして、部下達は現在の文京区。 現在の地下鉄で言えば、大江戸線で森川<=>春日くらい、片道5.9キロ。 部下達は、毎日、ここを歩いて通勤したそうです。 大イベントで、江戸=京都なら、うん 頑張ったねと言えますが、毎日というと、びっくらこきます。
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- babel3
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武士以外は馬で旅する、というのはないでしょう。 それも早馬(伝令)でもなければ駆け抜けていくなんて許されないでしょう。 東海道は参勤交代もあり、シーボルトは江戸参府の際、旅行者の多いのに驚いたと記録しています。 殆ど徒歩でしょうが、場合によっては海路(船)ももちろん使ったようです。 でも基本は徒歩だったようです。テレビで江戸~大阪を早飛脚は3日でかけたそうです(交代したんじゃないかなぁ)
お礼
江戸時代の旅行はそこそこ広まってたみたいですね。 江戸~大阪3日は箱根駅伝ペースでやればできそうですね。
- Tori_30
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#5です。ちょっと面白そうな材料があるので。 ちなみに、お坊さんとかは結構色んな国を渡り歩くのではないでしょうか?お寺の住職というのはその宗派の総本山から派遣されてくるらしいです。今でこそ色んな所に自由に行ける時代だけど、昔の時代に各寺に中央から派遣されてくるというスタイルは相当に特異だったと思うんですよね。きっと戦国時代でも派遣されてたと思います。(比叡山焼き討ちの背景にはそれもあったかもしれませんね。敵国と自国をほいほい往復されてはかないませんから。武器の横流しなんかもしてたらしいですよ。宗教勢力はかなり特殊な影響力を持っていたようです。) 比叡山焼き討ちというと信長の勢力(提案したのは信長ではなく、明智光秀だそうです。)の残虐性を示す好例とされがちですが、当時の日本の背景を考えると軍事的には自然な思い付きだったのかもしれませんね。別に特別に残虐だったというわけではなさそうです。 質問と全然関係ない話でしたね。お耳汚し失礼しました。
お礼
空海や行基は各地を歩き回って、伝説が残ってたりしますよね。 てくてく歩いたのかと思うと、偉大さを感じます。
- Tori_30
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明治になるまで日本という”国家”は存在しませんでした。国家として成り立つまでは日本というくくりは地域の事だったんです。幕府の元で一まとめになったように見える江戸時代でも、それぞれの藩が国って感じだったのでしょう。 戦国時代となるともっと苛烈です。戦争してたんですから。一般人がおいそれと国外に出るなんて事は出来なかったでしょう。北朝鮮から韓国に検問も通らず気軽に歩いて行けますか?行けないでしょう?そんな事をしたら殺されます。当時の日本も同じだったと思いますよ。手形があって初めて国外に出る事が出来る。関所を通らないのは犯罪者ぐらいです。 当然、一般人の行動範囲はそれぞれの国内に限られたと思います。国内どころか町内とか遠くてもせいぜい隣村ぐらいだったでしょう。江戸~京都なんて移動は一般人は考えもしないと思います。それこそ軍人か政治関係者ぐらいだったと思います。(だから”松尾芭蕉”は大きな例外なんです。何故あんなに自由に国を行きき出来たのか?その自由度から徳川関係者、それも歩く体力も合わせて考えると忍者=服部半蔵だったのではないか、という都市伝説もあるぐらいです。) ただ、伊勢参りだけは無条件に許可されていたみたいですね。(江戸時代)そういう嘘をついて国外に脱出する話がよく時代劇であったような気がします。 ちなみに馬を使うって事もあるだろうけど、当時の馬は貴重な軍需産業だったのでは?今で言う戦闘車両とか戦闘機みたいな位置づけだったと思います。やっぱり一般人に乗れるような代物ではなかったと思いますよ。多分武家でもそんなにおいそれと乗れる代物ではなかったのでは?一生馬に乗らない人の方が多かったでしょう。
お礼
やっぱり馬を使っての移動は少なかったのでしょうか。 日本人と家畜の相性はあまり良くないですね。
- suicyo
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庶民にとっては、今でいう旅行なんてのは一生に一度あるかないかと いう程度のものであったと思います。日頃から歩き慣れていたことに 間違いはないにしても、仰せのように距離が距離だけに凄いですよね。 私なんか、自転車いやバイクでも無理です。まあ、一生に一度あるか ないかということで、楽しみも多かったということで‥ ただ、江戸時代の裕福な商家で、しかも女性が何度も「大旅行」をし ていた、なんていう記録もあるにはあるようですよ。 四国のお遍路さんなんかは、今でこそ観光バスでもまわれますが、歩 いてまわろうとすると交通機関を使っても不便ですし、しかもお伊勢 さんと違い一生に何度でも!ですから、どうだったんでしょうねぇ。 以下、ご質問が「旅行」や「職業的なもの」などを念頭においたもの であるなら関係ないのですが、特殊な例として、一応投稿しておきま すね。 一般庶民が強制されて移動したという例では、古代の防人制度や俘囚 の強制移住などの例もあります。そもそも強制であるとは言え、それ でも強烈すぎます。 防人(さきもり) 万葉集の防人の歌として知られています。東国(今で言う関東周辺)の 人々が徴兵されて北九州まで送られました。もちろん徒歩で、が基本 です。故郷に帰れなかった人も多数いたとされています。戦地という よりは沿岸警備隊のようなものだと思うので、戦死というよりは過酷 な道中での過労や病気とかで亡くなったということでしょう。 強制移住 当時の「日本」が東北地方を徐々に領土として組み込むに伴い、東日 本の人々を新たな領土に移民させるということも行われました。更に、 その新たな領土に以前から住んでいた人々を、全国に強制移住させる ということも行われました。当然、九州への強制移住もアリです。強 制移住の方は結局うまく行かず、また元の土地に帰すことになったよ うですが‥ こちらも、さぞかし多くの人が道中で倒れたことでしょ うね。
お礼
江戸時代よりさらに遡って、防人の時代だとあまり街道も整備されてなくて 大変な旅だったでしょうね。 ちょっと想像を絶するものがあります。
松尾芭蕉も歩いて仙台(松島)に行っています。 伊能忠敬も日本地図を作るのに歩いて作っています。 (途中経路・船などの手段を使ったかもしれませんが・・・) http://inoh-tadataka.org/
お礼
芭蕉も忠敬もてくてく歩いたと思うと、感動するものがあります。
歩くか馬に乗るか以外は何も移動手段がありませんからね・・。 武士でもなければどんな遠くても歩くのが基本です。 皆、一生に一度は伊勢参りするのが夢だったといいます。 何ヶ月もかけて歩いて行ったんですが、 何も情報が無かった当時、見るもの全てが新しく、 その道中の楽しさは今では得られないほどのものだったと思いますよ。
お礼
そうですよね。当時のことを想像すると、お伊勢参りは一大イベントでしょうね。
お礼
片道6キロ弱はだいぶありますね。昔の人は足腰が強かったんでしょうね。 逆に現代人が運動不足気味なのかも。