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さとりとは
苦を滅した涅槃の境地は阿羅漢(二乗)と認識しています。 しかし、二乗は「いれる種」とのこと。 そして、あるお経には真の悟りを求めて旅に出る物語が書いてあります。 悟りとは涅槃のことなのか、それとも真の悟りというものがあるのか。 どちらなのでしょうか? よろしくお願いします。
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>悟りとは涅槃のことなのか、それとも真の悟りというものがあるのか。 涅槃は、「入滅」ですよね。 つまり、悟って死ぬことです。 じゃ、悟りって何? 仏教では、如来と呼ばれる仏は悟りをひらいた。 仏教では、菩薩と呼ばれる仏は悟りを開く前の修行中。 人間で悟りをひらいたのは、たった一人「釈迦」だけですよね。 日本では、「行基が菩薩」になっていると考えられています。 結局、「悟り」は個々で考え方が分かれるでしようね。 釈迦は、「何事にも原因がある」と悟りました。 法然は、「修行して阿弥陀仏にすがる」と悟りました。 親鸞は、「阿弥陀仏にすがる」と悟りました。 日蓮は、「法華経のみが真実だ」と悟りました。 何をもって悟ったのか?は、実は誰にも分かりません。 「悟った!」と感じた瞬間が、その人の悟りなのでしようね。
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- kurinal2
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Nietzscheisdead様、こんばんは。 たぶん、 「こうでなければ、ならない!」は、苦しいですよ。 最近?考えて居るのは「子育て」に関することで。 所謂「核家族化」は、子育てに関しては弊害も有った、と思うんですけど、 その辺は、「地域社会で、なんとか」という思惑も、有ったのでしょうか? 判らないことは人に訊いてみる、素直に「判らない」と言えないのは、団塊世代で終いにしましょう、てな感じで。
お礼
>「こうでなければ、ならない!」は、苦しいですよ。 わかります 少し話はずれますが、自由と平等、そのどちらも求めてしまうアンビバレンス こうでなければならないという観念 解き放たれたいですね
- solomon63
- ベストアンサー率48% (12/25)
>引っかかるのは、あるお経には真実はただ1つであると書かれていることです それは創始者の悟りですね 価値観は人それぞれ
お礼
真理が1つなのか、それとも人の数だけあるのか また謎が増えました ありがとうございました
- 畑 茂夫(@Flareon)
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より汎用性が高い概念に「観念」がある。 観念世界、観念論、イデア論などだ。 こういうのと人の生死観を組み合わせると、肉体を失うと観念に昇華する。 という体裁になるが、生きながらに観念に昇華したのが釈迦の体裁だ。 涅槃とは、汎用性が高い表現で観念(世界)だ。
お礼
ちょっと難しい概念ですね ありがとうございました
- solomon63
- ベストアンサー率48% (12/25)
>人の数だけ悟りがあるということでしょうか? 全くもってその通りです。 仏教については信じる者は仏ではなく自分であり、自分で人生の答えを見つけるのが修行とされています。 なので住職のアドバイスは住職の見つけた悟りによる説法になります。 各仏教には一応テーマがありますのでそのテーマに沿った悟りを開くことがセオリーとされています。 中には一休のように斜め上の悟りを開いた人もいます。 一休が開いた悟りの一例 ①門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし 「正月は一年過ぎて死に一歩近づくからおめでたく無い。」 ②世の中は起きて箱して寝て食って後は死ぬるを待つばかりなり 「人生は起きて糞して食って寝るだけであとは死を待つだけ」 ③南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ 「人生についてあれこれ模索することは愚かなこと」 正論といえば正論で間違ってはいない。一休の悟りは人生のはかなさと愚かさを悟ってしまいました
お礼
引っかかるのは、あるお経には真実はただ1つであると書かれていることです
- solomon63
- ベストアンサー率48% (12/25)
仏教についてのさとりは自問自答して一個人が納得した内容そのものの事ですので他人には理解できない場合がほとんどです。
お礼
人の数だけ悟りがあるということでしょうか?
- kuramae
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たとえ話をそのまま信じると、 涅槃とか悟りとかを、あるのか疑問になりますね。 日常生活上はありませんね。 超論理学の言語空間には、関係性としてあるのでしょう。 仏教学の研究をされるのでしょうか。 頑張ってください。
お礼
>日常生活上はありませんね。 お釈迦さま在世当時、在家の人であっても悟りを得ていた人がいるそうです。
お礼
『スッタニパータ』 「真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない。」 これが真であれば、ご紹介いただいた各僧の悟りは阿耨多羅三藐三菩提ではない可能性が出てきてしまうような気がしますね