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仏教における悟りの境地
仏教における悟りの境地とは何でしょうか?
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実際のところは、悟りを開いたブッダ自身にしかわからないとは思いますが、その教えを知るために、たくさんの人たちが命を費やしてきたのでしょう。 私達は、経典や教えやその他の文献から、そのヒントを知ることくらいしか出来ませんが、それらを元に自ら悟りを開くしかないのではないでしょうか。 仏教の教え>http://mh.soc.or.jp/memo/mv0054.htm 悟りを開くために>http://mh.soc.or.jp/memo/mv0055.htm 素人考えですが、私が思う悟りとは、「この世でいかにして悩まず、平穏で幸せな気持ちで生きていくことが出来るか?」の答えを見つけることが、悟りなのではないかと思います。まずは自分が他人に対して煩悩を抱かないこと(難しいですが)、幸せを与えること、そしてこの世の人たちがみんな同じように幸せを他人に与える行動をしてくれれば、この世から悩みは減るに違いない。いわゆる「幸せ運動」「ペイフォワード」のような考え方ですが、悩みの根本を考えて変えていこう、というわけです。情けは人の為ならず、一人はみんなの為にみんなは一人の為に・・・つながっていると思うのです、結局のところ。一人で生きているわけではありませんからね。社会で生きているのですから。 イジメっ子が多くて安楽を侵害されている人が多いのなら、イジメっ子が減る教育をしていこうと、それもまた悟りへの道かもしれません。 お坊さんなら、また違った答えをしてくれるのかもしれません。
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- ri-zyu
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日々是好日(苦しい日も楽しい日も是好日である)じゃないでしょうか。 悟った雲水に苦しみが無いとは思いません、ただ苦しみが来てもジタバタしないで正しく受けるだけだと思います。 簡単に言ってしまえば、苦しみと言う問題に多々聖人と言う人は取り組んだが、苦と言う事実には勝てない解決できない事が悟りだと思います。なむ(従う)あみだぶつ(事実)お釈迦さまの時代の言葉を当て字で南無阿弥陀仏としたと聞いたことが有ります。
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ご回答ありがとうございました!
仏教から人間性の真理にアプローチする場合、何も疑わずに教義や解釈を丸ごと憶えこむのが効率的です。 頭の中で無意識が勝手に整理整頓してくれて意味のあるものに仕立ててくれます。 当方は主に唯識を中心にすることで殆ど無意識任せで「頭まっちろけ」で、何も考えないで済むところまで行き着きました。 そうするとかすかに残る煩悩がまだ心の中であがいている気配がして静寂が破られます。 頭を真っ白にすると自らが存在するただそれだけのことに安らぎを感じ心の中が愛で満たされていることを感じます。 この先の道のりも健康な無意識を伝って聞いていて、魂が永遠の存在であることの確かな実感と宇宙と一体になる感覚が待ち受けています。 頭の中にありがたい言葉を投げ込むと無意識が自らの意思で天国への階段を歩んで行ってくれるので、当方自身は日々をただ平穏に過ごすだけですこぶる楽チンな道のりでした。
お礼
詳しい説明ありがとうございました!
お礼
詳しい説明と有益なサイトでご回答くださり、とても参考になりました。どうもありがとうございました!